今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 ◇ 「さいなら、吉岡さん」

 随分、寄り道をしてしまいました。書いていることもチグハグでございます。仕事の合間に、この手紙を少しずつ書くので、ひどく時間がかかります。お許しくださいませ。いよいよ、あなたにあの辛い事実を、お知らせせねばなりません。

 あの出来ごとが起こったのは、十二月の二十日でした。二十四日がクリスマスなので、私たちは患者さんたちのために、その日は、何かをして差上げる習慣がございます。どうせ、予算の乏しい病院のことですから、大したことはできませんが、せめてこのクリスマスぐらいは、病気のことを忘れてもらいたいと思っています。

 二十日の午後、私は、ミッちゃんに御殿場まで、お使いにいってもらいました。作業でできた鶏卵と刺繍とを、御殿場の理解ある店におさめてお金に替え、それを患者さんたちのお小遣いに、あてているわけでございます。今から思うと、私が行けばよかったのですが、ミッちゃんは、いつもこの仕事を悦んで手伝ってくれましたし、その日、私は他の用事で忙しかったのです。病院の使役をやってくれている島田さんと、三輪トラックに同乗して、出発したのは三時をすぎてました。彼女は例によって、『伊豆の山々』という流行歌を口ずさみ、患者さんたちに、「ミッちゃん。色気発散させてよ、高く売りつけてくれよな」「卵、わらねえように気をつけてくれよ」そう言われていました。

 五時半に、電話がかかってきました。御殿場の警察からです。電話口に出たのは私でした。ミッちゃんの名と、交通事故にあったということ、それから、収容された救急病院の場所を知らされた時、受話器をおろしたあとも、私の手は長い間ふるえていました。それから、どういう風にミッちゃんの所に駆けつけたか、今でも憶えていないほどです。とに角、駆けつけた時、ミッちゃんは既に昏睡していました。出血が多量で、おまけに首の骨が折れているという話でした。足と腕には輸血の針と、鼻には酸素吸入器のゴム管とがさしこまれ、小さな胸が波のように浮きあがったり、沈んだりしていました。

 島田さんの話では、ミッちゃんが鶏卵の箱を大事にかかえて御殿場駅の広場を横切ろうとした時、トラックがバックしてきたそうです。もし何も持っていなかったなら、素早く体を動かして、助かったかもしれません。しかし、患者さんのつくった鶏卵箱を、両手でかかえたミッちゃんは、そのまま、トラックに横むきにねじり倒されたのでした。

 「卵、卵!」、意識がなくなるまで二分ほどの間、ミッちゃんは卵のことばかり言っていたそうでした。患者さんが、不自由な体と神経のきかない手で飼った鶏の卵は、広場の真中に砕かれ、散乱し、黄色く地面に流れていました。ミッちゃんは、その卵の黄身の中に、うつ伏せに倒れたのでした。

 昏睡は、四時間ほど続きました。心臓が非常に丈夫なため、これだけ保っているので、普通ならば、とっくに脈もとまったろうという話でした。カンフルは、たえず打ちつづけて頂きましたが、昏睡からは醒めませんでした。そして、午後十時二十分に、ミッちゃんは息を引きとりました。息を引きとる前に、私は独断で御殿場の教会に電話をかけ、神父さんに来て頂いて、洗礼をミッちゃんにそっと授けて頂きました。

 昏睡している間に、ミッちゃんは一度だけ叫びました。その言葉を耳にしなかったならば、私はあなたに、このような長いお手紙を差上げなかったと思います。私はミッちゃんとあなたが、どういうお知り合いだったか存じませんし、ミッちゃんからも何もその点、聞きませんでした。しかし、昏睡中、ミッちゃんは一度だけ目をぼんやりあけました。そして、何かを探すように手を動かしました。「さいなら、吉岡さん」。

 これが、ミッちゃんのその時の言葉だったのです。それっきり彼女はもう何も言いませんでした。私は、ミッちゃんの遺品を…、といっても小さな古ぼけたトランク一つしかありませんが、川越の家に送ったばかりです。彼女の肌着やスエータを手にとりながら、あれ以来、幾度も考えたことをもう一度、心の中で噛みしめました。もし神が私に一番、好きな人間はときかれたなら、私は、即座に答えるでしょう。ミッちゃんのような人と。もし神が私に、どういう人間になりたいかと言われれば、私は即座に答えるでしょう。ミッちゃんのような人と。・・・・・


 ◇ 吉岡努の感懐

 ながい間、その手紙を見つめていた。読んでいるというよりは、見つめていた。(なんでもないじゃないか。)ぼくは自分に言いきかせた。(誰だって…、男なら、することだから。俺だけじゃないさ。)

 ぼくは、自分の気持ちに確証を与えるために、屋上の手すりに靠れて、黄昏の街を見つめた。灰色の雲の下に、無数のビルや家がある。ビルディングや家の間に無数の路がある。バスが走り、車がながれ、人々が歩きまわっている。そこには、数えきれない生活と人生がある。その数えきれない人生のなかで、ぼくのミツにしたようなことは、男なら誰だって一度は経験することだ。ほくだけではない筈だ。しかし…、しかし、この寂しさは、一体どこから来るのだろう。

 ぼくには今、小さいが手がたい幸福がある。その幸福を、ミツとの記憶のために、棄てようとは思わない。しかし、この寂しさはどこからくるのだろう。もし、ミツがぼくに何か教えたとするならば、それは、ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか。寂しさは、その痕跡からくるのだろうか。そして亦、もし、この修道女が信じている、神というものが本当にあるならば、神はそうした痕跡を通して、ぼくらに話かけるのか。しかしこの寂しさは何処からくるのだろう。

 ぼくの心にはもう一度、あの渋谷の旅館のことが甦ってきた。蚊を叩きつぶした痕のついている壁。しめった布団。そして、窓の外に雨がふっていた。雨の中を、ふとった中年の女が、だるそうに歩いていた。これが人生というものだ。そして、その人生をぼくは、ともかく、森田ミツという女と交ったのだ。黄昏の雲の下に、無数のビルや家がある。バスが走り、車がながれ、人人が歩きまわっている。ぼくと同じように、ぼくらと同じように・・・。

 『ぼくはあの時、神さまなぞは信じていなかったが、もし、神というものがあるならば、その神はこうしたつまらぬ、ありきたりの日常の偶然によって神が存在するこを、人間にみせたかもしれない。理想の女というものが現代にあるとは誰も信じないが、ぼくは今あの女を聖女だと思っている・・・・・』


 ※ 吉岡努はこの後、『沈黙』のキチジローのように、「神」の影を引き摺って生きてゆくことになるのだろうか。それが「人生の幸福」と言うならば、それは余りにも酷薄な幸福かも知れない。「神」は何故に、人間をこれほどまでに過大評価するのだろうか。自らに似せて人を造り給うた自負ゆえか。


 ◇『わたしが・棄てた・女』、解題

 「・」とは、いかなる謂か? 「わたしが棄てた女」というセンテンスではなく、「わたしが」「棄てた」「女」という三者を現し、その相関関係を意味するもの。

 「わたしが」:神そのもの
 「棄てた」:神の属性(神の沈黙)
 「女」:神の働き(ミツの無私の愛)
 ◇ 映画『私が棄てた女』 1969年(昭和44年) 監督:浦山桐郎、

 出演:浅丘ルリ子、小林トシ江、河原崎長一郎、小沢昭一、加藤武、
 加藤治子、露口茂、佐野浅夫ほか、原作:遠藤周作、脚本:山内久

 (1997年には『愛する』のタイトルで再映画化)
 監督:熊井啓、出演:酒井美紀、渡部篤郎、岸田今日子、小林桂樹、三條美紀、
 松原智恵子、宍戸錠、岡田眞澄、西田健、絵沢萌子ほか

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 ◇『わたしが・棄てた・女』 遠藤周作

 貧乏学生の吉岡努が、文通で知り合った女・森田ミツの体を奪う。安宿でのたった一度の情交だけで、吉岡はあっさりとミツのことなど忘れ去る。その後、運良く就職先で上司の親戚の可愛い女性との結婚話が進んでいく。しかし、結婚する女にはなかなか手が出せないので、ふと思い出したミツを欲望のはけ口にしようと呼び出すと、ミツはハンセン病に侵されているということを知り、吉岡は去っていく。

 結婚後、暫くして吉岡はふとミツのことを思い出し、ハンセン病の療養所に年賀状を書くのだった。やがて、その療養所に努める修道女から長い手紙が届いた。この「修道女からの手紙」こそが、この作品の中核をなすものです。吉岡の賀状は、「謹賀新年、病気の恢復を祈る」とだけ書かれたごく簡単なものだった。


 ◇ 修道女、スール・山形の手紙

 森田ミツさんに過日、お送りくださいました年賀状の御返事が、このように遅れましたことを、心からお詫び申し上げます。そして、その返事とミッちゃん(森田さんのこと、私たちも患者たちもそう呼んでいました。)に起こった出来ごとを、一日も早くお知らせしようと思いながら、多忙にまぎれ、遅延した次第でございます。

 お送りくださいました御年賀状から拝見いたしますと、ミッちゃんのその後のことは、何も御存知でないようですが、実はミッちゃんは当病院で精密検査の結果、陰性反応が判明し、ハンセン氏病ではないとわかりました。こういう例は、千人に一人ぐらいの割合で起る誤診ですが、本当に彼女には大きな痛手だったと思います。

 しかし、ミッちゃんはそのまま、病院に残りました。東京に帰っても同じだからと、例によって、口を大きくあけて笑いながら病院から去ろうとしません。人が嫌がるこんな世界から出ていこうとせず、ここで働かせてほしいというのがミッちゃんの希望でした。

 私たち修道女は、正直な話、こういうミッちゃんの気持ちを、一時的な衝動か、感傷のように考えていました。我々修道女の言葉に、愛徳の実践というものがあり、この愛徳の実践に、修道女は生きようと心がけておりますが、愛徳は感傷でも、憐憫でもございません。私たちは、悲惨な人や気の毒な方を同情しますが、同情は、本能や感傷にすぎず、つらい努力と忍耐のいる愛ではないと、教わってまいりました。だからミッちゃんの気持ちも、病気でない幸福な人間が、病気に苦しむ患者に当然、感じる一時的な感情にすぎないのだろう、と思ったのです。

 だが、そのくせ、患者さんのために働きたいというミッちゃんの申し出を私たちが受け入れたのは本当のところ、人件費を節約せねばならない(癩病院は国家の僅かな援助金と一般の御寄付でどうやら、まかなっているのです。)病院にとって、彼女が雑用をしてくれるのは、助かるからでした。病棟の掃除は、軽症患者がしてくれますが、流石に配膳や厨房の支度は、私たちの仕事でございます。また患者さんが作った農作物や刺繍などを、御殿場の商店に運ぶのは、病人たちには許されません。当然、ミッちゃんが人手不足の私たちを手伝って、こういう仕事をやってくれることになりました。

 私は、今でもミッちゃんの働いている姿が、眼にうかぶようです。

 あなたはきっと御存知でしょう、流行歌が好きなミッちゃんは、頭に白い布をかぶって配膳盆を食堂に並べながら、いろんな歌を、歌っていました。はじめはこんな俗っぽい歌を、大声で歌うのを嫌われる外人の修道女もおられましたが、やがて、ミッちゃんの無邪気さに、もう何もおっしゃらなくなったのです。私のような世間知らずでさえ、あの人から『伊豆の山々、日がくれて』という流行歌を教えてもらって、そっと歌ったくらいです。

 流行歌の次に、ミッちゃんの好きなのは、映画でした。病院では月に二度、御殿場の映画館からフィルムを借りて、患者さんに見せるのでしたが、その日になると、ミッちゃんはそわそわして、落ち着きがなくなります。患者さんたちにまじって、食堂をかねた娯楽室に、映画がうつしだされますと、一番大声をあげて騒ぐのは、ミッちゃんでした。

 そのくせ、彼女は自分で病院外の映画館には行きませんでした。一、二度私は彼女に、「ミッちゃん。日曜日なんだから、御殿場に行けばいいのに。映画みてらっしゃいよ」そう言いますと、「ううん。」彼女は首をふるのです。

 「どうしたの。面白い映画、やっているでしょ」「あなたは?」「わたしは駄目よ。修道女ですもの。勝手に出られないのよ。でも、ミッちゃんは自由なんだから、行ってらっしゃいな」「わたしも、やめとく」「どうして」「だって」と、彼女は当惑したような顔をして、「患者さんたちは映画、ほかの場所では見られないでしょう。あたし一人で行けば…行けない患者さんたちに可哀想だもん」「でも、あなたは…」「いいの。映画館、一人で行ったってさ。患者さんたちのことが気になって…詰まんないんだもん」。

 彼女の場合、こういう行為というのは、ほとんど自発的に出るようでした。私はさきほど愛徳とは、一時のみじめな者にたいする感傷や憐憫ではなく、忍耐と努力の行為だと生意気なことを申しましたが、ミッちゃんには私たちのように、こうした努力や忍耐を必要としないほど、苦しむ人々にすぐ自分を合わせられるのでした。いいえ、ミッちゃんの愛徳に、努力や忍耐がなかったと言うのではありません。彼女の場合には、愛徳の行為にわざとらしさが少しも見られなかったのです。

 私は時々、我が身とミッちゃんとをひきくらべて反省することがありました。『汝、幼児のごとく非んば』という聖書の言葉かどういう意味か、私にもわかります。「伊豆の山々、日がくれて」という流行歌が好きで、石浜朗の写真を、自分の小さな部屋の壁にはりつけている平凡な娘。そんなミッちゃんであればこそなお、神はいっそう愛し給うのではないかと思ったのです。あなたは神というものを、信じていらっしゃるか、どうか知りませんが、私たちの信じている神は、だれよりも幼児のようになることを命じられました。単純に、素直に幸福を悦ぶこと、単純に、素直に悲しみ泣くこと、…そして単純に、素直に愛の行為ができる人、それを幼児のごときと言うのでしょう。

 でも、このミッちゃんは、私が信じている神については、決して首を縦にふりませんでした。

 私自身、決して、患者さんにたいすると同様ミッちゃんにも、信仰に入れなどと奨めませんでした。ただ、二、三度、私たちはこんな会話をとりかわしたことがあります。たしか、昨年の十二月のはじめだったと思います。病院には、四人ほどの小児患者がおりましたが、(子供でもハンセン氏病にかかるのか、とお思いでしょうが、実は、抵抗力の乏しい子供ほど、この病気の進行が早いのでございます。)その小児患者のなかで、壮ちゃんという六つになる子供が、肺炎になった時、ミッちゃんはつききりで、看病しておりました。ミッちゃんの子供好きというのは、病院でも有名で、この子供たちに、自分がもらう僅かな手当から、何かを、いつも買ってやるのでした。壮ちゃんは、特に、彼女になついていたようでございます。

 壮ちゃんは既に、神経まで癩病に犯されていましたし、その上、急性の肺炎のため、ほとんど絶望的な状態になりました。ペニシリン・ショックを受けやすい子なので、あの特効薬も使えなかったのでございます。三日間、ほとんど寝ないで、ミッちゃんはこの子に、付添っておりました。三日目には流石にげっそりして、眼なども充血しているので、私は、彼女に自分の部屋に戻るように、強く言わねばならなかったほどです。

 「でも、あたしじゃなければ、壮ちゃん、ダメなの」、氷嚢袋の氷を割りながら、彼女は首をふりました。霜焼けのできたミッちゃんの手が、青紫にふくれあがっていました。「大丈夫よ。私たちがやるから。第一、あんたがまいっちゃうじゃない」そう申しますと、「あたしね、昨晩(ゆうべ)、壮ちゃんを助けてくれるなら、そのかわり、あたしが癩病になってもいいと祈ったわ。本当よ」ミッちゃんは、真剣な顔をして、そう言うのでした。「もし、神さまってあるなら…本当にこの願いをきいてくれないかなあ」「馬鹿ね。あなたは…」私はきびしい顔でたしなめました。「眠りなさい。あんた、神経まで疲れているわよ」。

 しかし私には、昨晩のミッちゃんの姿が目にうかぶようでした。この娘なら本気で手を組みあわせ、つめたい木造病棟の床にひざまずいて、壮ちゃんが助かるなら、自分がどんなに苦しくても辛抱すると、祈ったにちがいありません。もし、あなたがミッちゃんをよく御存知なら、私のこの想像が、決してウソではないとわかって頂けるでしょう。

 悲しいことに、子供はそれから五日間して、息を引きとりました。ミッちゃんがその時うけた苦痛を、私はここでは書きません。ただ彼女は怒ったようにはっきり、こう申しました。「あたし、神さまなど、あると、思わない。そんなもん、あるものですか」「なぜなの?壮ちゃんが死んだから?あなたの願いを、神が、きいてくれなかったから?」「そうじゃないの。そんなこと、今はどうでもいいんだ。ただ、あたしさ、神さまがなぜ壮ちゃんみたいな小さな子供まで苦しませるのか、わかんないもの。子供たちをいじめるのは、いけないことだもん。子供たちをいじめるものを、信じたくないわよ」。

 純真な小さな子供に癩という運命を与え、そして死という結末しか呉れなかった神に、ミッちゃんは、小さな拳をふりあげているようでした。「なぜ、悪いこともしない人に、こんな苦しみがあるの。病院の患者さんたち、みんないい人なのに」ミッちゃんが、神を否定するのは、この苦悩の意味という点にかかっていました。ミッちゃんには、苦しんでいる者たちを見るのが、何時も耐えられなかったのです。しかし、どう説明したらよいのでしょう。人間が苦しんでいる時に、主もまた、同じ苦痛をわかちあってくれているのが、私たちの信仰でございます。どんな苦しみも、あの孤独の絶望にまさるものはございません。自分一人だけが苦しんでいるという気持ちほど、希望のないものはございません。しかし、人間はたとえ砂漠の中で一人ぽっちの時でも、一人だけで苦しんでいるのではないのです。私たちの苦しみは、必ず他の人の苦しみにつながっている筈です。しかし、このことをミッちゃんにどう、わかってもらえるか。いいえ、ミッちゃんはその苦しみの連帯を、自分の人生で知らずに実践していたのです。
 ◇ リベンジ!斎藤佑樹5回2失点で勝ち投手、早大が決勝進出(13日)

 明治神宮野球大会第3日は13日、神宮球場で準決勝を行い、大学では早大の斎藤佑樹投手が先発し、八戸大(北海道・東北)に対し、5回を投げて4安打2失点だった。

 斎藤は3回1死一、三塁から暴投と左犠飛で2点の先行を許した。早大は4回に2点を入れて追いつき、5回に1点を勝ち越した。その後もリードを守り抜き、3−2で勝ったため、斎藤は勝利投手となった。

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 ◇ 九産大、斎藤佑樹KOも実らず、早大に7回コールド負け(12日)

 第38回明治神宮野球大会第2日は12日、神宮球場などで大学、高校の部の準々決勝を行い、九州勢は九産大(九州3連盟代表)と明豊(大分・九州地区代表)がともに敗れ、姿を消した。九産大は全日本選手権覇者の早大(東京六大学)の1年生エース斎藤佑を序盤に攻めて3点を奪いマウンドから引きずり降ろしたものの、先発した弘中が4回に6点を失うなど3−10で7回コールド負けを喫した。明豊は大量リードを許しながらも終盤に7点を奪って追い上げたが届かず、11−13で惜敗した

 秋季リーグ戦では最優秀防御率0.78を誇った佑ちゃんが、あっさり先制を許した。初回、先頭打者に内野安打され、失策をきっかけに1点を失う。最速147キロもマークしながら、いつものすごみは影を潜めた。負けたら終わりのトーナメントで「これ以上傷を深くできない」と、応武監督は三回の斎藤の打席に代打を送った。「小学生のときもなかった」という野球人生最短のKOだった。

 しかし、このままでは引き下がれない。「チャンスをもらえれば投げます。このまま終わりたくない」と佑ちゃんは語気を強めた。指揮官も「逆転したら明日も当然投げることになるから、と言いました」と話し、先発も視野に入れた連投の可能性が出てきた。リベンジと優勝のため13日の準決勝・八戸大戦で、再び佑ちゃんはマウンドに向かう。
 平成19年11月13日(火)昨日:FA宣言締め切り、交渉解禁は14日。

 中日・福留は大いに悩んで移籍濃厚、岩瀬はニッコリ円満残留。
 ※ 福留は球団に対する何らかの不信感を抱いてしまった。ひとつには
 岩瀬を球団の至宝とする経営側の方針に異を唱えたい思いもあるようだ。

 ◇ 鉄腕・稲尾氏、今朝未明に御逝去、謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

 元西鉄ライオンズの投手、稲尾和久氏が13日午前1時すぎ、悪性腫瘍ため、福岡市内の病院で御逝去されました。享年70。10月30日、福岡市内の病院に入院し検査を続けてきたが、この日、容態が悪化して帰らぬ人となった。


 11月13日は、奈良・慈眼寺「十夜柿供養まつり」があります。

 厄除発祥の寺として有名。創建は聖武天皇の守り仏を安置したことが始まり。
 市指定文化財である天然記念物の柿の木(樹齢400年)があります。
 柿の実を本尊にお供えして、長寿をお祈りします。

 日 時:11月13日(火)13:00〜
 場 所:慈眼寺(〒630-8252 奈良市北小路町7)
 交 通:近鉄奈良駅下車徒歩7分
 問合せ:TEL 0742-26-2936

 慈眼寺「十夜柿供養まつり」
 http://narashikanko.jp/kan_spot/kan_spot_data/w_si1.html

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 ◇ 柿喰えば渋きもしぶし日暮れどき

 『それは昨日の事であった。その人がまだ枕頭に在る間に彼は辛抱ができなくなってその柿を三つ続けさまに食った。その人が帰って後も寝るまでに十ばかりを平らげた。今夜枕頭に運ばれたものは残りのただ二つであった。

 彼はその一つを取ってその皮をむくより早くたちまちそれに武者振りついたのであったが、大方食い尽くして蔕(へた)の所に達した時に少し顔を顰めた。それはやや渋かったのであった。そういえば昨日食ったのも大方少しずつ渋かったのであった。けれども彼はそれに頓着せずにその蔕の際まで少しも残さずに食ってしまった。

 その所の渋いという事が少なからず彼の興味を惹いた。そういうありふれた事柄を、あたかも天下の大事のごとく考えながら彼はまた次の柿をむいた。今度の柿も同じく蔕の所が少し渋かった。この時彼は畢竟渋いくらいの柿でなければ旨くないのだという結論に達した。この渋くない柿よりも渋い柿の方が旨いという結論がまた彼を喜ばせた』
   高浜虚子「柿二つ」(子規を描いたもの)


 柿の実のあまきもありぬ柿の実の 渋きもありぬ渋きぞうまき  子規

 つり鐘の蔕のところが渋かりき   子規

 水飲むがごとく柿食ふ酔のあと   虚子

 柿食へば命あまさず生きよの語   石田波郷


 ◇ 柿の能書き

 「柿の皮は乞食に剥かせ、瓜の皮は大名に剥かせよ」、古よりかく言われております。貧しい者は惜しんで皮を薄く剥く、柿は皮のところにこそ旨味があるもの。鷹揚な者は構わず厚く皮を剥く、瓜は皮のところが不味い。子ども時分にこれを聞いて思えらく、乞食も大名も自ら皮を剥くことはあるまい。乞食は皮ごと食べるはずだし、大名は皮を剥かれた小片を目にするばかりだろう。

 そう言えば、柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(子規)というのがあった。わたしが柿を食べてもさっぱり鐘は鳴ってくれなかった。どうも柿は嘘つきだと思った。たまに渋いのが混ざっており、そんなのに当たるといつまでも口の中がいがらぽかった。甘柿を選ぶだけの知恵のない子どもにとって柿は好感の持てるものではなかった。


 ◇ 情けなや医は惨術になりにけり

 堺の病院職員、全盲患者を公園に置き去りにする(11月13日)

 堺市北区の総合病院「新金岡豊川総合病院」の職員4人が9月、糖尿病で入院中だった全盲の患者男性(63)を車で病院から連れ出し、大阪市西成区の公園に置き去りにしていたことがわかり、大阪府警西成署は保護責任者遺棄容疑で職員ら病院関係者から事情聴取している。この問題で、堺市保健所は、同病院に対し先月末、職員の監督を怠ったとして、医療法に基づき行政指導した。

 同署などによると、職員らは男性に退院許可が出たため、9月21日午後1時ごろ、車に乗せて大阪市住吉区内の知人女性宅を訪問。しかし、男性の引き取りを断られ同2時ごろ、男性を西成区内の公園で降ろして放置したという。職員らは放置後、匿名で119番通報。数分後に救急隊員が駆けつけ、男性を保護したため、無事だった。

 同署の調べに対し、職員は事実関係を認め、「男性は治療の術がなく、退院許可が出た。公園の近くに別の病院があり、ここなら置き去りにしても大丈夫だと思った」などと話しているという。病院側によると、男性は7年前から入院していたが、約2年半前から治療費などの支払いが滞り、トラブルになっていたという。

 新金岡豊川総合病院は「あってはならないことで、申し訳ない。なぜ、職員がこんなことをしたのかわからない。病院側から指示したわけではない」としている。同病院は1983年に設立。内科、外科、小児科、眼科などがあり、病床数183床。

 保護責任者遺棄罪は、刑法218条で「幼年者を保護する責任のある者が遺棄し、または生存に必要な保護をしなかったときは3月以上5年以下の懲役」と規定されている。自活能力のない長男に約1か月間食事を与えず、放置したとして、熊本県警が今年4月に母親を逮捕したケースなどがある。

 ※ 「あってはならないことで、申し訳ない。なぜ、職員がこんなことをしたのかわからない。病院側から指示したわけではない」、なにやら船場吉兆の言い訳じみた話で、もうなにから何まで…。

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