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映画『青幻記 遠い日の母は美しく』(昭和48年)
◇ 映画『青幻記 遠い日の母は美しく』(117分) 製作=青幻記プロ、1973年
監督 成島東一郎
脚本 平岩弓枝、成島東一郎、伊藤昌輝
原作 一色次郎
撮影 成島東一郎
音楽 武満徹
美術 下石坂成典
出演 田村高広(大山稔)、賀来敦子(平田さわ) 、山岡久乃、戸浦六宏
奄美諸島のひとつ沖永良部島を舞台に、母と子の哀しく清々しい情愛を、美しい厳粛な大自然と対面しながら、謳いあげる。原作は一色次郎の同名小説で、映画「儀式」のカメラマン・成島東一郎が脚本・撮影も担当した監督第一回作品。
梗概
わたしは、三十年たった今も、母のことが忘れられない。ふるさとの沖永良部島の青い海と白いサンゴ礁のなかに、なつかしく、くっきり見える。ついに島を訪れたわたしは、母の幻を見た。そして、すっかり老いた鶴禎老人に会った。過ぎ去った昔の想い出を、うすれた記憶にたどる老人だった。わたしの追憶も、あの三十年前の情景をありありとよみがえらせていく。若く美しい母と、幼いわたしの日々を……。
鹿児島での祖父と、祖父の妾のたかと暮らした辛い生活から逃げるようにして、船に乗り島を初めて見たのは、母が三十歳、わたしが小学校二年生、昭和となってまもない頃だった。母と祖父とわたしの三人の、貧しくとも温く肩を寄せ合った島の生活が始まった。母は、学校帰りのわたしを、毎日迎えてくれた。それよりも、わたしは一度でもいいから、母に抱きしめてもらいたかった。しかし、母は、自分の病いがうつることを恐れて、決してわたしにふれなかった。
台風のくる頃、海は荒れ、島の食糧は枯れ、灯りの油すら買えず、闇の中でひっそり眠った。それでも、年に一度の敬老の宴で、村人たちは夜のふけるまで、酒をくみ、踊った。母の踊りは、かがり火に映え、悲しみを吐くような胸苦しいまでに美しい踊りであった。島の明るく日射しの強い美しい風景とは対照的に、死を常に感じる日々の生活がもの悲しく描かれている。武満徹の幻想的で寂しい音楽も美しい。そして、冬のある晴れた日、サンゴ礁で、草舟を浮かべたり、魚を捕ったりして、半日を遊んだ母とわたし…。
それが、母とわたしの最後の日であった。母の葬いの日。母の死を理解できないわたしは、祖母につれられ、ユタを訪ねた。ユタの夜、わたしは、母の声を幻のように聞いた。
稔さん、お母さんは、一度でいいから、あなたを力一杯抱きしめてあげたかった。稔さん…、稔さん…。
「稔さん、お母さんは一度でいいから、あなたを力一杯抱き締めたかった」と、霊になってやっと本心を吐く母・さわの幻想が悲しくて胸が締め付けられる。秋の満月の夜に母・さわが踊った「上り(ぬぶり)踊り(うどぅり)」が幻想的で神々しい。藤原釜足が演じるさわを愛したが、ふられてしまった老人も味わいがある。ラストで、母が野ざらしになっていたという話のシーンが哀切極まりない。
◇ 『青幻記』一色次郎、昭和42年8月、筑摩書房刊
「青幻記」の主人公は、東京の生活に疲れ、沖永良部島に帰ってくる。故郷への旅は、母と過ごした少年時代の記憶にさかのぼる旅でもあった。その旅の果てで、土葬されていた母の頭骨と対面する。「私は、白骨を両手にのせて、目よりも高く捧げた。母と私は、こういう位置で、向かい合っていることが多かった」。
40年前、胸を病む母は、粗暴な再婚相手と別れ、小学5年生の彼と二人、鹿児島を去った。死に場所と定めたこの故郷の島で、残り少ない時間を息子と暮らすためである。この母が、陰暦九月一五夜の敬老会で、村人に懇望され、上り口説を踊ったのである。
「立ちゆる煙は、硫黄ヶ島、佐多の岬に、はい並び、エー、あれに見ゆるは、御開聞、富士に見まがう、さくらじま」と、三味線に合わせて手おどりする母の、神々しくも痛ましい美しさは、今も彼に、ひとつの幻として刻みつけられている。
母と子の濃密な時間は直ぐに終わった。三ヶ月後、母は彼の眼前で、満潮にのまれてサンゴ礁の中に沈んでいく。自殺同然の溺死であった。回想される母は、若く不幸で美しい。母の死によって、濃密な母子関係を一気に断たれた息子の喪失感が、母の思い出を美しい幻に昇華させてゆく。母の死を悼む少年の心情を描いた自伝的な小説。
◇ 賀来敦子(1938年生まれ、本名 樋口敦子)
ほかに、1971年の大島渚『儀式』に出演しています。俳優座出身。
亡き母の面影しのび故里を 訪ね歩けば風そよぐなり
戯れに爪弾く三線(さんしん)その音にも 亡き人偲ぶよすがありけむ
大和恋し蝶になりたや蝶とても 島づたいにも大和し到らむ
ガジュマルに夜鴉鳴いて陽もおちぬ 今宵一夜はお泊りなんせ
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