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平成19年6月8日(金)『美しい国』ニッポン:自殺者数、9年連続で3万人超。 2006年の国内の自殺者は32,155人で、1998年以降9年連続で3万人台となった。 「60歳以上」が11,120人で全体の34,6%。「50歳代」72,46人(22,5%) 「40歳代」5,008人(15,6%)「30歳代」4,497人(14,0%)。学生・生徒らの 自殺は886人で、53年以降、最悪。男女別では依然、男性が約7割を占める。 自殺者の32,5%に当たる10,466人が遺書を残しており、原因・動機は健康問題が 4,341人で41,5%を占め、次いで経済・生活問題が3,010人(28,8%)。 動機を年齢別にみると、60歳以上と20〜30歳代で健康問題が多く、40〜50歳代では経済・生活問題が多い。いじめや成績などの学校問題を理由にした人は、前年より28,2%多い91人で、統計の残る平成10年以来最多。いじめ自殺の続発を裏付ける。 ※ 厚労省の統計では、20〜30歳代の死亡原因別で1位が自殺、この世代の深刻さを示す。自尊心を傷つけられ、人間関係をうまく築けない人が増えている。 6月8日は、【長明忌】です。 ○ 鴨 長明(1155年〜1216年)(歌人、随筆家) 賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として生まれ、俊恵の門下に学び、歌人としても活躍したが、望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の望みを断たれた。後に出家して蓮胤を名乗ったが、一般には俗名“ながあきら”を音読みした長明(ちょうめい)として知られている。 1212年に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の嚆矢。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』、歌集『鴨長明集』といった作品がある。 長明が生きた時代は、日本史上でも特筆すべき転換期であった。武家の登場で、清盛が貴族社会を圧倒して、新たに武家の世を創めた。更には、源平の争乱が各地に起こった。そして鎌倉幕府は、わずか三代で潰えた。思想面でも新しい価値観を求めて、「日本的霊性」が芽生えた。法然、親鸞、栄西、道元、明恵などが輩出した。 鴨神社の禰宜の次男に生まれた長明は、清盛の子の徳子が入内したころに父を失った。長明、未だ二十歳足らず。だが、長明は禰宜に推されずじまいとなり、行方をくらました。 33歳のころ、長明の歌が一首だけ『千載集』に採られた。「思ひあまりうちぬる宵の幻も浪路を分けてゆき通ひけり」。46歳で後鳥羽院の北面に召され、おりから建仁元年に設けられた和歌所の寄人(よりうど)となった。このときは首尾よく宮廷歌人33人の一人に入った。だが、定家『明月記』を見るかぎり、長明の歌は定家によって無視しつづけられた。長明はかくて歌人としての名声も絶たれた。 かくて長明は遁世する。「家を出て、世をそむけり」、50歳の頃。58歳のときに『方丈記』を綴りはじめた。鴨長明が山科の日野山に「方丈」を仕立てたのは1208年のこと。鎌倉政権は源実朝を将軍に擁し、北条義時が執権体制を整え、後鳥羽上皇の京都政権との緊張は高まっていた。そんな俗世をよそに、長明は一丈四方(五畳半)の庵を構えた。「老いたる蚕の繭をいとなむがごとし」とする。62歳で没した。(「松岡正剛の千夜千冊」より抜粋)
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