|
平成26年6月23日(月)昨日:NHKドラマ「夢千代日記」演出の深町幸男氏が死去。 深町幸男氏(演出家)、22日までに死去、83歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。関係者によると21日、東京都内の自宅で倒れているのが見つかった。事件性はないという。 新東宝助監督を経て、1963年NHKに入局。早坂暁さん脚本のドラマ「夢千代日記」3部作は、吉永小百合さんの演技と共に多くの人の記憶に残る作品になった。連続テレビ小説「水色の時」や向田邦子さん脚本の「あ・うん」なども演出。市井の人々の悲喜を温かく見つめる“深町演出”で、視聴者を魅了した。NHK退職後もテレビや舞台で活躍。 映画「長崎ぶらぶら節」では監督を務めた。1995年に紫綬褒章、2002年には勲四等旭日小綬章を受章している。 6月23日は、「プラッシーの戦い」の日です。イギリスによるインド支配が決定(1757年) ◇ プラッシーの戦い(Battle of Plassey) 1757年、インド、ベンガル地方のプラッシーで起こった、イギリス東インド会社と、ベンガル太守(ムガル帝国の地方長官)の率いる軍と後援するフランス東インド会社の連合軍との間で行われた戦い。七年戦争とも関係し、イギリス・フランス間の植民地を巡る戦いの一つ。 アンボイナ事件(1623年)以降、イギリスはインドへ本格的に進出する。その先兵になった東インド会社はボンベイやマドラス、カルカッタに商館を設置、次第に要塞化しながらインド支配の勢力拡大を図った。また、フランスもカルカッタの近くにシャンデルナゴルを建設し、18世紀初めにはイギリス勢力を圧倒していた。ガンジス川下流域のベンガル地方は、ムガル帝国時代、絹や木綿の産地であり、藍(インディゴ)やアヘンなどの集散地でもあった。ムガル帝国はこの地に太守(ナワーブ)を置いて支配したが、1707年にアウラングゼーブが死ぬと帝国は分裂状態となり、その中でこの地の太守は実質的に独立した。かねて対立関係にあったベンガル太守は、東インド会社の要塞化問題を機に軍事衝突事件を引き起こす。 ◇ 略奪帝国・英仏の代理戦争 1757年6月23日、イギリスの軍人ロバート・クライブは、東インド会社の軍隊を率いて、フランス勢力と組んだベンガル太守のシラージュ・ウッダウラとカルカッタの北方プラッシーで交戦。 ロバート・クライブの率いるイギリス東インド会社軍は僅かに欧州人兵士950人・セポイ2,100人と9門の砲・100人の砲兵を有していたのみで、これに対してフランス東インド会社と同盟していたベンガル太守のシラージュ・ウッダウラは6万を超す歩・騎兵力と40人のフランス兵が操作する重砲を含む53門の砲を装備して戦いに臨んでいた。 しかし、ベンガル太守側兵力の大部分である35,000人の歩兵と15,000人の騎兵を提供していた前ベンガル太守のミール・ジャファールはイギリス東インド会社に内通しており、ベンガル太守に忠実な部隊は5,000人に過ぎなかったため、実際の戦闘はほぼ互角の兵力で戦われた。 (ミール・ジャファールの名前は、現代の南アジア一帯で“裏切り者”の代名詞として広く使われている) 1757年6月23日、ひどく暑くじめじめした日の7時頃にベンガル太守側の砲撃で開始された戦闘は、昼になって大雨に見舞われて小休止し、イギリス東インド会社軍は素早く装備を雨から防いで雨が上がるまで待機した。しかしベンガル太守軍の兵士達は日頃の訓練不足と、情況の変化に柔軟に対応できないヒンドゥー教徒特有の性質から豪雨の中に火薬樽や銃・砲を放置し、水浸しとなった火薬は着火しなくなってしまった。 雨が止んだ午後2時頃から反撃を開始したイギリス東インド会社軍を前にして、ミール・ジャーファルの5万の大部隊は何もせずに傍観し、シラージュ・ウッダウラの部隊は火薬が水浸しで着火せず火器が使用できない状態のままイギリス東インド会社軍に一方的に攻撃されて惨敗。 この戦いでのイギリス軍側の損害は、セポイ22人が戦死し50人が負傷したのみで、ベンガル太守軍は500人が死傷し、翌年から南インドで発生した第3次カーナティック戦争にも敗北するとフランスはインドから撤退することになる。 ◇ 今日の誕生花・ヒメサユリ〔オトメユリ〕(ユリ科) 花言葉は、「飾らぬ美」。 紫陽花や壁のくづれをしぶく雨 子規 線と丸電信棒と田植笠 虚子 ※ 確かに写生、ただただ写生、ただそれだけ … 。 指さしてわがものとする崖の百合 橋本美代子 頂上の百合そちこちと立ちあがり 阿波野青畝 梅雨鴉つばさわすれてあるきけり 森川光郎 楚々として咲くヒメサユリ 看護婦のあの娘に似ると思いにとどむ 鳥海昭子 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事




