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平成19年6月14日(木)昨日:あゝ、やらずぶったくりの申請主義。消えた1155億円。 時効で年金「もらい損ね」が9万人、1155億円。救済せず。 年金を受給できる年齢に達していたのに申請せずに5年以上が経過したため、時効で年金を受け取れなかった人が1999年度から2003年度までに計9万人おり、受給漏れの総額が1155億円に達していたことが13日、社会保険庁の推計で明らかになった。5000万件の「宙に浮いた年金記録」とは別問題だが、「本人が申し立てない限り、年金を支払わない」という社保庁の姿勢が改めて浮き彫りになった。 一方、1人1番号のはずの基礎年金番号を複数持っている人が2006年10月時点で約2万人いることも判明。今後、年金記録の統合作業が混乱する恐れもある。 船員保険でも36万件の入力漏れ:社会保険庁が管理する船員保険についてもコンピューターへの入力漏れが36万件あることが13日、分かった。社民党の福島瑞穂党首が記者会見で、福島氏の質問への社保庁の回答を公表。被保険者の記録(合計約170万件)のうち1950年以前に船員保険資格を喪失した人のデータという。 6月14日は、【日記の日】です。 1942年(昭和17年)のこの日、アンネ・フランクが日記を書き始めました。 死後、『アンネの日記』として世界中で有名になった日記に由来します。 1929年6月12日、アンネはドイツのフランクフルトに生まれました。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を恐れ、一家はオランダに移住。1940年5月、ドイツ軍のオランダ占領により生活環境が悪化。1942年、フランク家を中心に8人のユダヤ人がアムステルダムの隠れ家で潜伏生活に入る。ここでの暮らしは2年に及んだが、やがて密告され、全員強制収容所に送られる。アンネ・フランクは姉のマルゴーとともに、ベルゲン・ベルゼン強制収容所にて、1945年2月から3月にかけてチフスにより死亡したといわれる。死後、隠れ家での生活を闊達な筆致で描写した日記が父により出版され、世界的なベストセラーとなりました。(【日記の日】:12日説が優勢?) この日光、この雲のない青空があり、 生きてこれをながめることのできる限り、わたしは不幸ではない。 ◇ ポーランドの「アンネ」、ユダヤ少女の日記出版(2007年6月6日) ナチス・ドイツ占領下のポーランドで、当時14歳のユダヤ人少女が絶望感などをつづった日記の存在が約60年ぶりに明らかになり、イスラエルのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)記念館「ヤド・バシェム」からこのほど英語とヘブライ語で出版された。「アンネの日記」のポーランド版として話題になっている。 日記は、ポーランド南部ベンジンのユダヤ人強制居住地区で暮らしていたルトゥカ・ラスケルさんが1943年2月から1944年4月24日まで、ラスケルさんが町のユダヤ人街に強制連行される直前まで書かれており、黄ばんだノートに約60ページ分を手書きで記していた。その後、アウシュビッツ(Auschwitz)強制収容所に送られラスケルさんは死亡した。 「書くのはこれが最後かも。(ナチスが)人狩りをしている」「外に出られず気が狂いそう。でも生きたい」。占領下で暮らす苦悩をこう記す一方で、知人の少年について「こんな気持ちは今までなかった」と恋心をつづった部分もある。 筆者ルトゥカ・ラスケル(Rutka Laskier)さんの友人、スタニスラワ・サピンスカ(Stanislawa Sapinska)さん(89)がその日記を60年以上保管していたが、サピンスカさんの親戚の一人に説得され、同記念館へ寄贈される運びとなった。ラスケルさん一家はベンジン(Bedzin)という町でサピンスカさん一家が経営するアパートに住んでいた。 1944年1月27日の日記には、「わたしの心の動揺を紙面にすべて吐き出したい」と書かれている。 ◇ 平和願う「アンネのバラ」、伊那高遠町で見ごろ (6月13日) 「アンネの日記」の著者、アンネ・フランクにちなんだ「アンネのバラ」が、伊那市高遠町のバラ園「しんわの丘ローズガーデン」で見ごろを迎えている。アンネが日記をつづり始めたとされる1942年6月12日からちょうど65年の12日、大勢の来園者がかれんな花を見つめ、平和の尊さをかみしめた。 アンネのバラは、ナチスの強制収容所でわずか15年の人生を終えたユダヤ人少女アンネの父、オットーさんが、娘の死を悼み、平和への願いを込めて育てた花。日本では、1970年代にもたらされた10本の苗木が、接ぎ木などにより、その数を増してきた。 アンネのバラは、つぼみは深紅で、花を咲かせると、オレンジから黄色、ピンクへと色彩が変化するのが特徴。訪れた人たちは、少女らしい清らかさと明るさを備えていたというアンネの人柄に思いをはせた。 ◇ 人権尊重訴える「アンネのバラ」、えーるピア久留米に展示(5月16日) 「アンネの日記」の著者アンネ・フランクをしのんで開発された「アンネのバラ」が、久留米市諏訪野町の同市人権啓発センター(えーるピア久留米内)に展示されている。6月12日まで、入場無料。 アンネのバラは、第2次世界大戦中にナチス・ドイツの強制収容所で死亡したアンネにちなみ、ベルギーの園芸家が1960年に開発、発表された。その後、人権尊重と平和の象徴として、全世界で育てられている。 同センターの池尻勝美さん(62)は「『人間の本性は、やっぱり善なのだ』というアンネの言葉をかみしめながら鑑賞してほしい」と話している。
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