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平成25年8月23日(金)昨日:藤圭子さん、知人マンションから飛び降り自殺か。 22日午前7時頃、東京都新宿区西新宿の28階建てマンション前の路上で、歌手の藤圭子さん(62)が倒れているのを通行人が発見、110番した。 藤さんは頭を強く打っており、搬送先の病院で死亡が確認された。警視庁新宿署はマンション13階の30歳代の知人男性宅から飛び降り自殺したとみている。 藤圭子『 圭子の夢は夜ひらく 』 同署幹部によると、藤さんはTシャツに短パン姿で、履いていたスリッパの片方が男性宅のベランダに残っていた。男性は在室していたが、飛び降りたことには気付かなかったという。遺書は見つかっていない。現場は、JR新宿駅の北西約1キロの都庁やオフィスビルなどが立ち並ぶ一角。 藤さんは1969年に「新宿の女」で演歌歌手としてデビュー。低音で情念をこめた歌い方で、70年の「圭子の夢は夜ひらく」がヒット。芸能界引退を表明してからは、米国でも長く生活。歌手の宇多田ヒカルさんの母親としても知られる。 1945年8月23日、スターリンは日本軍捕虜50万人の強制労働を命令する。 この日、中国に居た日本軍捕虜に対して、シベリア抑留の指示が出された。 スターリンは8月16日には日本人を捕虜として用いないという命令を内務人民委員のラヴレンチー・ベリヤに下していたが、8月23日にはこれを翻し、「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づき、日本軍捕虜50万人をソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下す。 スターリンの抑留方針決定をめぐっては、さまざまな憶測が喧伝される。 ◇ 関東軍密約説 8月26日に関東軍総司令部は「軍人、満州に生業や家庭を有するもの、希望者は、貴軍の経営に協力させ、そのほかは逐次内地に帰還させてほしい。帰還までは極力貴軍の経営に協力するよう使っていただきたい」という内容の「ワシレフスキー元帥ニ対スル報告」を作成した。 この報告書は関東軍参謀・草地貞吾の証言によると、草地が山田司令官と秦彦三郎関東軍総参謀長の決済を受けてソ連側に提出したものとされる。 また同日には「大陸方面二於テハ在留邦人及武装解除後ノ軍人ハ『ソ』聯 ノ庇護下二滿鮮二土着セシメテ生活ヲ營ム如ク『ソ』聯側二依頼スルヲ可トス」」という内容の「関東軍方面停戰状況二關スル實視報告」がソ連側に提出された。ただし作成者とされる朝枝繁春・大本営参謀はこの文書は偽造されたものであると主張している。 またソ連との停戦交渉時、瀬島龍三が同行した日本側とソ連側との間で捕虜抑留についての密約(日本側が捕虜の抑留と使役を自ら申し出たという)が結ばれたとの疑惑が、斎藤六郎・全国抑留者補償協議会会長、保阪正康らにより主張されているが、ロシア側はそのような史料を公開していない。瀬島はフジテレビ出版から上梓した『日本の証言』で、停戦協定の際のヴァシレフスキーと秦総参謀長には、上記の密約を結ぶ権限がなかったことを用いながら反論している。 ◇ 収容所での生活 シベリア抑留では、その過酷で劣悪な環境と強制労働が原因で、厚生労働省把握分では抑留者全体の1割にあたる約6万人の死亡者を出した。 一方、共産主義の教育が定期的に施され、もともと共産主義的だったり、隠れ共産党員だった捕虜が大手を振い、また「教育」によって感化された捕虜も多数いる。 「革命」や「階級闘争」の思想を育てるため、兵卒や下士官に元上官を殴らせる事もしばしばあったため、兵卒や下士官が(もともと農村出身者が多いことも影響しているが)熱心な共産主義者になることが多かった。その反面、将校クラスではそれが少なかった。共産主義者の捕虜は「民主運動」を行い、革命思想を持たない捕虜を「反動」「前職者」と呼び、執拗な吊るし上げや露骨な暴行を行った(死者も出たという)。 ◇ 転落死の藤圭子さん 葬儀行わず(8月23日13時) 22日に転落死した歌手藤圭子さん(享年62)の葬儀が行われないことが23日、分かった。 この日午後から遺体を安置する葬儀会社の担当者が、藤さんの前夫で音楽プロデューサーの宇多田照実氏からの伝言として明かしたもの。火葬の日程などは未定だという。 藤圭子『 新宿の女 』 ◇ 今日の誕生花・ナデシコ(ナデシコ科) 花言葉は、「純愛」「才能」。 きのふ活けて今日蕣の花もなし 子規 われの星燃えてをるなり星月夜 虚子 ※ 真砂なす数なき星のその中に 吾に向ひて光る星あり 子規 大阿蘇や撫子なべて傾ぎ咲く 岡井省二 撫子につながる思ひいつも母 黒川悦子 ひぐらしや熊野へしずむ山幾重 水原秋櫻子 八月の河原に咲くナデシコの なみだぐましよ今もむかしも 鳥海昭子 |

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