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平成25年5月12日(日)本日:五月晴れ日本全国母の日に 悔い数多あり不孝者。 本日5月12日、「女だけの相撲大会」が2横綱の古里で 行なわれました。 はっけよい! 女だけの熱戦 母の日に相撲大会 北海道福島町 千代の山、千代の富士の2横綱の出身地、北海道福島町で12日、母の日にちなんだ「女だけの相撲大会」が開かれました。今年で22回目、道内や東京から集まった“女性力士”56人が熱戦を繰り広げた。 「朝寝坊」「育ち盛り」など個性的なしこ名の力士が次々に登場し、客席から「ママ頑張れ!」と可愛らしい声援が送られた。 「倒れちゃいました」「逃げたらそりゃ負け」といったユニークな決まり手が飛び出す一方、際どい判定に物言いがついて行司軍配差し違えで勝負がつくなど、本家さながらの真剣勝負を展開した。 決勝は「おでぶ山」のしこ名で参加した札幌市のトラック運転手、山本静香さん(37)が、昨年の優勝者「悦乃海」をあびせ倒しで下し、5度目の優勝を果たした。山本さんは「昨年は左足のけがで出場できず、悔しい思いをした分、余計にうれしい。来年も出たい」と笑顔を見せた。 ◇ 母を詠む 漬物桶に塩ふれと母は産んだか 尾崎放哉 作者は、鳥取市出身。鳥取一中から一高東大を経て一流会社に就職。現代の教育ママからすれば「一づくめ」の垂涎の的である道を、ある日突然のように妻子も捨てて放浪生活に入った。このドラマチックな人生行路に引きつけられて、放哉のファンになった読者は数知れず … 。いわゆる自由律俳句である。場面は明瞭、句意も明瞭。この句が心に残るのは、単純で地味な「仕事とも言えない」仕事にたずさわらざるを得ないときの切なさに、誰しもが共感できるからなのだろう。人が生きていくなかでの寂寥のありどころを、短い言葉でずばりと言い当てている。無季。(清水哲男) 受験期の母てふ友はみな疎し 山田みづえ 喫茶店などにいると、とくに二月など、辺りから受験の話題が聞こえてくる。たいていが女たちの声だ。いつまでも途切れる様子もなく、話はつづいてゆく。なんという女どもだ、他に話題はないのかよ。と、言いたくなるが、まさかそうするわけにもいかない。この句は、たとえ同性であり友人であっても、受験生を持たない自分にとっては、そんな存在が疎ましいと書いている。だとすれば、異性で他人である私が疎ましく感じるのは、しごく当然ということになるわけだ。母親たちの受験の話が聞きづらいのは、たいていがお利口な子供を媒介にして、結局は自分の自慢話に終始するからだろう。(清水哲男) 病院に母を置きざり夕若葉 八木林之助 母親を入院させたのか、あるいは見舞いにいったのか。病院を出てくると、若葉が夕日に映えて実に美しい。ホッとさせられる。だが、その気持ちの下から、母を「置きざり」にしてきて、なぜ俺はホッとしたりできるのかという自責の念もわいてくる。肉親の入院は、人生での大きな出来事だ。最悪の事態までを考えたりと、ストレスはたまるばかり … 。だから、不確かでも一応のメドが立つと、病院を離れた瞬間に、開放的な気分になるのが人情というものだろう。この句を、センチメンタルに重く読みすぎるのは間違いだ。むしろ読者は「夕若葉」の美しさのほうをこそ、読み取るべきではあるまいか。「夕若葉」を詠んだ句は、意外に少ない。(清水哲男) 病院の窓より母の呼ばふ声「お父さん、お父さん」父、口籠りぬ 蚊帳に寝て母在る思ひ風の音 杉本 寛 昭和六十二年(1987)の作品。もはや一般家庭で蚊帳を吊るとは考えられない年代だから、これは旅先での句である。「風の音にふと目覚め、改めて蚊帳に気がついた。蚊帳は幼い思い出。それは母に繋るが」と、自註にある。このように、物を媒介にして人とつながるということは、誰にでも起きる。そのあたりの機微を、俳句ならではの表現でしっかりととらえた佳句だ。蚊帳といえば、横山隆一の漫画『フクちゃん』に、部屋いっぱいに広げた青い蚊帳を海に見立てて、海水浴ごっこをする場面があった。我々兄弟はそれを真似て、椅子の上から何度も蚊帳の海に飛び込んだ。本当の海水浴など、夢のまた夢の敗戦直後のことであった。『杉本寛集』(自註現代俳句シリーズ・俳人協会)所収。(清水哲男) 秋暁の戸のすき間なり米研ぐ母 寺山修司 炊飯器のなかった頃の飯炊きは、いま思うと大変だった。たいていの家では夜炊いていたが、子供の遠足などがあると、母親は暗いうちから起きだして炊いたものだ。親心である。そんな母親の姿が台所との戸のすき間から見えている。しらじらと明け初めてきた暁の光のなかで一心に米を研ぐ母に、作者は胸をうたれているのである。しかし、作者はこのことを永遠に母には告げないだろう。すなわち、子供は子供としての美学を抱いて生きていくのだ。ところで『新古今集』に、藤原清輔の「薄霧の籬(まがき)の花の朝じめり秋は夕べと誰かいひけむ」という歌がある。もちろん「秋は夕暮」がよいと言った清少納言へのあてこすりだが、ま、このあたりは好きずきというものだろう。あなたは、どちらが好きですか。(清水哲男) 母の日や塩壺に「しほ」と亡母の文字 川本けいし この場合は「亡母」も「はは」と読むほうがよいだろう。母の日。亡き母を思い出すよすがは、むろん人さまざまだ。作者はそれを、母親が記した壺の文字に認めている。子供のころから台所にある、ごくありふれた壺に書かれた文字が母のテであったことを、いまさらのように思い出している。「しほ」という旧仮名づかいも懐しい。現代のように容器にバラエティがなかった昔、誰もが実によく分別するための文字を書いていた。 母親が亡くなり、「しほ」の文字だけが残った。作者は、あらためて台所でしみじみと見入っている。なによりの追悼であり、なによりの遺産である。(清水哲男) 米洗ふ母とある子や蚊喰鳥 中村汀女 戦前の句。主婦俳句の第一人者といわれた汀女の句は、それがそのまま大正から昭和に至る庶民の生活記録になっていて興味深い。この句などを読むと、母親と子供との日常的なありようも、ずいぶん変わってきたことがわかる。表の井戸端で夕飯の支度をするという環境の変化もさることながら、このように、昔の子供はいつも母親の後を追っていたものだということがわかる。いまの子の多くは、母親がキッチンに立っている間は、テレビでも見ているのではなかろうか。いや、見せられているのではないだろうか。それに昔の東京の住宅地でも、このように蚊喰鳥(蝙蝠のこと)はごく普通に飛んでいて、作者の意識としては、この季節の夕景をごく普通に描写しただけにすぎないのである。つまり、句が作られた当時においては、何も特別な中身はなかったのであり、ごく平凡な月並み俳句のひとつであった。子供とともにある母親の安らぎが、句の言いたいことの全てである。それが半世紀以上も経てくると、「ほお」と好奇の目を呼び寄せたりするのだから面白い。さりげないスナップ写真が、後に貴重なデータになったりするのと同じことだ。(清水哲男) 母恋ひの若狭は遠し雁の旅 水上 勉 雁は十月頃に北方から日本にやってきて、春先まで滞在する。真雁はきれいなV字形になって飛び、菱喰(ひしくい)は一列横隊で飛ぶ。雁にも種類はいろいろあるけれども、一般によく知られているのは真雁か菱喰である。秋の大空を渡って行く雁を見あげながら、若狭出身の自分は遠いその地に残してきた母を思い出し、恋しがっているのであろう。遠い地にはしばらく帰っていないから、母にもしばらく会っていない。渡る雁は鳴いていて、その声を母を恋う自分の声であるかのように重ねながら、しばし呆然としているのかもしれない。そんな心境を、石田波郷は「胸の上に雁ゆきし空残りけり」と詠んだ。波郷には雁が去って行った空が、勉には故郷若狭が見えている。いきなりの「母恋ひ」は、私などには面映くて一瞬戸惑ってしまうけれども、若い日の水上勉の世界としてみればいかにも納得がいく。ここは北陸の若狭であるだけに、句にしっとりとした味わいが加わった。当方が若い日に読んで感激した直木賞作品「雁の寺」を、やはり想起せずにはいられない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄) あなただあれなどと母いふ暑さかな 竹内 立 とにかく暑い。そこへもってきて、母親が何度も「あなただあれ」などと問いかける。ますます暑苦しい。しかし、この暑さも母親のボケも、どうなるものでもない。じっと耐えるしかない。脂汗までが浮いてくるようだ。作者は七十一歳。しっかり者だった私の祖母も、晩年はボケた。遠く離れていたこともあり、ボケてからは会うこともなかったが、やはり「あなただあれ」を連発していたという。知人の話などを総合してみても、たいていボケた人は「あなただあれ」と言うようだ。そんな話を聞くたびに、この質問の意味は何なのかと思う。文字通りに、相手の名前や正体を質しているのだろうか。それとも幼児が「これなあに」を連発するように、正確な解答を求めるというよりも、コミュニケーションそれ自体を欲する問いにしかすぎないのか。どうも後者に近いような気がするが、このとき、質問を発する人の心持ちはどうなのだろう。気軽なのか、逆に苦しいのか。そこまでは、専門家にもわかるまい。(清水哲男) ◇ 今日の誕生花・カザグルマ(クレマチス科) 花言葉は、「心の美しさ」「高潔」。 蜻蛉(とんぼう)のつままれさうな袷哉 子規 打水に暫く藤の雫かな 虚子 新緑の夜空混み合ふ電波かな 仲 寒蝉 やはらかし風が若葉を通る音 上野章子 宇治に似て山なつかしき新茶かな 各務支考 人住まぬ家の垣根の風車 盛んに咲けりいさぎよきまで 鳥海昭子 ※ クレマチスは、日本のカザグルマ(Clematis patens)がヨーロッパへ伝えられ、さまざまな交配が重ねられ作り出されました。時に「鉄線」という名も使われますが、テッセン(Clematis florida)は中国に自生する原種です。カザグルマが8枚の花被片を持つのに対し、テッセンの花被片は6枚からなっています。 |

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