今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成24年11月11日(日)昨日:北京マラソン、排除した日本人を一転受け付け。

 25日に北京で開催される北京国際マラソンで、主催者の中国陸上競技協会が日本人の参加をいったんは排除した。その後、北京の日本大使館から「日本人も受け入れるべきだ」と抗議を受けことなどから、10日深夜、受け付けを始めた。

 北京では9月に日本政府の尖閣諸島国有化に対する大規模な抗議デモが発生しており、関係者によると主催者側は当初、「安全上の措置」だと説明していた。同協会の沈純徳副主席は中国メディアの取材に対し、「北京マラソンは一貫して開放的に各国・地域の参加を歓迎しており、日本人選手の参加を拒否したことはない」と話しているが、ネットでは「国際大会にもかかわらず、非常に狭い了見だ」などの批判が出ていた。 北京マラソンに参加するには公式ホームページからの登録が必要で8日に登録が始まったが、国籍を選択する欄に「日本」の国名はなく、日本人の登録が事実上出来なくなっていた。 同マラソンは1981年以来、毎年秋に開催されている。昨年は日本企業も協賛していたが、今年は日中関係悪化の影響などで日程がなかなか決まらなかったことなどもあり、協賛を取りやめている。

 ※ 反日思想の刷り込みで、一党独裁の愛国精神を遮二無二維持しようとする中国共産党。しかし、この国は5億人を超えるインターネット利用者を擁するネット大国でもある。共産党がどれほど検索に制限をかけても、共産党にとって“不都合な情報”は洩れ出てしまうだろう。また、制限される検索語彙の傾向から、共産党一党独裁の矛盾も自ずと露呈してくる。「眠れる獅子」から目覚め、歴史上驚異的な中国経済の大躍進は、そのようなネット利用者が底支えをするものだ。そして、都市部と農村部との悲劇的な格差こそが、中国共産党への止めを刺す最大の要因となろう。



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 11月11日は、鈴木大拙の誕生日 です。(新暦換算)

 ◇ 鈴木大拙(1870年〜1966年) 本名:貞太郎
 ※ 明治5年までは旧暦を使用しており、大拙の誕生日は明治3年10月18日。

 禅についての著作を英文で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)です。著書約百冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く「近代日本最大の仏教者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。 「大拙」は居士号。同郷の西田幾多郎、藤岡作太郎とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。

 石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。第四高等中学校を退学後、英語教師をしていたものの、再び学問を志し東京に出る。東京専門学校を経て、帝国大学選科に学び、在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅。この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒のベアトリス・レインと出会う。ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドのチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。また釈宗演より大拙の居士号を受ける。「大巧は拙なるに似たり」に因る。

 1897年に釈宗演の選を受け渡米、東洋学者ポール・ケーラスの経営する出版社オープン・コート社で東洋学関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論』(1900年)や『大乗仏教概論』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、禅文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。 1909年に帰国し、円覚寺の正伝庵に住み、学習院に赴任する。英語を教えたが、終生交流した教え子に柳宗悦や松方三郎等がいる。1911年にベアトリスと結婚。1921年に大谷大学教授に就任して、京都に転居。同年、同大学内に東方仏教徒協会を設立し、英文雑誌『イースタン・ブディスト』(Eastern Buddhist )を創刊(現在も同協会より刊行中)。1939年、夫人ベアトリス死去。大拙に先立つこと27年であった。

 晩年は鎌倉に戻り、自らが1941年に創設した北鎌倉にある東慶寺「松ヶ岡文庫」で研究生活に勤しむ。1949年には、ハワイ大学で開催された第2回東西哲学者会議に参加し、中国の胡適と禅研究法に関して討論を行い、同年に日本学士院会員となり、文化勲章を受章。 1950年より1958年の間、アメリカ各地で仏教思想の講義を行った。1952年から1957年までは、コロンビア大学に客員教授として滞在し、仏教とくに禅思想の授業を行い、ニューヨークを拠点に米国上流社会に禅思想を広める立役者となった。 鈴木はカール・グスタフ・ユングとも親交があり、ユングの主催したエラノス会議に出席した。またエマヌエル・スヴェーデンボリなどヨーロッパの神秘思想を日本に紹介した。ハイデガーとも個人的に交友があった。1959年に至るまで欧米各国の大学で、仏教思想や日本文化についても講義した。

 1966年、聖路加病院で死去、享年95。没後は、鈴木学術財団(松ヶ岡文庫)が設立された。墓所は金沢市野田山墓地の鈴木家墓所と、北鎌倉東慶寺、なお同じ境内に岩波書店初代店主・岩波茂雄や西田幾多郎・和辻哲郎・安倍能成らの墓がある。毎年命日である7月12日には、大拙忌法要が行われる。


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   「一人は米を食べる人、いま一人は米を作る人
   食べる人は抽象的になり易く
   作る人はいつも具体の事実に即して生きる」   鈴木大拙


 漱石は『門』の中で、釈宗演師と思われる人物を次のように評している。 老師というのは五十格好に見えた。赤黒い光沢のある顔をしていた。その皮膚も筋肉もことごとくしまって、どこにも怠りのないところが、銅像のもたらす印象を、宗助(漱石?)の胸に彫りつけた。ただ唇があまり厚すぎるので、そこにいくぶんのゆるみが見えた。そのかわり彼の目には、普通の人間にとうていみるべからざる一種の精彩がひらめいた。

 漱石が老師から与えられた公案は、「父母未生以前本来の面目」だったが、漱石には手も足も出なかったようだ。老師に、「もっとぎろりとしたところを持って来なければだめだ」と追い返されている。 同じ時期に大拙居士も参禅していた。漱石の大拙評は、「宗助はそれから二、三日してその居士を見たが、彼はひょうきんな羅漢のような顔をしている気楽そうな男であった」という文章から推測できる。 対する大拙は、この時の漱石を評して「たかが一週間くらい参禅した位で何かをつかめる訳がない」と一刀両断しています。

 ※ 信仰と宗教とは、全く異なるものである。どちらかを上位とするものではないが、大拙が主に考察したものは宗教の本質に関わることだった。特にその普遍性を重視して、霊性的自覚と「即非の論理」とを強調した。久松真一が「即無的実存」と表現したものであり、「覚」の宗教。これらは、古今東西の宗教に欠くべからざるものであり、これさえ弁えておれば、何宗の何派の教理であろうとも苦しからず。万法帰一の真如に到らざるはなし。

 【参照】7月12日、鈴木大拙忌(1966年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/48948566.html



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   ◇ 今日の誕生花・ミズヒキ(タデ科)

   花言葉は、「慶事」。

   窓あけて見れば舟行く神無月   子規

   何やらがもげて悲しき熊手かな   虚子
   ※ 酉の市、もみにもまれて熊手のみ  虚無

   水引草空の蒼さの水掬ふ   石田あき子

   水引の紅を奪ひて夕日落ち   坊城としあつ

   水引のまとふべき風いでにけり   木下夕爾

 木洩れ日の降るひとところ 水引の慶び事の紅そよがせる  鳥海昭子


 【参照】11月11日、「立ち飲みの日」
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51453542.html

 【参照】人生は後ろ向きに未来へ向かう
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/38101195.html

 【参照】11月11日、11月は「てんかん」月間
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/38094058.html

 【参照】11月11日、淀川長治の命日(1998年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49695860.html

 【参照】11月11日、『私だって兵士なの』出版(2003年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/45509774.html

 【参照】11月11日、PS3の発売(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/23429997.html

 【参照】11月11日、「トリプル・イレブン」の日(2011年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52755753.html

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