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平成26年3月4日(火)昨日:ロシア軍がついにウクライナに最後通告。 インタファクス通信によると、ウクライナ南部クリミア半島に駐留するロシア黒海艦隊は3日、半島内のウクライナ軍に対し、現地時間4日午前5時(日本時間同日正午)までに降伏しなければ攻撃すると最後通告した。 ◇ ウクライナへの「最後通告」報道、 露軍は「ばかげた話 … 」 インターファクス通信によると、ウクライナ南部クリミア半島に駐留するロシア軍の当局者は3日、露軍がウクライナ軍に最後通告を行ったとの報道について、「ばかげた話だ」と述べて否定した。 同通信は3日、ロシア海軍黒海艦隊の司令官がウクライナ軍に対し、4日午前5時(日本時間4日正午)までに投降しなければクリミア半島で攻撃を始めると通告したと報じていた。 ただ、ロシア軍の動向について、ウクライナの国境警備当局は3日、同国南部クリミア半島にある国境検問所が露軍によって奪取されたと発表。交戦はなかった模様だが、国境管理に支障が出ているとしている。撤退を求める国際社会の呼びかけにもかかわらず、露軍の増派が続いているとみられる。 3月4日は、賀茂真淵の誕生日 です。 ◇ 賀茂真淵(1697年〜1769年) 江戸時代中期の国学者 歌人 遠江、現在の静岡県浜松のはずれの岡部神社の神官の家に生まれた。京都に出て俗姓は岡部、幼名は三四 (そうし)、のち実名を政躬、真淵などと称し、衛士、県主、県居大人などと号す。 30歳の頃、浜松の脇本陣・梅谷家の養子となる。早くから文学に親しみ、和漢の学門を修めて、荷田派の古学や古文辞学派の影響を受け、特に漢詩や和歌に才能を発揮する。ときどき上京して荷田春満について国学を修めた。学問は大いに進んだが、4年の後、春満がなくなり、いったん故郷へ帰ってから、40歳の時に江戸に出て浪々の生活をおくりつつ、国文学を門人に教えていた。 その後、優れた学問が認められて真淵の名はしだいに高くなり、50歳のとき、将軍吉宗の第二子、田安宗武に仕えて国文学を教えた。多くの書物をあらわし、万葉集を研究して日本の古代精神の特質をあきらかにした。64歳の時に宗武の元を去り、古典の研究、古道の復興、古代歌調の復活に没頭、特に『万葉集』の研究にめざましい業績を示し、万葉調歌人としても特色をみせた。門下からは本居宣長や村田春海らのすぐれた学者を輩出し、「国意考」「歌意考」「万葉集」「源氏物語新釈」「冠辞考」など多くの著書がある。江戸にて没す、享年73。 ◇ 今日の誕生花・ムラサキケマン(ケシ科) 花言葉は、「あなたの助けになる」。 日一日同じ所に畠打つ 子規 来年も芹摘む頃に又来たれ 虚子 初蝶の流れ光陰流れけり 阿部みどり女 芽ぶかんとするしづけさの枝のさき 長谷川素逝 流氷や宗谷の門波(となみ)荒れやまず 山口誓子 かたくなな心をほぐす風情にて ほのぼのと咲くムラサキケマン 鳥海昭子 |

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