今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 そう言えば、こんな事があった。

 2003年11月から社保庁は国民年金保険料の収納率アップを狙い、イメージキャラクターとして江角マキコを起用したが、2004年3月、江角の17年間保険料未納が明らかとなり、契約は解除された。起用するタレントの払い込み履歴すらチェックできなかった社保庁は、当然の如くにメディアから叩かれた。

 「週刊現代」2004/4/3号・江角マキコ「年金CM」の茶番

 江角を起用した国民年金PRに投じられた広告費は総額3億8000万円。ところがこの宣伝には、信じがたい大問題があったのだ。社保庁幹部の告発では、「実は江角さん本人が年金を払っていなかったんですよ。職員は決して外部には漏らさないように、クギを刺されていました」云々。

 そして、これを端緒に政治家やら、タレントやら、ニュースキャスターやらが年金未納問題の「踏み絵」の試練に晒される事になった。一説には、社保庁自身が自らの失態を糊塗するために、マスコミにリークしたとも伝えられた。菅さんは、これが為、お四国遍路の旅に出た。「未納三兄弟」の名ゼリフと共に。

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 そして、めぐり巡って社保庁の組織全体の無能ぶりをさらけ出すことになる。

 ◇ 「宙に浮いた年金」5千万件、救済策を検討(5月23日)

 社会保険庁が管理している年金保険料の支払い記録のうち、誰のものか分からない「宙に浮いた年金」が5千万件ある問題に関し、政府・与党は22日、本来もらえる額より少ない年金しかもらっていない人に対する救済策の検討に入った。年金の受給後に本来の年金額が分かって訂正されても、本来の金額との差額についてさかのぼって追い払いを受けられるのは現状では過去5年分に限られているが、その期間を拡大する方向だ。→「5年の時効」を撤廃


 ◇ 未電子化の年金記録、1400万件(6月6日)

 社会保険庁のコンピューターに入力されていない年金記録が1430万件あることが6日、わかった。1954年までに脱退した厚生年金加入者の記録で、社保庁は「すでに年金を受け始めた人や、受給前に死亡した人の記録が多い」としながらも、一部に持ち主がわからない「宙に浮いた」記録があり、年金の受給漏れにつながっている可能性があるという。


 ◇ 年金調査「できなければ政治責任」、自民幹事長(6月8日)

 自民党の中川秀直幹事長は7日、東京都内で講演し、政府が2008年5月までに「宙に浮いた年金記録」5000万件の照合作業を終える方針を示したことについて「安倍総理が責任を持つと言った。これ以上重い言葉はない。『できなければ私が政治責任をとる』という意味だろう」と述べた。

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 ◇ 自治体が違法な徴収例、「消えた年金」の一因か(6月10日)

 過去に未納だった国民年金保険料を一括して納められるように70年代に行われた「特例納付制度」をめぐり、社会保険事務所が担うべき保険料の徴収業務を、一部で自治体が行っていた例があることが9日わかった。「消えた年金記録」問題では、特例納付の記録が消えるケースが目立ち、国会でも議論になっているが、こうした違法な処理が一因だった可能性が出てきた。社会保険庁は同様の例が他の社会保険事務所にも広がっていた可能性があるとみて、全国的な実態調査に乗り出す。

 保険料の特例納付の流れ

 特例納付は、過去に保険料を支払わなかった人の救済措置として、70〜72年、74〜75年、78〜80年の3回実施。当時、国民年金の支払窓口は市町村だったが、特例納付は社会保険事務所に直接支払うよう省令で定められていた。

 これまで社保庁は、市町村で特例納付をしたのに記録が残っていないという受給者らに「市町村で受け付けることはありえない」として修正に応じてこなかった。しかし龍ケ崎の例が明らかになったことで、当時の職員ら関係者から事情を聴くなどして、他にも違法な特例納付が行われていなかったか調査する。


 ※ こんな事もあったりする…
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 ※ これじゃー、若い人が国民年金に加入しない訳だ。

6月10日、【源信忌】

 平成19年6月10日(日)休日返上:全国の社会保険事務所で相談業務を実施します。

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 逢魔が時…
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 6月10日は、【源信忌】です。

 『往生要集』を著した平安中期の天台宗の僧・恵心僧都源信の命日。
 法然に先駆けて浄土思想を唱え、庶民はもとより貴族からも思慕された。

 ○ 源信(942年〜1017年)

 大和国(奈良)に生まれ、父は卜部氏、母は清原氏。父の死後、信仰心の篤い母の影響で9歳で比叡山中興の祖・良源(912年〜985年、元三大師)に入門、止観行、遮那行を学ぶ。15歳で村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれたが、母の教えを守り人目に立つことを避け、横川の恵心院に籠もる。1004年、権少僧都となったが、翌年辞退。1017年6月10日臨終にあたり、阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手に、合掌入滅。

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 ◇ 源信著『往生要集』(地獄・極楽のイメージを定着させた書)

 諸経論中から極楽往生の要文を抜粋し(ダイジェスト)、念仏以外に極楽往生の法のないことを問答形式で説く。日本浄土教思想の最高位の書で、平安中期以降の文学や美術などに多大な影響を与えた。永観三年(985)成立。三巻十門よりなる。

 「厭離穢土(おんりえど)」「欣求(ごんぐ)浄土」「極楽証拠」「正修念仏」「助念方法」「別時念仏」「念仏利益(りやく)」「念仏証拠」「往生諸業」「問答料簡」の十門。

 <巻上>
 大文第一 厭離穢土(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道)
 大文第二 欣求浄土(極楽浄土に生れる十楽を説く)
 大文第三 極楽証拠(極楽往生の証拠を述べる)
 大文第四 正修念仏(浄土往生の道を明らかにする)
 <巻中>
 大文第五 助念方法(念仏修行の方法論)
 大文第六 別時念仏(臨終の念仏を説く)
 <巻下>
 大文第七 念仏利益(念仏の功徳)
 大文第八 念仏証拠(念仏のる善行)
 大文第九 往生諸行(念仏の包容性)
 大文第十 問答料簡(何よりも勝れているのが念仏であると説く)

 何故ぞ、刹那の苦果に於てすら、猶ほ堪へ難きを厭ひ、永劫の苦因に於いては、自ら恣に作らんことを欣ふや。 是故に当に知るべし、煩悩と菩提と体はこれ一なりといへども、時と用と異るが故に、染浄同じからざること、水と氷の如し。 また種と果物との如し。その体はこれ一なれども、時に随ひて用は異なるなり。これに由りて、道を修する者は、本有の仏性を顕はし、道を修せざる者は、終に理を顕はすことなけむ。

 まさにこの念を作すべし。弥陀如来つねにわが身を照し、わが善根を護念し、わが機縁を観察したまひて、我もし機縁熟せば、時を失はずして引接(いんじょう)せられんと。
 (引接=仏・菩薩が衆生をその手に救い取り、悟りに導くこと)

 今、念仏を勧むるは、これ余の種々の妙行を遮るにあらず。ただこれ、男女貴賤、行住坐臥を簡(えら)ばず、時処諸縁を論ぜず、これを修するに難からず、乃至、臨終に往生を願ひ求むるに、その便宜を得ること念仏に如かず。


 ◇ 6月10日<巨人 vs 日本ハム>の試合でのアクシデント

 阿部がキャッチャーフライを取りに行ったところ、人工芝に脚を取られて
 転倒。その際、足首を捻挫。阿部は病院へ直行、ゲームは巨人が負けた。

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