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平成25年1月3日(木)一昨日:兵庫の刑務所で受刑者自殺、下敷きで首切り。 民間企業が運営に参加するPFI刑務所「播磨社会復帰促進センター」(兵庫県加古川市八幡町)は1日、単独室内で60代の男性受刑者が首を切りつけて自殺したと発表した。 同センターによると、1日午前4時40分ごろ、プラスチック製の下敷きを三角形に割って作った刃物状の破片で首の右側を切りつけ、血を流して倒れている受刑者を巡回中の刑務官が発見。同市内の病院に搬送したが、約1時間後に死亡が確認された。 下敷きは受刑者の私物で、室内から遺書が見つかったが、約30分前に巡回した際には異常がなかったという。只川晃一センター長は「収容者が死亡したことは遺憾。動静視察や心情把握を徹底し、再発防止に努める」としている。 ※ 死刑は死ぬことが罰だが、無事執行されるまでの生き地獄が極めて残酷。長期懲役刑は、所内で生きることが罰だが、無価値なムショ暮らしに長期間堪えうるほどの精神力を、誰もが持つものではない。生きていること、永らえていることが罰であるならば、人はそれから逃れたくなるものだ。 われら皆、娑婆世界の住人は、現に在る苦界からの解放を願って日々を暮らしている。そして、遂には苦界から一歩も出ること能わずして、臨終するのだ。さてもさても、何を以ってか瞑すべき。 1月3日は、四代目桂三木助の命日 です。 ◇ 四代目桂三木助(1957年〜2001年)落語家 東京都北区田端出身。本名は小林盛夫、父が敬愛する五代目小さんの「盛夫」をもらう。小林姓は五代目小さんと同姓。 立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学経済学部卒業。父は落語家三代目桂三木助。甥は二代目桂三木男。 落語協会所属。十八番ネタは「死ぬなら今」。弟子に三遊亭司(当時:桂六久助)がいたが、三木助没後は三遊亭歌司門下に移籍した。 略歴 1977年4月:人間国宝5代目柳家小さんに入門。前座名は柳家小太郎。 1981年5月:二つ目昇進。柳家小きんに改名。 1985年9月:真打昇進、4代目桂三木助襲名。 1997年 :芸術祭演芸部門優秀賞受賞。 2001年1月:自死、享年43。墓所は父と同じ台東区観音寺。 突然の死 2001年1月2日に開催された五代目小さんの誕生パーティに、三木助は無断で欠席する。その翌日に自宅で首を吊っている姿が発見される。病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。遺書には、「か 自分でも整理がつかないと同時に私の力のなさを痛感する」と書かれており、文字はかなり乱れていたという。冒頭の「か」の意味は不詳。 後日、都内ホテルにて、林家こぶ平などの親しかった落語家たちにより、三木助を送る会『さよなら!ミッキー』が催された。公私両面で付き合いが深かった小朝は、「彼はご褒美(大師匠や先輩からの賛辞)をすぐ欲しがる世代だった」と語った。 「三木助の噺は巧かった」と、彼の死後に評価した先輩落語家へは、「何で生きている時に誉めてやらなかったんだ!」と心から憤っていたという。今でも小朝は、「もし生き返らせることが出来るなら、生き返らせたい」と惜しむ。 実姉で三木助のマネジャーだった小林茂子さんが語る「真相」 名人といわれた三代目の長男として大きなプレッシャーがかかる中、三木助は亡くなった。 「鬱になってはじめて、弟の死んだ気持ちが分かった」と茂子さんが明かした。自身も昨年、鬱病を克服したことから、「どういう思いで弟が亡くなったかを伝えるのは私しかいない」という心境になった。茂子さんによると、三木助は2000年12月に医師から「鬱病の可能性が高い」と診断されていた。だが、茂子さんは三木助さんとやりとりしていたノートでは、仕事に遅刻や無断欠席が目立つと叱咤激励していた。 三木助は「姉貴へ やる気がない訳じゃない。今後、どういう芸人になるか思案はしているが、オヤジのコピーでいいのか」「四代目として立派になりたい。姉貴を名マネジャーにしたいが、思うように気持ちを返せないもどかしさがある」などと苦悩を綴っている。 三木助さんが発見されたのは3日午後1時25分頃。警視庁滝野川署などによると、三木助さんはこの日午後2時から東京・浅草演芸ホールでの高座を控えていた。母の仲子さんが、昼すぎになっても起きてこない三木助さんを起こしに1階東側の自室へ行ったところ、ジャージー姿でベランダの物干し用フックに和服のひもをかけ首をつっているのを発見。すぐに自宅近くの都立駒込病院に搬送されたが、既に意識不明の重体で午後2時5分に死亡が確認された。遺書などは見つかっていない。遺体は午後5時すぎに自宅へ戻った。 この日夜、姉でマネジャーの小林茂子さん(45)が会見。「昨年11月頃から、芸のことで悩んでいたようです。三木助という看板のプレッシャーで、つらいものを全部自分で背負っていた。今は、1階の和室で、非常に安らかな笑顔で眠っています。よく、ここまで頑張ったね、と声を掛けてあげた」と涙声で話した。 茂子さんによると、1997年12月に、芸術祭で演芸部門優秀賞を受賞してから、上を目指す気持ちが強くなったという。茂子さんは「自分の目指す芸の世界と、現在の自分との距離がかけ離れていて落ち込んでいた。落語で認められたいという気持ちが強かった」と話した。 散見された挙動不審 三木助さんは前日の2日には元気に高座をこなしたが、関係者によると、昨年11月頃から、躁鬱の状態が激しくなり、急に連絡が取れなくなることもあった。元日に東京・目白の柳家小さん(86)の自宅で行われた柳家一門の新年会と、2日夜に同所で行われた小さんの誕生日会は、それぞれ連絡もなく欠席。2日夜は自家用車で外出したが、家人によると3日午前6時には車が戻っていたという。 落語協会によると、三木助さんは昨年12月1日から10日まで東京・池袋演芸場で若手数人が出演する高座をプロデュースしたが、3日目以降、1度も顔を出さなかった。また、意味不明なことを口走ることもあり、周囲では「言動がおかしい」と話していた。 ※ 女のジェラシーは恐ろしい。でも男の嫉妬も負けず劣らずに怖ろしい。 ◇ 往路優勝、日体大の別府監督「優勝の味を忘れていた」(01/02) 第89回箱根駅伝、往路優勝した日体大の別府健至監督は、「私が大学2年のとき以来。優勝の味を忘れていた」と喜んだ。 チーム最低の総合19位に沈んだ前回の反省を受け、昨年4月から兵庫・西脇工高前監督で恩師の渡辺公二氏を「特別強化委員長」として招き、定期的に生活面やフォームのチェックを受けるようになった。こうした取り組みの成果が出た。 30年ぶりの総合優勝が懸かる復路に向けては「リードがないものとして積極的にいきたい」と平常心を強調した。 ◇ 名門・中大が初の途中棄権 中大の野脇は5区21.7キロ付近で途中棄権した。84年連続87度目の出場で最多14度の優勝を誇る名門にとっては、悪夢のような事態だった。 浦田監督は「残念。野脇は低体温症の症状で回復しています」と淡々と振り返ったが、中大初の棄権に空気は重かった。 復路は記録なしで走る。「いつも通りといっても難しいが、少しでも意地を見せられれば … 」と指揮官。これで28年連続シードの記録も断たれた。次回は予選会から挑み、連続出場を「85」に伸ばすしかない。 ◇ 今日の誕生花・スノードロップ(ヒガンバナ科) 花言葉は、「初恋のため息」。 めでたさも一茶位や雑煮餅 子規 ※ 句の出来も一茶位や汁粉餅 邪気 大空に羽子の白妙とどまれり 虚子 ※ 羽子(はご)は無患子(むくろじ)の実に羽を差した物。 たのしきらし我への賀状妻が読み 加藤楸邨 ふるさとの海の香にあり三ヶ日 鈴木真砂女 羽子板の重きが嬉し突かで立つ 長谷川かな女 五十年経てなお慕う人があり スノードロップの淡いため息 鳥海昭子 |

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