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平成19年6月26日(火)昨日:姑息なり 選挙に向けての あほーまんす。 安倍首相、柳沢厚労相、塩崎官房長官は25日、社会保険庁の公的年金記録不備問題の責任を取り、29日支給予定の夏のボーナスのうち首相、閣僚としての受領分を全額返上することを決めた。同問題での返上額は73万〜51万円。また社保庁の村瀬長官も夏のボーナス全額約270万円、厚労省の辻事務次官も全額約310万円を返上。首相の夏のボーナスは約536万円だが、このうち議員歳費として受け取る約302万円は公選法の規定により国庫に返上できない。 村瀬長官は、同庁の全職員約1万7千人に対し、役職に応じて6月賞与の5〜50%を自主返納するよう求める方針を明らかにした。歴代の厚生労働・厚生事務次官、同庁長官のほか、事務所長以上の幹部OB数千人にも同程度の寄付を求めるという。返納・寄付の総額は約10億円にのぼる見通し。 6月26日は、【雷記念日】です。 930年(延長8年)に平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫(きよつら)のほか、公卿一人が即死する。この落雷は政治的な策略によって太宰府に左遷され、そこで恨みの中で亡くなった菅原道真の祟りであると信じられ、大いに恐れられた。この後、道真公は名誉を回復された。これにより、菅原道真は雷の神「天神」と同一視されるようになった。(天神さま ⇒ 道真) (雷は“神鳴り”、自然の脅威に畏敬の念をもつ。) ◇ 菅原道真 (845〜903) 平安中期の学者、政治家。後世、菅公(かんこう)といわれ、学問の神様として崇められた。また遣唐使の中止を建議したことでも有名。 文章(もんじょう)博士の菅原是善の三男で、母は伴(とも)氏出身。18歳で文章生となり、877年(元慶元)には文章博士となる。10年後に讃岐守(さぬきのかみ)として赴任。在任中に中央で、宇多天皇と藤原基経の間に阿衡紛議(あこうのふんぎ)がおこり、良識ある立場で基経に自分の見解を伝えたという。帰京後、宇多天皇に重くもちいられたが、それは藤原氏の専横をおさえようとするためでもあった。 阿衡の紛議(道真の“躓きの石”となる) 平安前期におこった宇多天皇と藤原基経との政治抗争。阿衡事件ともいう。887年(仁和3)に即位した宇多天皇は、太政大臣の藤原基経に先代の光孝天皇と同じく政務をまかせるため関白に任じようとした。しかし、その際に文章博士橘広相(たちばなのひろみ)の起草した勅答(ちょくとう)に「阿衡(中国古代の宰相の職名)の任を以て卿(けい)が任となすべし」との文言があったことが問題となる。 基経は「阿衡」には具体的な職掌がなく冷遇であるとして執政を拒否。これは外戚関係のなかった宇多天皇に対する示威ともいえる行動で、学者間の対立とも関連して大きな政争に発展してしまう。また当時、参議だった橘広相は文人官僚の巨頭で、天皇の信任もあつく、広相の娘の義子と天皇の間には、二人の皇子があり、その皇子が即位した場合、広相が外戚になりうるという状況があった。 この政争のため、半年にわたって政務は滞り、基経の多数派工作の前に天皇と広相は孤立してゆく。天皇は翌年、やむなく、非を認める宣命(せんみょう)を発し、さらに基経の娘の温子(おんし)を女御(にょうご)として、入内(じゅだい)させることで妥協せざるをえなかった。 この事件により、基経の義父、良房の代にはまだ曖昧だった、成人天皇のもとでも摂政と同様の権限をもつ関白の制度が確立した。また、基経は橘広相を追い落とすと共に、文人官僚の圧迫にも成功し、摂関家藤原氏の立場は強化された。一方、宇多天皇はこの屈辱的な事件を深く根にもち、事態解決のために奔走した菅原道真を、以後、重用することになる。 891年(寛平3)、基経が没すると道真は蔵人頭(くろうどのとう)に就任する。894年には遣唐使に任命されたが、唐の戦乱や唐からまなぶ意義がうすれた事などを理由に建議して中止させ、以後遣唐使はなくなっている。(遣唐使は、もとより極めてリスクの高い命がけの任務)その後は基経の子の時平とならんでめざましい出世をとげ、中納言更に権大納言(ごんのだいなごん)へと進み、899年(昌泰2)、ついに右大臣に任じられた。 その当時、時平は左大臣で、大臣の席が藤原氏に独占されつつあった。宇多上皇の後ろ盾があったにしろ、学者出身の道真の大抜擢には反発も大きかった。二年後の901年(延喜元)、醍醐天皇を廃しようとした罪で、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷される。事件は時平の陰謀だとされるが真相は不明。大宰府におもむいた道真は配所で謹慎、望郷の内に2年後没した。 晩年の醍醐天皇は道真の怨霊に悩まされた。時平が若くして亡くなったことや、皇太子の保明親王の死などがいずれも怨霊と結びつけられた。とりわけ、930年の清涼殿への落雷による驚愕から、天皇は皇位を朱雀(すざく)天皇に譲り、数日後に没す。怨霊となった道真の祟りだとの考えが京の人々に広まった。 その結果、923年(延長元)には罪の取り消しがなされ、後には正一位太政大臣が追贈された。京都の北野天神は、十世紀半ばに道真の怨霊をしずめるためにたてられ、以後、天神信仰は雷神、農業神との関係もあり、庶民に広くうけいれられるようになる。また、すぐれた学者だったことから学問、芸道の神としても崇拝された。 大宰府配流のおりに詠んだとされる、「こち(東風)ふかば、にほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」(拾遺和歌集)は有名で、のちに飛梅伝説を生みだします。京都の梅ノ木が主の道真恋しさに、はるか九州は大宰府まで、ひとっ飛びしたと言われる在り難いお話。 ◇ あゝ神よ! 何ゆえなるか 嗚呼、神よ 「自転車で日本一周」目前で交通事故死 長野の80歳男性 25日午後1時50分ごろ、長野県小谷村北小谷の国道148号トンネル内で、自転車に乗っていた同県小川村瀬戸川、原野亀三郎さん(80)が、後ろから来た同県小谷村中土、運転手田原登(22)の大型トラックにはねられ死亡した。 原野さんはマウンテンバイクで日本一周の旅をしていた。昨年4月に自宅を出発して日本海側を北海道まで北上し、太平洋側を南下して九州・沖縄を経由。日本海側を走って今月中に長野に戻る予定だったが、自宅まで約30キロに迫った地点で事故に遭った。 原野さんは、背中に「鎮魂」と書かれたTシャツを着て自転車に乗っていた。旅先で会った人たちに「多くの戦友が亡くなった。青春がなかった彼らの代わりに、いま彼らと一緒に日本一周旅行を楽しんでいる」と話していた。 <ロッテ2−4横浜>(25日)千葉マリン 18:15開始 勝利投手:工藤公康(2勝4敗) 敗戦投手:久保康友(6勝4敗) セーブ:クルーン(1勝0敗16S) 本塁打 [横浜] 金城6号2回ソロ ※ 横浜が今季3度目の5連勝で貯金を3とした。交流戦は13勝10敗1分。 工藤(44)は2勝目、通算217勝。ロッテは首位陥落。 ※ クドちゃんが 皆に感謝の ふたつ星。 ※ 工藤投手を敬愛する山本昌(42)は、いまだ1軍浮上ならず。 今季成績は、2勝5敗、防御率4.80。通算193勝。今季200勝達成は赤信号。 5月28日に2軍落ち、6月8日に1軍復帰即登板したが、1回に3四球と 制球を乱し、5回途中で降板、再び2軍落ち。「僕が200勝出来なければ、 ドラゴンズの優勝はない」と言っていたが、当たりそうだ。 ※ 今季ペナント予想:中日2位通過、CSを経て日本一達成、めでたし。 ドラゴンズ 優勝よりも 日本一。 |

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