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平成25年8月18日(日)昨日:花火大会、京都爆発事故を受け厳戒、検査強化。 京都府福知山市の花火大会会場で起きた爆発事故で、福知山市民病院に入院していた京都府京丹波町橋爪、竹内弘美さん(44)が17日に亡くなった。17日に各地であった花火大会では、急遽、事故を受けた対応が取られた。 大津市の「船幸祭」では、消防署員が露店約100店を立ち入り検査。ガスボンベや発電機をチェックし、消火器や水バケツの有無、コンロ周辺に可燃物がないかなどを確認した。からあげ店の男性店主(55)は「福知山の事故後、ガスの部品を取り換え、消火器も用意した」と話した。 大阪府池田市と兵庫県川西市境での「猪名川花火大会」では、一部の露天商の組合が、共同で使う発電機ごとに消火器を設置。主催の両市も各店にチラシを配り、発電機を屋台から離す、火気の周辺に可燃物を置かない … などを求めた。 8月18日は、「高校野球記念日」 です。 1915年(大正4年)8月18日、大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開会しました。朝日新聞社主催の大会で、現在の全国高等学校野球選手権大会の始まりです。 全国73校から地区予選を勝ち抜いた10校が参加した。決勝戦は、延長13回の熱戦の末、2対1で京都二中が優勝しました。同チームには大辞典と50円の図書券、選手たちには腕時計が贈呈された。 この豊中球場(当時は豊中運動場と呼称)は1913年(大正2年)、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が乗客誘致の一環として建設したもので、豊中運動場では様々な催物が開催されていた。その利用策の一つとして、その当時普及著しい中等学校野球に着目したのだ。箕面有馬電気軌道の経営担当者が、大阪周辺の中等学校野球の大会を開催する案を大阪朝日新聞社に提案した。他にも近畿連合野球大会などからも要望があり、これらを受けて大阪朝日新聞社で検討を重ねた結果、全国的な大会として全国中等学校優勝野球大会を開催することになった。この際の旅費は朝日新聞社が負担したそうだ(剛毅、太っ腹)。 豊中運動場には固定式のバックネット、木製のスタンドがあり、運動場の外側は赤煉瓦で囲まれて、当時としては最高の施設だったようだ。大会期間中は、天幕やヨシズ張りの観覧席、別に応援団席などが設けられていたという。 この第1回大会は、8月18日から23日まで、全国から10校が参加して開かれ、1日5,000人の観客で賑わったという。有馬箕面電気軌道は全国中等学校優勝野球大会にあわせて、大会観覧電車を増発させたほか、特製切符や割引の全線回遊券を発売するなどサービスに努め、観客増加をはかった。また、第1日目の試合終了後に、大会参加選手一同を宝塚パラダイスに招待して慰労会を催したりもしたという(やりすぎでしょ)。 灰田勝彦『野球小僧』 野球熱が高まる一方で、参加校を増やすには、ファンを球場へ運ぶ有馬箕面電気軌道の輸送上の問題などもあり、第3回大会からは西宮・鳴尾球場に移されることとなった。阪神電気鉄道側は恒久的な事業を行いたいと考えて、大阪朝日新聞社に話をもちかけた。参加校を増やしたかった朝日が会場の倍増を望んでおり、阪神電気鉄道側に野球場の併設を希望した。阪神電気鉄道はさっそく鳴尾競馬場に野球場を二つ建設することとなった。こうして鳴尾球場は、1917年(大正6年)から全国中等学校優勝野球大会の会場となった。全国中等学校優勝野球大会は二つのグラウンドで行われていたが、一方に人気チームが出場するとそちらに観客が集まり移動式のスタンドをかついで移る光景もみられたという(当時木造の移動式スタンドが使われていたらしい)。 しかし、野球熱が益々高まるにつれて、鳴尾球場のスタンドでも観客を収容しきれない状態となり、朝日新聞社はより大きな野球場の建設を希望。一方、阪神電気鉄道も武庫川改修地に甲子園球場を建設することとなり、1924年(大正13年)、第10回からは同大会をそちらで開催するようになり、学制改革により1948年(昭和23年)から全国高校野球選手権大会となった。 ◇ 今日の誕生花・ヒャクニチソウ(キク科) 花言葉は、「友への思い」「不在の友を思う」「絆」。 あくびする口に落けり天の川 子規 墓拝む人の後ろを通りけり 虚子 百日草百日の花怠らず 遠藤梧逸 百日草洗ひ晒しの色となり 本井 英 百日草ごうごう海は鳴るばかり 三橋鷹女 天を仰ぎよく笑いたる友ありき ヒャクニチソウが咲けば想わる 鳥海昭子 |

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