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平成25年5月29日(水)昨日:南海トラフ地震「確度高い予測は困難」。 南海トラフで起きる大地震について、作業部会の下に設置された調査部会(座長・山岡耕春・名古屋大教授)は28日、「確度の高い予測は困難」とする報告書をまとめた。 同トラフで国が唯一、数日から数時間以内の発生の予測を前提として取り組んでいる東海地震の防災体制は、見直しを迫られる。 東海地震は想定震源域が陸寄りのため、地震の前に起きるとされる地殻変動を捉えやすいとして、気象庁が24時間態勢で観測している。その結果、東海地震発生の恐れがあると判断された場合、首相は「大規模地震対策特別措置法(大震法)」に基づき、警戒宣言を発令する。これを受け、住民の避難や交通規制などが行われる。 しかし、調査部会はその地殻変動について「確実な観測事例はない」と指摘。山岡教授は「地殻変動が観測される保証はないし、観測されても地震が起きるかどうか分からない」と話す。 また、同トラフで発生する地震には多様性があり、どの領域で発生するかについての予知も困難とし、「東海地震の発生が切迫している」という説にも疑問を投げかけた。 1953年5月29日、エドモンド・ヒラリーがエベレスト世界初登頂した日です。 人類未踏峰の世界最高峰・エベレストへの挑戦 1951年と1953年に英国は、国家の威信をかけて登山隊を派遣する 1953年5月29日、英国隊のエドモンド・ヒラリーが、ネパール人のシェルパ、 テンジン・ノルゲイと共に世界最高峰のエベレスト(標高8848メートル)に 人類で初登頂に成功する。ヒラリーは、ニュージーランドの養蜂家。 ◇ エドモンド・ヒラリー(1919年〜2008年)登山家・冒険家 ニュージーランド・オークランド出身。オークランド・グラマー・スクール卒業。存命中よりニュージーランドの銀行券5ドル紙幣の肖像に採用されている。 本業は養蜂業。幼少時は虚弱児だったが、巣箱を運ぶ作業の中で足腰が鍛えられ、190cmという長身に加え強靭な心肺機能を持つ登山家としての活動に適した体が作られたという。 1953年5月29日午前11時半、世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)に、ネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイとともに世界で最初に登頂に成功した。 エベレスト挑戦までに20,000フィート(6,096メートル)以上の高峰を11座も制していた。 1953年7月16日、イギリス王室より騎士叙勲を受ける。 エベレスト登頂後は、イギリスの南極横断遠征隊に参加し、1958年にはトラクターで南極点に到達した。 1995年4月23日に英国最高勲章であるガーター勲章を授与される。 慈善団体「ヒマラヤ基金」を創設し、ネパール・ナムチェバザール地区の開発に力を注ぐ。この地区には、彼が1960年に建設したクムジュン小学校がある。 1975年、ネパール滞在中の彼の元へと向かっていた妻と次女を飛行機事故で失った。 晩年は、ニュージーランドで再び養蜂業を営む。1989年にジェーン・マルグリューと再婚(彼女の前夫ピーター・マルグリューは、ヒラリーの登山家仲間で、1979年にニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故で死亡)。 2008年1月11日、心臓発作により88歳で逝去。同年1月22日にオークランド(ニュージーランド最大の都市)にて国葬が行われ、遺灰は遺言によりオークランドの海に撒かれた。 息子は冒険家のピーター・ヒラリー。ピーターは2002年に、エベレスト登頂50年を記念してテンジン・ノルゲイの孫、タシ・ワンチュク・テンジンと共にエベレスト登頂に成功している。 ※ 当時は、山麓まで何日もかけて大勢のポーターを引き連れて徒歩で進み、ベースキャンプまでに辿り着くのが、そもそもの大遠征だった。ヒラリーとテンジンの両氏が世界初登頂に成功した年は、英国ではエリザベス女王の戴冠式が予定されており、日本からも皇太子が昭和天皇の御名代として出席された年であった。喜ばしい年のロンドンに舞い込んだ初登頂のニュースは、英国国民を狂気乱舞させた。その後、女王はヒラリー氏を貴族の称号「ナイト」に叙している。 ◇ 今日の誕生花・セッコク(ラン科) 花言葉は、「あなたは私を元気づける」。 ちぢまれば広き天地ぞ蝸牛 子規 かたつむり甲斐も信濃も雨の中 龍太 夏草に延びてからまる牛の舌 虚子 石斛の花海境の照りわたり 黒田杏子 影を出ておどろきやすき蟻となる 寺山修司 みめよくて田植えの笠に指を添ふ 山口誓子 さわやかに白いセッコク咲きました 元気になれとたまいたる花 鳥海昭子 |

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