|
平成25年4月9日(火)昨日:僧侶が葬儀会社員を平手打ち、傷害容疑で逮捕。 埼玉県上尾市の斎場で葬儀会社の社員を平手打ちしたとして、上尾署は8日、傷害の疑いで僧侶(38)を逮捕した。 上尾署によると、僧侶は葬式のため斎場を訪れた際、別の葬式で使った提灯などを葬儀会社の社員2人が通路に置いたことに立腹して「邪魔だ」と怒鳴りつけ、謝罪した2人に暴行を加えたという。 逮捕容疑は3月22日午後0時5分頃、斎場で社員2人の胸ぐらをつかみ、顔を平手打ちするなどして怪我を負わせた疑い。 同署によると「怪我をするほど強く殴っていない」と供述している。 ※ まことに実にバカにつける薬はありませんです。ホント、困ったもんです。 4月9日は、田宮虎彦の命日 です。 ◇ 田宮虎彦(1911年〜1988年)昭和期の小説家 東京都に生まれて神戸市で育つ。船員である父親の都合で転居を繰り返し、兵庫県立第一神戸中学校から第三高等学校を卒業。三高では彼の入学年度から保証教授制度により、生徒の管理が厳しくなったが、「別に不自由な制度とは思わず、実に自由に遊び呆けて、三高生活に突入していった」と自ら明るい学生生活を振り返っている。 東京帝国大学文学部国文学科在学中から、同人誌『日暦』に参加し、小説『無花果』などを発表した。1936年、『人民文庫』創刊とともに参加するが、治安維持法により度重なる発禁処分を受けた人民文庫は廃刊となる。「沈没しようとしていた船からいち早く脱出した鼠」と古澤元は自主解散派だった田宮を評した。その後、女学校教師などをしながら小説修業を続ける。 1947年に『世界文化』に発表した『霧の中』で注目され、小説家生活に入る。精力的に作品を発表し、1951年『絵本』で毎日出版文化賞を受ける。 1956年11月、妻を胃癌で喪って悲嘆に暮れる。1957年、亡妻との往復書簡が『愛のかたみ』の題名で光文社から刊行されベストセラーとなり、多くの読者が感動したが、『群像』1957年10月号で平野謙が『誰かが言わねばならぬ〜「愛のかたみ」批判』で、夫婦観や文学観を「変態的」と評論し、一部マスコミは多額の印税で女と遊んでいると中傷した。田宮は『愛のかたみ』を絶版とした。 1988年1月に脳梗塞で倒れ、日産玉川病院にて療養。右半身不随になり、同年4月9日午前9時15分頃、同居人である旧友の子息の不在中に、東京都港区北青山二丁目のマンション11階ベランダから投身自殺。脳梗塞が再発し、手が痺れて思い通りに執筆できなくなったため命を絶つとの遺書が残されていた。享年77。墓所は多磨霊園。 父は高知市、母は香美郡香宗村(現・香南市)の出身。高知へ帰ることも多く、土佐を郷里と意識していた。 『足摺岬』など、土佐を題材とした作品も多い。船員の父親から激しい折檻をうけて育ち、父との折り合いは悪く、大学在学中も母の密かな仕送りで生活していた。 『菊坂』『絵本』『足摺岬』『異母兄弟』といった田宮の基本モティーフは、人が人であることへの絶望感である。 ◇ 今日の誕生花・オキナグサ(キンポウゲ科) 花言葉は、「華麗」「告げられぬ恋」。 踊るかな春の夕日の影法師 子規 三つ食へば葉三片や桜餅 虚子 ※ 小学生が作りし句ならそれもよし。「客観写生」の大いなる誤解。 翁草父母のくらしを忘れゐし 増田宇一 草餅を焼く天平の色に焼く 有馬朗人 ほつほつと咲いてひなたの翁草 今井杏太郎 翁草咲く丘ありてひとり行く 想い告げ得ぬ遠き日ありき 鳥海昭子 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事


