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平成25年3月22日(金)本日:なかなか勝てまへんなー、高木ドラゴンズ。 < 中日 4―4 ロッテ > (22日14時・ナゴヤドーム) 1970年3月22日、中山律子が第1回全日本女子プロボウリング選手権で優勝。 ◇ 中山律子( 1942年10月12日生まれ ) 群馬県吾妻郡草津町生まれ、鹿児島県育ち。女子プロボウラー1期生(ライセンス No.2)。通算タイトル33勝の永久シードプロで、公認パーフェクトは2回。 社団法人日本プロボウリング協会(JPBA)会長職を4期8年務めた後、2012年3月より名誉会長。ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)会長。現役で活躍中の愛称は「さわやか律子さん」。 花王フェザーシャンプーCM 「さわやか律子さん」 中学時代からバレーボールを始めて、高校時代にはバレーの選手として東京・熊本と2年連続で国民体育大会に出場。高校卒業後の1961年にバレーの実績を買われて旭精機(愛知県)に入社、バレーボール選手として活躍したが、入社2年目に同社がバレー部を解散し帰郷を余儀なくされる。 帰郷後、友人に誘われ初めてプレイしたボウリングで85点のスコアを出し、ボウリングの魅力に魅かれた中山は、以後ボウリングの道を歩む。1966年4月の九州大会で準優勝、1967年11月の全日本オープン選手権での準優勝をきっかけとし、1968年に東京タワーボウリングセンターにスカウトされ入社。 入社後の1969年6月に第1回女子プロテストが開催され、中山は3日目までトップだったが、終生のライバルとなる須田開代子に最終日に逆転され、2位合格でプロ入りする。須田とはアマチュア時代から面識があったものの、優勝・須田、準優勝・中山のパターンがアマ時代には多く実力的に須田の後塵を拝する事が多かった。 中山律子 パーフェクトゲーム達成(1970年) 女子プロ誕生と共に中山にも結果が付いてくる様になり、1969年9月に開催された女子プロ誕生記念大会で優勝。1970年3月22日の第1回全日本プロボウリング選手権大会でも優勝し、1970年8月21日には府中スターレーンで行われた、テレビ朝日(当時はNETテレビ)の『レディズ・チャレンジボウル』収録中に女子プロ初の公認パーフェクトゲームを達成 (女子プロ八月月例会・優勝決定戦で、対戦相手は海野房枝)。翌月のボウリング場オープン記念エキジビションでも「未公認」ながらパーフェクトを達成する。しかしながら当時は、VTRが非常に高価だったため、各TV局は収録したビデオテープを保存せず、再利用したりしていたケースが多く、中山律子の全盛期の映像はこの2件のニュースフィルムを除き殆ど残ってはいない。 また3ゲーム・シリーズ824点の女子世界最高記録も記録。 ◇ 今日の誕生花・バイモ(ユリ科) 花言葉は、「才能」。 顔を出す長屋の窓や春の雨 子規 蓴(ぬなわ)生ふる水の高さや山の池 虚子 ※ 蓴は蓴菜(じゅんさい)。深さを高さと云い替える朦朧体? 夢殿に今年の燕来てゐたり 米澤吾亦紅 ポストまで歩けば二分走れば春 鎌倉佐弓 放送の記念日と今朝聞きしより バイモ一本柱に掛ける 鳥海昭子 |

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