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平成24年12月5日(水)昨日:京都・南座へ勘九郎さんは無言で楽屋入り。 歌舞伎俳優・中村勘三郎さんが死去した5日、長男の勘九郎さんと次男の七之助さんは、親交が深かった女優の大竹しのぶさんらと共に勘三郎さんを看取った後、勘九郎さんの襲名披露の公演が行われている京都市東山区の南座に駆けつけ、午前10時半開演の昼の部の舞台は予定通り行われた。 2人は午前9時15分ごろにタクシーで到着。黒のスーツに黒いネクタイを締めた勘九郎さんは報道陣に会釈しながら、無言のまま足早に楽屋口へ向かった。南座によると、2人は4日も午後8時ごろまで夜の部に出演。今後も千秋楽の26日まで公演を行うという。 公演に駆けつけた歌舞伎ファンからは早すぎる死を悼む声が相次いだ。 堺市の自営業・柏原京美さん(47)は「いわゆる歌舞伎役者らしい役者さんではなくて、庶民的なところを持ち合わせている人でした。現代の歌舞伎界になくてはならない存在だったと思います。とても残念です」。愛媛県今治市の主婦(74)は「本来なら今日の勘九郎さんの襲名披露の場にもいらっしゃるはずで、お亡くなりになるのが早すぎる」と惜しんだ。 勘九郎さん、沈痛な面持ち 襲名披露公演で南座入り 勘三郎さんの長男・中村勘九郎さんは、弟の七之助さんとともに5日早朝、東京から、自身の六代目襲名披露「吉例顔見世」公演をしている京都・南座に入った。マスク姿で伏し目がちの七之助さんに続いて、黒のネクタイにスーツ姿の勘九郎さんが車から降り、詰めかけた報道陣に軽く会釈をして楽屋へ向かった。2人とも終始無言で、沈痛な面持ちだった。 2人はこの日、昼夜2公演。母親の波野好江さんと連名で、末期の闘病生活をつづったコメントをファクスで寄せた。 勘三郎さんは7月末の食道癌の大手術の後に肺炎を発症、さらに呼吸不全が進行し二度にわたる転院の末、4ヶ月に及ぶ闘病が続いたという。 「その間、来年4月の歌舞伎座こけら落しに出演することを、心の依り所とし、癌晴(がんば)って参りました。けれども遂に、回復する事は叶わず、無念の内に永眠いたしました。生前、ご贔屓頂いたことを心より感謝いたします」と結ばれていた。 東京都文京区にある勘三郎さんの自宅には、朝から松本幸四郎さん、市川海老蔵さんら歌舞伎俳優だけでなく、海部俊樹元首相や写真家・篠山紀信さん、美術家・横尾忠則さんら弔問客が訪れた。 最期を看取った女優・大竹しのぶさんは同日昼の会見で、「いないことに実感がありません。こまやかだった。ごみを片づける人、幕を引く人、すべてのスタッフに対し、とてつもない愛を持っていた」と話した。 盟友の劇作家・野田秀樹さんは「同じ年で、いつも二人三脚の気持ちだった。かなしい、さみしい、つらい、あらゆる痛切なる言葉を総動員しても、今の気持ちを表現する言葉が見つかりません」と談話を出した。 本日12月5日、中村勘三郎さんが永眠 されました。 享年57。 古典から現代物まで幅広い芸域で知られ、「平成中村座」公演などで歌舞伎の裾野を広げた人気歌舞伎俳優で、テレビドラマなどでも活躍した中村勘三郎(本名:波野哲明・のりあき)さんが5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した。57歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。 親しい関係者によると、人工肺につながれての壮絶な闘病に家族も覚悟を決めていたといい、長男の中村勘九郎(31)と次男の中村七之助(29)、女優の大竹しのぶ(55)ら家族、親友に看取られて息を引き取った。勘九郎、七之助は同日朝、京都・南座の公演に向かった。「安らかな表情だった」と話していたという。 勘三郎さんは今年6月に初期の食道癌と公表。7月27日、都内の病院で約12時間に及ぶ癌の摘出手術を行ったが、抗癌剤治療などで免疫力が低下して肺炎となり、9月頃には急性呼吸窮迫症候群を発症。肺の血管外から水分が漏れて呼吸困難に陥る肺水腫になり、肺に酸素を送り込む人工呼吸器、人工肺を装着する事態になった。専門的治療を行うため2度の転院をしたものの、11月半ばには重篤状態だと伝えられていた。 1955年5月30日、十七代目中村勘三郎の長男として生まれ、五代目勘九郎として3歳で初舞台。歌舞伎以外でもミュージカルや映画で子役として活躍。1988年に父が死去。翌年に「勘九郎の会」を歌舞伎座で披露し、1990年には「八月納涼歌舞伎」に出演、夏芝居を復活させた。 現代に息づく歌舞伎を目指し、1994年に演出家の串田和美氏と「コクーン歌舞伎」を開始。斬新な演出で古典をアレンジし、新たなファンを開拓した。江戸時代の芝居小屋の雰囲気を再現した「平成中村座」は2000年にスタート。東京・浅草や米ニューヨークなど国内外で歌舞伎を披露した。2001年には俳優で劇作家の野田秀樹の脚本・演出による新作歌舞伎「野田版・研辰の討たれ」を初演するなど、歌舞伎に新風を吹き込む数々の挑戦で高い評価を受けた。 2005年に十八代目勘三郎を襲名。古典とともに新作に取り組み、2009年には人気脚本家の宮藤官九郎氏の作・演出で「大江戸りびんぐでっど」を上演と、ますます精力的な活動を続けていた。 歌舞伎以外でも、1999年のNHK大河ドラマ「元禄繚乱」の大石内蔵助役や、同年のNHK紅白歌合戦の白組司会を務めた。 最後の舞台は今年7月18日、まつもと市民芸術館による「天日坊」(宮藤官九郎脚本、串田和美演出・美術)の千秋楽、最後のシーンだった。 ◇ 今日の誕生花・ツワブキ(キク科)(石蕗) 花言葉は、「困難に負けない」。 炭取の炭にまじりぬ歯朶の屑 子規 旗のごとなびく冬日をふと見たり 虚子 つわぶきは故郷の花母の花 坪内稔典 石蕗咲いていよいよ海の紺たしか 鈴木真砂女 石蕗(つわ)の花照り昃(かげ)りして刻(とき)移る 五十嵐播水 冷え込みのきびしくなりて ツワブキの黄は鮮やかに日暮れ早める 鳥海昭子 ※ 庭の隅にひっそりと咲くツワブキは、普段から気にもとめず枯れた頃合に引き抜くだけだった。 キク科の多年草で海岸近くに自生する。長い柄のある葉が束生し、葉は腎臓形で厚く、上面は光沢がある。蕗に似ていてツヤのある葉なので「ツヤフキ」、いつしか「ツワブキ」と呼ばれる。10月ごろ、花茎が約60センチにも伸び、黄色の頭状花が多数咲く。花もち頗る良し。 可憐な花のイメージは、殆ど感じられない。でも、葉柄は食用となり、葉・葉柄は打撲・火傷などに用いる。観賞用にもならないではない。花言葉の「困難に負けない」とは、中高年にとっては身につまされる。 【参照】12月5日、小林幸子の誕生日(1953年) http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52843217.html ※ 小林幸子、本年の紅白を逸す。連続出場記録は33回で途切れる。 |

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