今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成19年6月7日(木)更に1430万件:いい(加減な)仕事、してますねー、社保庁さん!

 社会保険庁の年金記録不備問題で、基礎年金番号に統合されず該当者不明のまま「宙に浮いた」記録約5000万件とは別に、紙台帳で管理されていた厚生年金の手書き記録の一部が社保庁のコンピューターに入力されず、未統合のままとなっていることが6日、分かった。野党は「最大で1400万件に上る可能性もある」と指摘。問題の記録は1950年代前半までのもので、持ち主は厚生年金を早期脱退した現在の高齢者。

 問題の記録は「旧台帳」と呼ばれ、1954(昭和29)年4月以前に会社勤務をやめ、厚生年金を脱退した人の保険料納付状況などが記されている。旧台帳分の記録件数は、約1430万件。

 ※ ここまでくると巷間言われるように、「振り込め詐欺」の域に達しております。掛け金払い込みの遅滞には適切に、督促、延滞金などを課するが、受給についてはどこまでも申請主義。本人が申請せぬ限り頬かぶり。払い込み期間が20年未満の場合は、欠格者として一円も貰えない!これじゃー、若い世代が加入しないのも当たり前か。



 6月7日は、西田幾多郎忌 (寸心忌)


 ○ 西田幾多郎(1870<明治3>年〜1945<昭和20>年)

 京都大学教授、京都学派の創始者。彼が散策した琵琶湖疎水沿いの道は、
 「哲学の道」と呼ばれ、「日本の道・百選」に選ばれている。

 石川県生まれ。1896(明治29)年に金沢の第四高等学校講師、次いで教授。1911年(明治44)に発表した「善の研究」で、西洋哲学と充分比肩しうる独創性で日本の思想界に衝撃を与えた。西田は「善の研究」の『純粋経験』の立場に長年にわたり厳しい批判を重ね、ついに『場所の論理』に到達。その後、マルクス主義が台頭する状況下、『歴史的現実世界』の問題と取り組み、『場所』を『弁証法的世界』として具体化し、『絶対矛盾的自己同一的世界の自己限定』として『歴史的実在』の世界をとらえる立場を展開。近年、脱構築の流れに乗って世界的な再評価が進んでいる哲学者である。

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 「絶対矛盾的自己同一」

 西田自身が「私は一応、私の根本思想を明らかにした」と言うとおり、この論文には、「善の研究」以来、続けてきた哲学的煩悶の末に克ちえた極相状態の思索が刻まれている。この後、西田は死に至るまでの六年間に、経験科学や物理、芸術、論理と数理、生命などを「矛盾的自己同一の場所的論理」の立場からとらえ直す論文を次々と書き上げていく。


 ※ 以下は、西田幾多郎が我が子の死に遭遇して、人情を論ずるもの。

 『我が子の死』西田幾多郎 (抜粋)

 三十七年の夏、東圃《とうほ》君が家族を携えて帰郷せられた時、君には光子という女の児があった。愛らしい生々した子であったが、昨年の夏、君が小田原の寓居の中に意外にもこの子を失われたので、余は前年旅順において戦死せる余の弟のことなど思い浮べて、力を尽して君を慰めた。しかるに何ぞ図らん、今年の一月、余は漸く六つばかりになりたる己が次女を死なせて、かえって君より慰めらるる身となった。

 今年の春は、十年余も足帝都を踏まなかった余が、思いがけなくも或用事のために、東京に出るようになった、着くや否や東圃君の宅に投じた。君と余とは中学時代以来の親友である、殊に今度は同じ悲を抱きながら、久し振りにて相見たのである、単にいつもの旧友に逢うという心持のみではなかった。しかるに手紙にては互に相慰め、慰められていながら、面と相向うては何の語も出ず、ただ軽く弔辞を交換したまでであった。逗留七日、積る話はそれからそれと尽きなかったが、遂に一言も亡児の事に及ばなかった。ただ余の出立の朝、君は篋底《きょうてい》を探りて一束の草稿を持ち来りて、亡児の終焉記なればとて余に示された、かつ今度出版すべき文学史をば亡児の記念としたいとのこと、及び余にも何か書き添えてくれよということをも話された。君と余と相遇うて亡児の事を話さなかったのは、互にその事を忘れていたのではない、また堪え難き悲哀を更に思い起して、苦悶を新にするに忍びなかったのでもない。誠というものは言語に表わし得べきものでない、言語に表し得べきものは凡て浅薄である、虚偽である、至誠は相見て相言う能わざる所に存するのである。我らの相対して相言う能わざりし所に、言語はおろか、涙にも現わすことのできない深き同情の流が心の底から底へと通うていたのである。

 余も我子を亡くした時に深き悲哀の念に堪えなかった、特にこの悲が年と共に消えゆくかと思えば、いかにもあさましく、せめて後の思出にもと、死にし子の面影を書き残した、しかして直にこれを東圃君に送って一言を求めた。当時真に余の心を知ってくれる人は、君の外にないと思うたのである。しかるに何ぞ図らん、君は余よりも前に、同じ境遇に会うて、同じ事を企てられたのである。余は別れに臨んで君の送られたその児の終焉記を行李の底に収めて帰った。一夜眠られぬままに取り出して詳かに読んだ、読み終って、人心の誠はかくまでも同じきものかとつくづく感じた。誰か人心に定法なしという、同じ盤上に、同じ球を、同じ方向に突けば、同一の行路をたどるごとくに、余の心は君の心の如くに動いたのである。(中略)

 死にし子顔よかりき、をんな子のためには親をさなくなりぬべしなど、古人もいったように、親の愛はまことに愚痴である、冷静に外より見たならば、たわいない愚痴と思われるであろう、しかし余は今度この人間の愚痴というものの中に、人情の味のあることを悟った。カントがいった如く、物には皆値段がある、独り人間は値段以上である、目的其者である。いかに貴重なる物でも、そはただ人間の手段として貴いのである。世の中に人間ほど貴い者はない、物はこれを償うことが出来るが、いかにつまらぬ人間でも、一のスピリットは他の物を以て償うことは出来ぬ。しかしてこの人間の絶対的価値ということが、己が子を失うたような場合に最も痛切に感ぜられるのである。ゲーテがその子を失った時“Over the dead”というて仕事を続けたというが、ゲーテにしてこの語をなした心の中には、固より仰ぐべき偉大なるものがあったでもあろう。しかし人間の仕事は人情ということを離れて外に目的があるのではない、学問も事業も究竟の目的は人情のためにするのである。しかして人情といえば、たとい小なりとはいえ、親が子を思うより痛切なるものはなかろう。徒らに高く構えて人情自然の美を忘るる者はかえってその性情の卑しきを示すに過ぎない、

 征馬不前人不語(征馬前<すす>まず人語らず)
 金州城外立斜陽(金州城外、斜陽に立つ)

 の句ありていよいよ乃木将軍の人格が仰がれるのである。

 とにかく余は今度我子の果敢なき死ということによりて、多大の教訓を得た。名利を思うて煩悶絶間なき心の上に、一杓の冷水を浴びせかけられたような心持がして、一種の涼味を感ずると共に、心の奥より秋の日のような清く温き光が照して、凡ての人の上に純潔なる愛を感ずることが出来た。特に深く我心を動かしたのは、今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりしていた者が、忽ち消えて壺中の白骨となるというのは、如何なる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほどつまらぬものはない、此処には深き意味がなくてはならぬ、人間の霊的生命はかくも無意義のものではない。死の問題を解決するというのが人生の一大事である、死の事実の前には生は泡沫の如くである、死の問題を解決し得て、始めて真に生の意義を悟ることができる。

 物、窮まれば転ず、親が子の死を悲しむという如きやる瀬なき悲哀悔恨は、おのずから人心を転じて、何らかの慰安の途を求めしめるのである。夏草の上に置ける朝露よりも哀れ果敢なき一生を送った我子の身の上を思えば、いかにも断腸の思いがする。しかし翻って考えて見ると、子の死を悲む余も遠からず同じ運命に服従せねばならぬ、悲むものも悲まれるものも同じ青山の土塊と化して、ただ松風虫鳴のあるあり、いずれを先、いずれを後とも、分け難いのが人生の常である。永久なる時の上から考えて見れば、何だか滑稽にも見える。生れて何らの発展もなさず、何らの記憶も遺さず、死んだとて悲んでくれる人だにないと思えば、哀れといえばまことに哀れである。しかしいかなる英雄も赤子も死に対しては何らの意味も有たない、神の前にて凡て同一の霊魂である。オルカニヤの作といい伝えている画に、死の神が老若男女、あらゆる種々の人を捕え来りて、帝王も乞食もみな一堆《いったい》の中に積み重ねているのがある、栄辱得失もここに至っては一場の夢に過ぎない。また世の中の幸福という点より見ても、生延びたのが幸であったろうか、死んだのが幸であったろうか、生きていたならば幸であったろうというのは親の欲望である、運命の秘密は我々には分らない。特に高潔なる精神的要求より離れて、単に幸福ということから考えて見たら、凡て人生はさほど慕うべきものかどうかも疑問である。一方より見れば、生れて何らの人生の罪悪にも汚れず、何らの人生の悲哀をも知らず、ただ日々、嬉戯《きぎ》して、最後に父母の膝を枕として死んでいったと思えば、非常に美くしい感じがする、花束を散らしたような詩的一生であったとも思われる。たとえ多くの人に記憶せられ、惜まれずとも、懐かしかった親が心に刻める深き記念、骨にも徹する痛切なる悲哀は寂しき死をも慰め得て余りあるとも思う。

 最後に、いかなる人も我子の死という如きことに対しては、種々の迷を起さぬものはなかろう。あれをしたらばよかった、これをしたらよかったなど、思うて返らぬ事ながら徒らなる後悔の念に心を悩ますのである。しかし何事も運命と諦めるより外はない。運命は外から働くばかりでなく内からも働く。我々の過失の背後には、不可思議の力が支配しているようである、後悔の念の起るのは自己の力を信じ過ぎるからである。我々はかかる場合において、深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依する時、後悔の念は転じて懺悔の念となり、心は重荷を卸した如く、自ら救い、また死者に詫びることができる。『歎異抄』に「念仏はまことに浄土に生るゝ種にてやはんべるらん、また地獄に堕つべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり」といえる尊き信念の面影をも窺うを得て、無限の新生命に接することができる。

 (明治四十年十一月稿)

 「西田幾多郎全集 第一巻」岩波書店 1987(昭和62)年発行(青空文庫より)

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 【参照】1月30日、『善の研究』 刊行
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39924787.html

 【参照】5月20日、西田幾多郎の誕生日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/42447875.html

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