今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成25年1月18日(金)昨日:米高官、尖閣での偶発的日中衝突の危険性 懸念。

 米政府高官は17日、一部日本メディアに対し、中国機や監視船が沖縄県の尖閣諸島の領域に侵入を繰り返していることについて、「これが続けば、偶発的な衝突の危険性が高まる」と語って強い懸念を示した。 18日にワシントンで開かれる日米外相会談でも、中国に沈静化を促すメッセージを出す方針だという。

 高官は、中国政府は侵入を繰り返すことで「日本、さらには米国に挑戦している」と語った。対日防衛義務を定めた日米安全保障条約の適用対象に尖閣が含まれるとの立場をとる米政府に揺さぶりをかけているとの見方を示したものだ。



 1969年1月18日は、安田講堂で学生と機動隊が攻防戦に突入した日 です。

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 前年の医学部ストから発展した東大紛争は、学内に立てこもる学生を排除しようとする機動隊との攻防戦となり、最後の砦となった安田講堂を8500人の機動隊が包囲。徹夜の放水と催涙弾攻撃により、翌19日夕方に全学生が逮捕された。   「あさま山荘事件」(1972年)での、クレーンで鉄球を打ち込む作戦で勇名を馳せた現場指揮官・佐々淳行(さっさあつゆき)は、この東大安田講堂攻防戦でもこの作戦を提示した。だが、上司OBによりあえなく却下されている。 「君は、あの伝統ある講堂を壊す気かっ!」と一喝されたとか。


   ◇ 東大安田講堂事件の背景

 1960年代後半、ベトナム戦争が激化の一途をたどっていた。また、1970年で期限の切れる日米安全保障条約の自動延長を阻止・廃棄をめざす動きが左派陣営で起きていた。これに伴い学生によるベトナム反戦運動・第二次反安保闘争が活発化した。それと時を同じくして、高度経済成長の中、全国の国公立・私立大学においてはベビーブーム世代が大量に入学する一方で、ときに権威主義的で旧態依然とした大学運営がかいまみられた。 これに対して学生側は授業料値上げ反対・学園民主化などを求め、各大学で結成された全共闘や、それに呼応した新左翼の学生が、時に暴力を伴った闘争を展開する学園紛争(大学闘争)が起こった。

 全共闘の学生達は大学当局との「大衆団交」(団交)で自分たちの主張を唱え、それが認められない場合は、大学構内バリケード封鎖という暴力的な強硬手段に訴えた。学園紛争は次第に全国に波及し、最盛期では東京都内だけで55の大学がバリケード封鎖に入り、深刻な社会問題に発展していった。


 三島由紀夫 vs 東大全共闘



   ◇ 「インターン闘争」に始まる東大紛争

 東京大学では、医学部自治会および青年医師連合(卒業生が所属)が1968年1月下旬より登録医制度反対などを唱え通称「インターン闘争」に始まる東大紛争(東大闘争)を展開した。これに対して大学側は、3月11日に「医局員を軟禁状態にして交渉した」として17人の学生の処分を発表したが、その中に明確にその場にいなかった1人が含まれており、このことが学生側の更なる闘争激化を招くこととなる。

 3月12日に医学部総合中央館を、3月27日に安田講堂を一時占拠し、翌日予定されていた卒業式は中止された。3月26日には「医闘争支援全東大共闘連絡会議」が他学部も含めた学生有志によって結成され、卒業式阻止の主体となる。しかし、この段階では日本共産党(日本民主青年同盟、「民青」)系の自治会中央委員会や学内の七者連絡協議会は、闘争に対して批判的な立場を取ったため、全学の自治会には闘争は波及していなかった。

 医学部では新学期になってもストライキが継続していたが事態は膠着し、6月15日に医学部の「全学闘争委員会」が安田講堂を再度暴力的手段で占拠した。大学当局の大河内一男東大総長は2日後に機動隊を導入しこれを排除したが、これに対して全学の学生の反発が高まり、7月2日、安田講堂はバリケード封鎖された。その3日後に「東大闘争全学共闘会議」(全共闘)が結成された。以後、大学当局は打開を図るも更に全共闘や新左翼学生の反発を招き、東大全学部のこれらの組織に属する学生主導によるストライキや、主要な建物多数の暴力的手法による封鎖が行われた。11月には大河内総長以下、全学部長が辞任するに至る。



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   ◇ 今日の誕生花・パフィオペジラム(ラン科)(パフィオペディラム)

   花言葉は、「優雅な装い」。

   裏不二の小さく見ゆる氷哉   子規
   ※ 北から見る富士を「裏富士」、南から見る富士を「表富士」と云う。

   日凍てて空にかかるといふのみぞ   虚子
   ※ 昭和19年9月に小諸に疎開した虚子。押し潰されそうな不安の下で …

   地の涯に倖せありと来しが雪   細谷源二

   降る雪や明治は遠くなりにけり   中村草田男

   幾人(いくたり)をこの火鉢より送りけむ   加藤楸邨

 雅なる装いにしてうつむける パフィオペジラム何をか思う  鳥海昭子


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  ◇  地の涯に倖せありと来しが雪  細谷源二  ◇

 作者は昭和16年の新興俳句弾圧事件で逮捕され、二年間投獄される。 敗戦の直前に東京からの開拓移民として一家をあげて北海道に渡る。当時「来れ、沃土北海道へ、戦災を転じて産業の再編成」というスローガンの下、「拓北農民隊」と呼ばれた応募者は、東京都1719戸、大阪府583戸、神奈川県343戸、京都府257戸というように、大都市圏からの移住者が多かった。

 しかし、彼らに与えられたのは沃土どころか大部分が泥炭地や火山灰地であり、農業経験もない人たちには余りにも過酷な現実であった。掲句には過酷とも苦しみとも何も書かれてはいない。それだけに、最後に置かれた「雪」の一字が全てを語っている。

 カール・ブッセの『山のあなた』の主人公は、「幸せ」を求めた末に「涙さしぐみ、かへりきぬ」(上田敏訳)と戻ってくることができたが、当時の開拓移民にはそれすらもならない。見渡す限りの大地を覆い尽くし、なおも降りしきる雪の只中に、胸ふくらませた家族の「倖せ」などは、見るも無惨に飲み尽くされてしまった。全てを失った者の茫然自失とは、こういうことを言うのだろう。「もはや戦後は終わった」と云われて既に久しい。北海道でも語られることの少ないであろう歴史の一齣だ。(清水哲男)


 【参照】1月18日、初観音
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39646527.html

 【参照】1月18日、「明暦の大火」(1657年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/27185521.html

 【参照】1月18日、南朝・熊沢天皇現る(1946年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52976150.html

 【参照】1月18日、森山良子の誕生日(1948年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46559307.html

 【参照】1月18日、片桐はいりの誕生日(1963年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51711651.html

 【参照】1月18日、エアバス社A380の完成披露(2005年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50063111.html

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