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平成24年10月29日(月)昨夜:日本S第2戦は巨人が連勝、沢村8回無失点。 < 巨人 1―0 日本ハム > (28日・東京ドーム) 巨人・沢村が8回無失点の好投で、日本シリーズ初先発初勝利。長野の日本シリーズ史上11人目(12度目)となる先頭打者弾による1点を守り切り、巨人が本拠地・東京ドームで連勝。 沢村は初回、いきなり初球を先頭打者・陽の左手に死球。西川犠打、糸井左飛で二死二塁としたものの、中田にも左手に死球を与える大荒れ投球をみせ、慌ててマウンドに駆け寄った女房役の阿部から、頭を叩かれる場面もあった。これで落ち着いたのか、稲葉を一ゴロに打ちとり、無失点で切り抜けた。 四回、一死から稲葉に一塁内野安打で出塁され、続く小谷野の打球は中前へ。長野の前でショートバウンドしたが、稲葉のスタートが遅れ、小谷野は二塁でアウトの中ゴロとなるツキもあり、五回以降は危なげない投球をみせた。 打線は初回に長野が、巨人では1970年の第4戦(対ロッテ)での高田繁以来、実に42年ぶりとなる先頭打者本塁打を右中間に放ち先制するも、日本ハム先発の武田勝から六回まで10三振を奪われ追加点を奪えず。 しかし、沢村が力投、八回には代打・杉谷、陽、西川から3者連続三振を奪う。九回は山口、マシソンが締め、完封リレーを完成。 ◇ 日本S平均視聴率、第1戦&第2戦ともに17%台に止まる 27日に開幕したプロ野球日本シリーズ、巨人vs日本ハム戦の平均視聴率が29日、ビデオリサーチの調べで明らかになった。 27日の第1戦、28日の第2戦ともに日本テレビ系で午後6時5分から生中継されたが、巨人が8‐1で大勝した第1戦は関東地区で17・3%。巨人・沢村と日本ハム・武田勝の投手戦となり、巨人が1‐0で辛勝した第2戦は少し数字が伸び、同地区で17・5%だった。 巨人がらみのプロ野球中継では、22日のCSセファイナルステージ「巨人vs中日戦」で平均20・1%の好視聴率を残している。 ※ かつては「キラーコンテンツ」などと持て囃された日本シリーズだけど … 10月29日は、長與善郎の命日 です。 ◇ 長與善郎(1888年〜1961年) 作家、劇作家、評論家 医学者・長與專齋の五男として東京に生まれる。長與家は、漢方医として代々肥前大村藩に仕えた家系。長兄・長與稱吉は医師で男爵。三兄・長與又郎は病理学者で東京帝国大学総長、男爵。四兄・岩永裕吉は同盟通信社の初代社長。 1900年(明治33年)、東京麻布の南山小学校から学習院に転校。1911年、志賀直哉や武者小路実篤らの同人誌『白樺』に参加。同年、東京帝国大学文学部英文科入学、1912年(大正元年)に退学。関東大震災で『白樺』が廃刊になった後は『不二』を主宰する。人道主義的な作風で知られる。 1948年、芸術院会員。1960年、自伝小説『わが心の遍歴』で読売文学賞を受賞。 作品に『盲目の川』『項羽と劉邦』『青銅の基督』『竹澤先生と云ふ人』など。 ◇ 『青銅の基督』(一名南蛮鋳物師の死) その終章部分 (青銅で造られた踏絵が余りにも神々しく、鋳物師が信者と見做され死す) 正月の二十八日から三十一日迄、四日間に亘つて踏絵の儀式は奉行所に於て荘重に行はれた。そして、その儀式には裕佐の作「青銅のピエタ」がつかはれた。 三日間のうちに十五名の踏み得ざりし者が現はれた。かゝる事は前例のない事であつた。 最後の日、更に四人の者がそれを踏まない事の為めに捕へられ「検べ」の為めに残された後、モニカは白無垢の装束を着け、したゝる如き黒髪を一と処元結で結び、下げ髪にして静々と現はれた。 水を打つた如き式場の中央に藁筵を敷き、その上に低い台を置き、更にその上に、踏絵は置かれてあつた。そして其左右には与力が向ひ合ひに床几に腰を卸し、一々の者の「踏み方」を疲れた眼できつと睨み見てゐた。二千人以上の其日の「踏み方」は畢つて、もう日暮に近かつた。 モニカは神色自若としてその前に進み、跪き、先づその像を手にとつてぢつと打眺めた。 「あゝ貴方は、矢張り、信心を持つていらつしつたのですね。有り難う。」役人にも聞こえぬ程の低い声で彼女はかう呟いた。そして急にそれを抱きかゝへる如く犇と胸に押し当て、接吻し、又それを恭しく台の上に置くと手を合はせて拝んだ。勿論彼女は其場に引き立てられた。 彼女の後にすぐ君香はつゞいた。君香は同じ事をし、そして自分を掴まへた役人に云つた。「妾は信者ではないのよ。それは本当。だけど妾には此のお像を踏む事は出来ないわ! 人間としてそんな事は出来ないわ。さあ繩をおかけなさい。地獄の犬殺しさん達。」 そして彼女は曳き立てられ乍ら云つた。「あゝ嬉しい! 妾は今日の日をどんなに長く待つてゐただらう!」 翌日の夕方立山の刑場には廿一の新しい十字架が樹てられてゐた。しかしそこに曳き立てられた者は廿一人ではなかつた。廿一人がその十字架にくゝりつけられた後、更に二人の男囚が意外な処から曳き立てられて来た。それは長老アントニオ・ルビノと萩原裕佐とであつた。 此二人の面被《ヴエール》が剥がされた時、二人の女が十字架の上で叫び声を挙げ、そしてその一人は其場に気絶をした儘息を引き取つた。それは君香であつた。彼女はその一週間前から全く絶食してゐたのであつた。 長老は一同に最後の言葉をかける事が出来ないやうにその口を布で塞がれてゐた。「あゝ長老様! もう何も被仰る事はございません。妾達は勝ちました。天国は妾達の物でございます!」「おゝ何と光栄な喜び!」モニカは煙の中でかう云つた。 裕佐は刀を持つて自分の方に進んで来る男を見ると唐突にその胸を蹴飛ばした。そして驀らに竹矢来の方に向つて走り乍ら「助けてくれ! 誰か! 誰か! 吉三郎!」と叫んだ。血走つた彼の眼は狂ふ如く此の友を探してゐた。恰もその友の救ひに最後の望をかけてゐたやうに。しかし彼の縛された手には繩がついてゐた。その繩で彼は後ろに引き倒された。彼は起き上り、そして自分を捕へに来た者を再び蹴らうと足を上げた時、「助けてやらう。お慈けだ!」と云ふ声が後ろにして、刀が背中から彼の胸を突き抜いた。彼は足を宙に上げたまゝ斃れた。 かくして奇怪なる運命の操りによつて生涯としては廿七を最期に、仕事としては「唯一つの聖像」を此世への供物として彼はあへなく死んだ。 其時その刑場で一人の版画師が「二人の女と南蛮鋳物師の死」と云ふ諷刺画を描いてゐた。 「あゝお蔭でわしにも傑作が出来たわ。」その男は、矢立を帯に突つ込むとかう云つてそのなまなましい残忍な画を役人達の前で一同に見せ乍らトゲトゲしく大きな口をあいて笑つた。云ふ迄もなくそれは孫四郎であつた。 しかし「貴方は矢張り信心を持つていらつしつたのですわね。」とモニカが云つた事は誤りであつた。 萩原裕佐は最後迄決して切支丹ではなかつたのである! 彼は只一介の南蛮鋳物師にすぎなかつたのである! ◇ 長野県、辰野町の民家に2人の遺体 同居の母子か 25日午後5時55分頃、辰野町平出、小林正雄さん(55)方で、小林さんが首をつっているのを親族の女性が見つけ、近所の住民を通じて伊那署辰野町交番に届け出た。 伊那署員が駆けつけたところ、小林さんが室内で死亡しており、水を張った浴槽に高齢の女性の遺体があった。 同署によると、小林さんは母親と2人暮らし。同署は女性は母親とみて、遺体を26日以降に司法解剖し、死因を調べる。 ◇ 東大阪の民家で70歳代夫婦が死亡 相次ぎ病死か 28日午前9時20分頃、大阪府東大阪市日下町の無職男性(77)方を訪れた男性の息子(47)から、「両親が倒れている」と110番があった。 枚岡署員が駆け付けたところ、台所で男性と妻(78)が倒れており、すでに死亡していた。玄関は施錠され、遺体に目立った外傷がなかったため、同署は2人が相次いで病死したとみている。司法解剖して死因を調べる。 同署によると、夫婦は2人暮らし。妻は脳梗塞のため右半身が不自由で、最近は認知症の症状もあった。男性が介護していたが、2ヶ月ほど前から体調を崩していたという。20日午後に息子が訪ねて2人の無事を確認しており、新聞受けには21日以降の新聞がたまっていた。 ※ ケアホームに心虚ろの夫と居て 共にさだめを分かち合う日々 渡辺勝子 ※ 「ハイハイ」と煮えたつ鍋に返事して 菜の花匂うひとりの厨 平野満子 ※ それぞれに抱きゐし夢は叶ひしか 老人ホームに並ぶ布靴 酒井啓子 ※ ちちははの齢を超えてながらえし 九十二歳空は冬晴れ 豊田みち ※ 沙汰なくて人づてに聞く冬の葬 南部千賀子 ※ いつか死ぬ必ず春が来るように 池田澄子 ※ 喜怒哀楽どう転んでもひとり旅 福井淑子 ◇ 今日の誕生花・ウメモドキ(モチノキ科) 花言葉は、「明朗」。 紅葉折て夕日寒がる女哉 子規 読書癖ある妻なれど冬支度 虚子 賑やかに日のさしにけり梅擬 古賀まり子 大空に風すこしあるうめもどき 飯田龍太 まなじりに雨の一粒うめもどき 小島千架子 つぶらなる赤き実の照るウメモドキ さわやかにして神無月ゆく 鳥海昭子 【参照】大石を引きあてる強運・渡辺監督(2010年)
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51401265.html ※ 今年は高木守道次期中日監督が高橋周平を引きあてた。 |

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