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平成25年3月4日(月)昨日:動画サイトに無断で映画投稿百本、ついに逮捕。 動画サイトに無断で映画を投稿したとして、埼玉県警サイバー犯罪対策課と大宮署は3日、著作権法違反の疑いで、多治見市大針町、舗装工・河野直史容疑者(45)を逮捕した。 逮捕容疑は、昨年7月6日から8月7日までの間、「ドラゴン・タトゥーの女」など映画3作品を動画投稿サイト「FC2動画」にアップロードし、著作権を侵害したとされる。埼玉県警によると、「昨年4月から約百本を投稿した」などと供述しているという。 (なんで … ) 2013年3月4日、新美南吉 生誕百年に『ちちははの記』を後世に … 。 安城高女で授業中に板書 資料未収録 半田の竹内さんら教え子が再現 (2013.03.05 知多総合版 朝刊) ◇ 新美南吉(1913年7月30日 〜 1943年3月22日)児童文学作家 本名は新美正八(旧姓:渡辺)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の 作家の一人で、代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に初出された。 童話作家・新美南吉が安城市の安城高等女学校(安城高女、現安城高)で教員をしていた当時の教え子、半田市成岩本町の竹内孝子さん(87)は今も、南吉が授業中に黒板に書いた詩「ちちははの記」を記憶にとどめている。詩は、南吉が病気のため帰郷した際の心情を記した内容で、資料に残されていない。22日の南吉没後七十年を前に、竹内さんは「この幻の詩を後世に伝えたい」と願っている。(紙山直泰) 南吉は東京で創作に励んでいたが、23歳だった1936年(昭和11年)に病気を患い、故郷の半田市に帰り、二年後に安城高女の教員となった。 竹内さんは、南吉と同じ半田市岩滑地区で育った。父の佐治克巳さんは、南吉の旧制半田中学校時代の恩師で、安城高女の校長を務め、南吉が生活に苦しんでいる様子を察して教師に招いた。竹内さんは刈谷高女三年の時に安城高女に転校し、南吉が担任だったクラスに入った。 「ちちははの記」は、南吉が作文の授業で黒板に一気に書き上げ、生徒たちがノートに書き写したが、そのノートも現存していない。竹内さんら当時の教え子らは五年ほど前に記憶をつなぎ合わせ、詩をよみがえらせた。 詩には、夕暮れ時に背戸(家の裏手)の畑で働いていた両親の姿が描写されている。竹内さんは「黒板の詩を読んだ時、情景が目に浮かび、胸に深く刻まれた。今も時折、その詩を口ずさみます」と言う。 南吉の詩集「墓碑銘」を読むのが好きで、いつもそばに置いている竹内さん。「南吉先生は29歳で早世したけれども、人を感動させる多くの作品を残した。『ちちははの記』には、先生が両親を思う優しい気持ちがよく表れている。詩を伝えることで、南吉先生の人柄を伝えたい」と心に決めている。 ◇ 『ちちははの記』 ちちはは老いたまふ ちちはは腰曲がりたまふ 背戸の茶の木畑に 夕日かげりて ちちはは小さく見えたまふ その息子不孝者にして 肋膜なんぞわずらい 六尺に寝そべり 指鳴らすわざ 習はむとすれど その指痩せたれば なんでふぱちりと鳴るべきや ちちはは老いたまふ ちちはは腰曲がりたまふ ※ 「なんでふ」:副詞、なんじょう。どうして( … か)の反語表現。 ◇ 今日の誕生花・ムラサキケマン(ケシ科) 花言葉は、「あなたの助けになる」。 日一日同じ所に畠打つ 子規 来年も芹摘む頃に又来たれ 虚子 初蝶の流れ光陰流れけり 阿部みどり女 芽ぶかんとするしづけさの枝のさき 長谷川素逝 流氷や宗谷の門波(となみ)荒れやまず 山口誓子 かたくなな心をほぐす風情にて ほのぼのと咲くムラサキケマン 鳥海昭子 |

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