今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成18年10月23日(月)昨夜:衆院神奈川16区、大阪9区の両補欠選挙は安倍自民の2連勝。


 10月23日は、【山本夏彦忌】です。

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 ○ 山本夏彦(1915年6月15日〜2002年10月23日) 編集者、随筆家。
   週刊新潮「連載コラム」の歯に衣着せぬ毒舌は多くの読者の共感を得た。


 「僕は生きている人と死んだ人の区別がない」

 「読者は、作者の遺体がつめたくなると同時に去るから、蚤に似ている」

 「私は人類を愛してない。見限っている。見限ったのは大勢の人類に接して、
  一々話しあった上でのことでは ない。自分の内心を見て、愛想をつかしたのである」

 「本を読むことは、すでに死んだ人と知合いになること」

 「ナニ、古井戸は気味悪いが、のぞみ こみたくなるものではないか」

 「新時代の堕落は、旧時代の堕落に負うところが多い」

 「犬猫でさえ人類よりましである。第一彼らは銭を持たない、従って売淫しない、戦争しない」

 「煙草盆も文机も、すべて滅びる理由があって滅びたのである」

 「青少年のくせに、何らかの反逆と革新の気概がなく、テレビにうつつをぬかすなら、フヌケである 」

 「新薬の出現により百年このかた人は死ななくなった。ほんとは死ぬべき人が、 生きてこの世を歩いている」

 「生れるのが自然なら死ぬのもまた自然なのに、こんなに死ににくくなった時代はない」

 「禁じられた遊びを遊んだことのない子は、動物としての感覚を欠く」

 「原爆許すまじという。何という空虚な題目だろう」

 「その末端にある、カーをクーラーをテレビを享楽して、てっぺんの原爆だけ許すまじと歌っても、そうは問屋がおろさぬと言ったことがある」

 「知るものは言わず、言うものは知らずと言います」

 「人前で立派なことを言う人なら、たいていうそつきである」

 「ビニールレザーはビニールのくせに、革にみせかけた新建材である。その心根がいやしい」

 「その席にすわらなかった、あるいはすわれなかったばかりに吐く正論を、私は謹聴しない」

 「金を貰ったくせに、貰わぬ昔のままでいたい、またいられると思うのは心得違いである」

 「つまりこの世はうそでかためたところで、それはそれでいいのである」

 「一利は一害をともなう」

 「おめず臆せず自分の見たところを言うものは、ばかでなければ勇気あるものである」

 「書評は多く八百長だから、まにうけるとびっくりすることがある」

 「昔は軍と官が言うことを禁じたが、今は誰が禁じるのでもない、あたりをうかがってみずから禁じるのである」

 「自分の職業の「分」を守って、他の仕事に手を出さないのは、昔はいいことだったが、今はそうでなくなった」

 「用もないのに人は遠くへ行かない。パリの住民でエッフェル塔へのぼったことのないひとはいくらでもいる」

 「何の目的も学問もないものが、海外に遊んでも得るところはない。大仕掛けな「はとバス」に乗ったようなもので、故に私は海外に旅しない」

 「論より証拠というのは昔のことで、今は証拠より論の時代だとは何度も言った。論じれば証拠なんかどうにでもなる」

 「情報の時代というのは情報があり余って、並のひとなら途方にくれる時代ではなかろうか」

 「何より自分の国を陰に陽に悪くいう教科書なら、よくないにきまっている」

 「自分の国の言語を、文章を、こんなに軽んじる国民は珍しい。世界中どこにもない」

 「いまの私たちの老後の諸問題は昔はみな孝が始末していたものである」

 「コクがあるのにキレがあるなんて怪しい日本語を一ビール会社がひろめるのは恐れを知らない仕業である」

 「新しい本は、古い本を読むのを邪魔するために出る。読むべき本があるとすれば、それは古典で、十冊か二十冊である」

 「再販問題で本も雑誌も売れなくなる、文化の危機だと騒いでいるが、こんなものなくなって何の危機か」

 「カメラマンは、スキャンダルの主を追って三日三晩寝ずの番をして首尾よく盗みどりに成功すると自慢である。こんなことが男子一生の仕事かと、ためしに言ってみてもけげんな顔をするだけである」

 「浮世のことは笑うよりほかないと笑うだけである」

 「金銭というものは清く正しいものではない。邪悪な暗いものだから株屋はあっていい。ただそれには相応の差別があるべきだ」

 「わが家にピアノがあって、隣家になくて、はじめて豊かなのである」

 「原則として、大ぜいが異口同音にいうことなら、信じなくていいことだと、私は思っている」

 「縁台は個人のものであり、横丁のものであった。これを町内という。今は地域社会という。コミュニティの訳語だろうが、地域社会なんていっているかぎりよい町内はできないだろう」

 「手巻きと称して手で巻いて棒状のままを、ぬっと鼻先につきつける。なぜ切らないかと問うと、包丁の金けがうつるからだと小癪なことを言う。ついこの間まで包丁をいれていたではないか。そのころは金けはうつらなかったのか」

 「一日の苦労は一日で足りるのである。一日が充実していればそれだけでいいのである」

 「かいつまんで言え、かいつまんで」
 子を守るべき第一人は何者か?

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 滝川いじめ自殺 行政が放置 「汚点」恐れ及び腰 教育委員会機能せず 2006/10/21

 滝川市内の小学六年生の女子がいじめを苦に自殺した問題で、道教委がいじめの存在を認識しながら滝川市教委に対応を丸投げしていた事実が発覚し、またしても、いじめと向き合おうとしない教育行政の実態の一端が浮かび上がった。教育を取り巻く環境が厳しくなる一方で、「トラブル報告を『汚点』と避けたがる空気がまん延しているのでは」と指摘する声も出ている。

 「教育委員会が機能していないことがいじめ問題の一つの要因」。道東のある教育委員会関係者は、そう断言した。「本来なら独立して教育行政を行うのが基本だが、教育委員長や教育長の権限はあいまい。教育委員も『名誉職』という雰囲気が強く、責任感の薄いケースもある」

 現在、地方自治体は教育委員会を設置する義務がある。だが、今年七月、国の「規制改革・民間開放推進会議」で、その設置義務の撤廃が議論になるなど教育委員会の存在意義自体も揺らいでいる。

 そんな中で、全国二百例近くのいじめ自殺事例を研究している、NPО法人「ジェントルハートプロジェクト」(川崎)理事の武田さち子さん(48)は「教育委員会も教員も評価を落とすことを恐れ、いじめの事実を直視できない。親や本人に責任転嫁してしまうケースも多い」と指摘する。一方、北教組の小関顕太郎書記長は「文科省、道教委、市町村教委、そして校長、教員という縦の伝達が強まり、国が一方的な価値観を押し付ける流れが加速している」と危機感を抱く。

 文部科学省の調査によると、全国の公立小中高校の児童・生徒の自殺者数は、ここ七年で計約九百四十人に上る。だが、いじめによる自殺者は七年連続「ゼロ」。滝川市の事例も含まれていない。同省は年一回、都道府県教委からいじめ件数の報告を受けるが、同省児童生徒課は「教育委員会や教育現場が批判を恐れ、実態を報告していない可能性はある」と話す。

 文科省は二○○○年から、「指導力不足」教員を判定するための新しい「人事管理システム」づくりを都道府県・政令市教委に委嘱。道内では道教委と札幌市教委が実施しており、○五年度は道内の教員九人が「指導力不足」と認定された。また道教委は本年度から、人事などに活用するため、「教員評価制度」を一部の公立学校で試行。○八年度からは全公立学校で実施する方針だ。

 日本女子大・坂田仰(たかし)助教授(教育学)は「締め付けが厳しくなり、今は教育現場にゆとりがない」と分析。「いじめが表面化すると管理能力が問われたり、責任追及されたりするため、担任から管理職、教育委員会へと報告する段階で『自主規制』が働くのではないか」と指摘している。



 福岡県教委、いじめ把握を見直し 少ない報告を疑問視 2006/10/22

 福岡県教委は、同県筑前町の中学2年の男子生徒(13)の自殺をきっかけに、いじめを把握する方法を見直す方針を固めた。05年度の調査では、児童・生徒1000人あたりのいじめ発生件数は全国で2番目に少なく、最多の愛知県の1割程度。だが、いじめに気づかなかったり、学校が報告を怠ったりして、低い数字になっているだけかも知れないからだ。ひょっとしたら、件数が多い地域の方が「いじめ対応の先進地」かも――。そんな可能性も視野に、他県の取り組みも参考にする。

 福岡県では05年度、小、中、高校、特殊教育諸学校で計160件のいじめがあり、1000人あたりでは0.3件。福島県の0.1件に次いで少なく、愛知県の3.4件、千葉県の3.2件を大幅に下回っていた。

 だが、生徒が通っていた三輪中では過去数年間で7、8件のいじめがあったにもかかわらず、解決済みとして「0件」と報告していた。合谷智校長は16日の記者会見で、「あるよりない方が、頑張っているんだな、とみられるということはある」と話した。

 こうした状況に、福岡県教委の幹部は「いじめの有無で学校を評価するわけではない。むしろ『いじめはゼロ』と報告する時は先生がいじめに気づいていないと考えるべきだ」と指摘し、調査方法の見直しに取り組む考えを示した。

 調査で使われているのは、文科省が作成した全国統一の書式だ。だが、各都道府県の取り組みは一様ではない。どうすれば、いじめを把握できるのか。試行錯誤が始まっている。

 件数では00年度から連続で全国最多の愛知県。05年度は2597件に及ぶが、県教委の担当者は「数字にはひるんではいない。早期発見が大事だから」と話す。

 94年、中学2年の大河内清輝君(当時13)がいじめを苦に自殺した。以来、「あらゆるサインを見逃さない」を合言葉に取り組み、市町村教委の担当者の会議で「本人がいじめと感じれば、いじめ」と繰り返し確認しているという。

 1000人あたりの件数がワースト2位の千葉県は10年前の中学生の自殺を機に、公立中学校へのカウンセラー配置を進めた。主に教職員の相談に乗り、いじめを受けている生徒の把握を手助けしているのが特徴だ。

 高知県教委は05年度の調査にあわせ、児童・生徒の状況を把握するチェックリストを市町村に配った。「良い子で素直」や「ひょうきん」に該当する子どもは、実は「満たされない子」かもしれないと指摘している。このリストで状況把握に取り組んだ学校ほど、いじめの報告が多くなったという。担当者は「いじめの『発見率』を高めたいんです」と話す。

 福岡県の場合、従来は文科省の書式が変わった場合に変更点を伝えるほかは、国から届く用紙をそのまま市町村に転送していたという。県教委は今後、他県の取り組みも参考に、どう見直すか検討を進める。


 ※ 教師は言うまでもなく地方公務員(教育公務員)です。この国において、国民は常々、
この“お役人”を信用しているでしょうか。今は死語となったと信じたいが、ひと昔前は、
お役人は“たらい回し”の代表選手であった。あてにするべき存在ではなかった。

 かつて、そんな旧弊な時代であっても、一部地方では“先生さま”などと呼ばれて特別に
信頼されていたかの如き印象が、教師にはつきまとう。何故か?肝心の親が、わが子の教育
に無関心なのではないか。高まる教育費に反比例するが如く、わが子の成長過程に無感動に
なっていないだろうか。わが子の躾までも、学校に“丸投げ”していないだろうか。

 子の命を守るべき人間が、親以外にあるとは、容易には信じがたい。もとより誰を責める
でもない。ただ、子は親なくして育たない。近年、親はあっても子は育つ、と揶揄される親
であっても、やはり、子は親なくして育たない。親の愛なくして育たない。親が思う以上に
子どもにとって、親は大きな大きな存在なのだ。

 たとえ、全宇宙が敵であったとしても、

 そこに親の愛があれば、生きてゆけると信じたい。

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