|
平成25年5月25日(土)昨日:アベノミクス相場が逆回転? 投資家の不安噴出。 23日の東京金融市場は大荒れとなり、日経平均株価が13年ぶりの下落幅で急落。安倍政権の経済政策「アベノミクス」の期待先行の脆さが浮き彫りになった。市場では依然として「相場の一時的な調整で株の上昇トレンドは変わらない」との見方が強いが、今夏に政府が策定する経済成長戦略や中期財政計画の中身次第では、外国人投資家らの失望売りで不安の連鎖につながる可能性もある。 「何かがおかしい … 」。23日午前11時過ぎ。東京都中央区の中堅証券会社の営業部に緊張が走った。パソコンに表示される日経平均株価が急速に下げ足を速めていた。 「とにかく、顧客にいったん売却を勧めよう」。営業部員は電話をかけ続ける。この緊張感は、2008年9月のリーマン・ショック時以来だ。 企業からの株式注文を扱う大手証券では、午後に入り、買い注文のキャンセルが相次いだ。買い注文が薄いなか、ヘッジファンドなどの投機筋が断続的に売りを浴びせた。 午後2時28分には、大証の日経平均先物の価格が制限値幅の下限に達したため、取引が一時ストップ。「先物の売買ができないなら、現物を売るしかない」と現物株の売りがさらに膨らんだ。個人投資家も、膨らむ損失に狼狽し、売却に動いたとみられ、「売りが売りを呼ぶ展開」になった。 急落の予兆はあった。5月以降、大きな材料もないのに、日経平均株価は上昇を続けた。上昇と下落を繰り返しながら株価が徐々に上がる場合は下落も小さいが、急ピッチな上昇は下落も急激というのが、市場関係者の経験則。投資家は売却のタイミングを探っていた。日経平均株価の先行きの振れ幅の予想を指数化した「日経平均VI」は、東日本大震災以来の高水準に達した。「VI」の別名は「恐怖指数」。投資家の不安が振れ幅の大きさになって現れるという。 23日の急落のきっかけは長期金利の急上昇だった。指標となる新発10年物国債利回りは朝方、約1年2ヶ月ぶりの高水準となる1%ちょうどまで上昇(国債価格は下落)。日銀が金利全体の押し下げを狙って4月に導入した金融緩和策とは逆の動きが続き、「日銀への信頼が多少なりとも揺らぎ、投資家心理を冷やした」(大和住銀投信投資顧問)。 ※ 上げておいて下げる、相場の乱高下。その何れでも利益を掠め取る投機家。 目に余る市場経済は、実体経済を疲弊させるばかり。曰く、アベノミステイク。 1954年5月25日、報道写真家ロバート・キャパが地雷で爆死しました。 ◇ ロバート・キャパ(Robert Capa、1913年〜1954年)(フリードマン) ハンガリー生まれの写真家。本名はフリードマン・エンドレ・エルネー。 スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争の5つの戦争を取材した20世紀を代表する戦場カメラマン、報道写真家として顕著な業績を遺す。 「ロバート・キャパ」と銘打たれた初期の作品群は、実際には、親しくしていたゲルダ・タローとの共同作業によるもの。 スペイン内戦で親交を持ったヘミングウェイ、アルジェで知り合ったスタインベック、ピカソら多方面の作家・芸術家たちとの幅広い交際もよく知られている。 1974年にICP(国際写真センター)を創設したコーネル・キャパは弟。 フリードマンは、1913年10月22日、洋服店を営んでいたユダヤ系の父フリードマン・デジェーと母ベルコヴィッチ・ユリアンナ・ヘンリエッタの次男として、ハンガリーのブダペストに生まれた。1931年に共産党活動容疑で逮捕される。釈放後は、ベルリンで写真通信社「デフォト」の暗室係となる。1933年にはユダヤ人排斥が激しくなり、ベルリンを脱出。ブダペストでヴェレシュ旅行社のカメラマンとなる。翌年にフーク・ブロック通信社の臨時雇いとなる。 フリードマンの写真はほとんど買ってもらえず、わずかに売れた場合でもひどく安値で、まともに生活できるほどの生活費が得られない状態だった。そんなフリードマンに、同じユダヤ人仲間のゲルダ・タローらが大嘘をつくことを持ちかけたという。架空の、既に偉大な業績があるカメラマン「ロバート・キャパ」なる人物がこの世にいることにしてしまって、フリードマンはその人物になりすまして、通信社を騙して写真を持ち込み売れば高く売れる、と。その頃フリードマンは、タローと同棲するようになっていた。 まず、フランスの雑誌「VU」の1936年9月23日号に、『死の瞬間の人民戦線兵士』というタイトルが付された写真が採用され、その写真が翌年にはアメリカの雑誌「LIFE」の1937年7月12日号に掲載されて、「ロバート・キャパ」の名が一躍有名となる。それこそが世に名高い『崩れ落ちる兵士』と呼ばれている写真だった。この写真により、タローの唆しの通りに、フリードマンは「ロバート・キャパ」という名前を用いるようになったようだ。 ◇ 疑惑の『崩れ落ちる兵士』 この写真は、雑誌掲載時に付記されていたタイトルや解説などにより、「1936年7月のスペイン内戦勃発時にゲルダ・タローと従軍し、9月、コルドバで頭部を撃ち抜かれ倒れる瞬間の人民戦線兵士を撮ったもの」と、世界中の人々から長らく信じられていた。現在でも、そう信じている人は少なからず居よう。 だがこの写真は、その後の長い年月を経て、数々の疑惑が浮上するようになった。「演技をさせて撮ったもの」或いは「ただ足を滑らせて転ぶ人物の写真にすぎない」などの疑惑だ。 沢木耕太郎とNHKの分析では、実際には前線から数十キロ離れた全く戦闘の無い場所で、訓練に参加した男が足を滑らせて後ろに転んだ状況の写真にすぎず、撮影者もフリードマンではなく、タローだったと推定された。 つまり、「戦場カメラマン・キャパ」は、タローの“作品”とも言うべきものだったかも知れない。 1937年7月26日、タローは、単独でスペイン内戦の撮影中に、事故に巻き込まれ死亡する。 フリードマンは、1938年には日中戦争を取材。1939年にアメリカ合衆国に移り、翌年に永住権を取得。1940年にメキシコに数ヶ月滞在し、大統領選を取材。1942年「コリアーズ(en)」誌の特派員としてロンドンに渡る。1943年に北アフリカ戦線、イタリア戦線を取材。その間に「コリアーズ」の契約を解除され、「ライフ」誌と契約する。 1944年には、ノルマンディー上陸作戦を取材。第1歩兵師団第16連隊第2大隊E中隊に従軍。 8月にはパリ解放を撮影。戦後の1946年にアメリカ市民権を獲得。1948年には第一次中東戦争を取材。 1954年4月に写真雑誌「カメラ毎日」の創刊記念に日本に招聘される。その後、「LIFE」の取材依頼を受けて北ベトナムに渡る。 5月25日、午前7時にナムディンのホテルを出発、タイビン省にあるドアイタンという陣地に向かう。午後2時30分ころドアイタンに到着。フランス軍の示威作戦に同行取材中の午後2時55分、ドアイタンから1キロの地点にある小川の堤防で地雷に抵触、爆発に巻き込まれ死亡。 ※ 彼は世に出るきっかけとなった『崩れ落ちる兵士』を生涯の十字架として、盟友・タローの如く、戦場で死ぬことを目指して突っ走ったのかも知れない。 ◇ ロバート・キャパ賞 キャパにちなんで、報道写真を対象としたロバート・キャパ賞が、海外記者クラブによる海外記者クラブ賞の1部門として設けられている。 日本人では1970年に、沢田教一がカンボジア内戦を取材中に狙撃され死亡後に受賞している。 2000年〜2001年にかけては「20世紀と人間 ロバート・キャパ賞展」が日本国内各所で開催された。 ◇ 今日の誕生花・カスミソウ(ナデシコ科) 花言葉は、「清い心」「思わば思われる」。 薄様に花包みある牡丹哉 子規 ※ 薄様(うすよう):薄手の和紙。 一輪の牡丹かかやく病間哉 就中醜き夏の草はこれ 虚子 小説のやうな人生かすみ草 木田千女 霞草活けて心をひたかくす 朝倉和江 セロファンの中の幸せかすみ草 椎名智恵子 うたかたのごときコスモスかすみ草 夢幻泡影子 それとなく宥められていて霞草 ひとりの部屋にふんわり活ける 鳥海昭子 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事


