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平成26年7月24日(木)昨夜:台湾機が墜落、47人死亡 … 日本人搭乗せず。 台湾の航空当局によると、台湾南部の高雄から台湾海峡の澎湖島に向かっていた復興航空のATR72型機が23日夜、着陸に失敗し、同島内に墜落した。 葉匡時交通部長(交通相)は、乗客・乗員58人のうち、1人死亡、46人の行方が分からなくなっていると語ったが、台湾メディアは、47人が死亡したと伝えている。 台風10号が同日、台湾を直撃したため、現場付近は悪天候が続いていた。同機は同夜、着陸をやり直すとの連絡を最後に交信が途絶えていた。その後、空港近くの村で大破した状態で発見された。日本の対台湾窓口の財団法人交流協会によると、日本人は搭乗していなかった。 澎湖島は、台湾本島から西に約50キロ・メートルに位置する離島でリゾート地として知られている。 1945年7月24日、 呉軍港は連合国軍空母機動部隊航空隊により 空襲されました。 「呉軍港空襲」とは、太平洋戦争中、1945年の3月19日、7月24日、7月28日の3度に渡って行われたアメリカ海軍を中心とした連合国軍空母機動部隊航空隊による呉軍港および瀬戸内海西部への空襲作戦。 3月19日はアメリカ海軍のマーク・ミッチャー提督の第58機動部隊約350機、7月両日はウィリアム・ハルゼー提督率いる第38機動部隊約950機による空襲。日本側は高角砲や艦艇の対空射撃により激しく抵抗を行ったがほぼ全ての艦が着底、航行不能などの被害を受けた。 3月19日の第58機動部隊に対しては松山基地の三四三航空隊が呉を攻撃中のアメリカ海軍艦載機を迎撃し58機(アメリカ海軍側の記録では14機)を撃墜した。 更に、銀河が高知県沖に接近していたアメリカ海軍空母フランクリンを攻撃し大破させ、神風特攻により護衛空母及び駆逐艦1隻に損傷を与えた。7月24日の空襲では三四三航空隊が再び迎撃に向かい16機を撃墜。 一連の戦いで日本の乗組員約780人が戦死、約2000人が戦傷した。連合国軍にも大きな損失を与えたものの、工廠施設が破壊され、戦略爆撃の一環として瀬戸内海の要所にB-29から機雷を投下されたことから、呉軍港は母港としての機能を完全に喪失した。 ◇ 今日の誕生花・ニッコウキスゲ〔ゼンテイカ〕(ユリ科) 花言葉は、「日々あらたに」「心安らぐ人」。 夏の月大長刀の光哉 子規 橋裏を皆打仰ぐ涼舟 虚子 まだ逃げるつもりの土用鰻かな 伊藤伊那男 空蝉をあかるき雨の過ぎにけり 井上弘美 ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火 山原のニッコウキスゲ空に映え 日々あたらしく夏深めゆく 鳥海昭子 |

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