今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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佃界隈ぶらりぶらぶら

 ○ きまぐれに、佃界隈ひと歩き

 佃島は、もとは東京湾にあった干潟。江戸初期に、幕府が大坂摂津の佃村から漁民を誘致し、その漁民が拝領した干潟を埋め立てて島を作り居住したのがその始まり。辺りには石川島人足寄場などもあって、頻繁に拡張されていったとか。

 明治になって、まず南西方向に埋立地が伸び、月島が誕生する。月島川を挟んで勝鬨、新月島川を挟んで勝鬨・豊海と、全長約3キロの島となる。続いて朝潮運河を挟んで晴海が出来あがります。

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 佃島そのものは江戸時代からあった場所であり、当時はかなり辺鄙な場所だったようす。対岸に明治時代からの欧米人居留地・明石町があり、第二次大戦の空襲も避けて通ったため、戦災も受けていない。(地元では、氏神・住吉神社さまのご利益と専らの評判です。)その佃が、いつの間にやら一等地になって、リバーシティなんどと称して、高層マンションなどが滅多矢鱈と出来たりして、だいぶ雰囲気は変わってしまった。古くからの住人にとっては、迷惑至極な昨今ではあります。

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 ◇ 老祖母が散歩がてらに地蔵尊

   佃天台地蔵尊(中央区佃1ー9ー6)

 江戸時代の中期、正徳5年(1715年)〜元文3年(1738年)に在住された上野寛永寺崇徳院宮法親王が地蔵菩薩を厚く信仰され、自ら地蔵尊像を描き江戸府内の寺院に賜り、地蔵尊造立を促されたと伝えられています。

 享保8年(1723年)寛永寺の宮様、大明院宮崇徳院宮、随宜楽院宮の三代にわたり、律院建立を熱願されたことから、寛永寺第六世輪王寺宮の推挙を得て、比叡山に安楽律院、日光山に興運律院、上野東叡山に浄名律院が建立され、その浄名律院(現在、浄名院)建立の際、山内に地蔵尊像を描かれた崇徳院宮法親王が、松をお手植えされたので、地蔵寺といわれるやにも伝えられていますが、浄名院第三十八世に地蔵比丘といわれた妙運大和尚が、八萬四千体石地蔵尊建立を発願され、崇徳院宮の描かれた地蔵尊を拝写され全国の信者に賜わったことからとも伝えられています。

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 妙運大和尚が地蔵比丘といわれる所以は、嘉永3年(1850年)日光山星宮の常観寺に寓した際、地蔵尊信仰の縁ににふれられ、一千体の石地蔵建立を発願され爾後、浄名院住職になられ、本格的に八萬四千体建立の大発願をなされたからといわれています。

 佃天台子育地蔵尊には、天台地蔵比丘妙運の刻銘があり、まさしく拝写されたお姿と同じく左手には如意宝珠、右手には錫杖を持たれております。またこの像を平らな自然石に刻まれていることも大変珍しいといわれています。

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 この地蔵尊に天台の二文字があることは妙運比丘が天台宗の僧であったから、いや天台宗の教義の一つに『一切衆生悉有仏性=人は本来的に仏である』とあることから、いつの頃かは定かではないですが、こう呼ばれ親しまれてきたのではなかろうかと考えられます。

 佃天台子育地蔵尊は、頑是ない子供衆の様々なことを、御守護下さる本願がおありになりますと同時に、長壽延命・家内安全・諸願成就の地蔵尊といわれていることから古くから佃島の人々はもちろんのこと、多くの人々に信仰され今日に至っております。

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 ◇ 地蔵堂、突き抜けて立つ大銀杏

 家と家とのわずかな隙間に、ひっそりと佃天台地蔵尊への入り口があります。参道などとはとても言えないような、人ひとりがようよう通れるほどの路地であります。路地を行くと地蔵尊よりも、銀杏の大木に目を奪われます。このように狭いところに何故かほどの大木が…と、誰しも不思議に思う大銀杏。(力士の髷とは、ちゃいますよ。)屋根をつきぬけて、梢も定かならぬありさま。なにやら異次元空間にタイムスリップしたかのような妙な心持ちがする。

 傍らに、「イチョウの木 保護の為、水をかけない様にお願い致します」と札がある。お地蔵様をお祀りしてある場所も狭いが、実に手入れが行き届いており、自ずと近隣の信仰深さを物語る。御本尊は奥に鎮座する黒く先の尖った形の石に線刻されて御座います。

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 ◇ 漁師まち、波除稲荷の加護を受け

 地蔵尊の向かいに、お稲荷さんが見える。元は漁師まちであった佃を何よりも雄弁に語る、波除稲荷神社で御座います。玉垣の刻銘を見れば、魚河岸や佃住民からの寄進であることがわかる。

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 ◇ 江戸情緒、佃小橋に留めおく

 路地を抜けてゆくと赤い欄干の小さな橋が見える、佃小橋である。その下の堀が佃堀。佃小橋に立つと、「大幟の柱・抱木(だき)が埋設」という看板が目にはいる。佃祭りの時の大幟の柱が、佃小橋の下に埋められて保管されている。流石に漁師の知恵が生きている。腐食の憂いが無い。佃堀には佃折本といった船宿もあるが、ぐるりと周囲を眺めれば、高層ビルが林立する。無粋の極みと言うべきか。

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 佃堀(佃川支流)は、江戸時代の埋め立てで残された東西の佃島間と、人足寄場として利用された石川島との間に残された運河の名残り。佃川は1893年に、月島を埋め立て造成したときに形成されました。幅50m程の運河でしたが、佃大橋を架ける際に埋め立てられ、現在は道路になっています。
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 ◇ 住吉の神威に抱かれ佃島  住吉神社(中央区佃1ー1ー14)

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 『西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神』と、ト部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸(おと)の阿波伎原(あわぎがはら)に於いて顕われた伊邪那岐大神の御子、底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命の三柱の神です。

 天正18年(1590年)家康公が関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫33人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡正大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉戴して江戸に下る。安藤対馬守、石川大隅守等の邸内に一時安置していたが、寛永年間に幕府より鉄砲洲向いの干潟(三角州)百間四方を賜り、築島工事を起こし、正保2年に竣工し、本国の村名を取って佃島と名付け、住吉明神の社地を定めて、正保3年(1646)6月29日、住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起こりです。

 【御祭神】

 底筒之男命(そこつつのおのみこと) (住吉三神)
 中筒之男命(なかつつのおのみこと) (住吉三神)
 表筒之男命(うわつつのおのみこと) (住吉三神)

 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) (神功皇后)
 東照御親命(あずまてるみおやのみこと) (徳川家康公)

 【例祭】8月6日

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 ◇ 名筆と誉れも高き有栖川  住吉神社の陶製扁額(中央区民文化財)

 正面鳥居の上にある扁額は珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治15年(1882年)6月に制作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁(たかひと)親王です。陶製扁額は、中央区民文化財に登録されています。

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 ◇ 住吉の境内にある歌碑のこと  水谷緑亭

 水谷緑亭(1787〜1858)の歌碑があります。緑亭は、南茅場町(現在の日本橋茅場町1丁目)に生まれ、本名は金蔵。幼児期に父を亡くし、佃島の漁師・太平次に養われた。養父母に孝養を尽くし、佃島の風俗を矯正した功績などにより、町奉行所から三度にわたり褒章を受けた。

 文化年間(1804〜1818)初めに、二世川柳・柄井弥惣右衛門の門に入り川柳を学び、腥斎佃(なまぐさいたつくり)と号す。二世没後は四世川柳・人見周助に学び、天保8年(1837年)50歳の時に五世川柳を継承する。

 五世嗣号の翌年には、初世川柳以来続いた『誹風柳多留』が、167編で刊行を終えますが、天保12年から『新編柳多留』を刊行し、嘉永2年(1849年)の終刊まで55編を数えました。緑亭は、この間に川柳の式法を作り、晩年に『柳風狂句』と名付けています。

 この句碑は、昭和41年11月に佃の人々によって建立されたもので、
 『和らかで かたく持ちたし 人ごころ』と緑亭の句が刻まれています。

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 ◇ 佃煮

 江戸の海で取れる白魚を将軍家に献上し、余りを佃煮にした。この地は佃煮発祥の地。

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 佃煮・丸久の傍らに北条秀司の歌碑があります。(所在地:中央区佃1-2-10)

 劇作家・北条秀司は佃島が好きだった。新派俳優・花柳章太郎も佃島が好きだった。二人は良く連れ立って佃島を歩き、大川の渡し船を楽しんだ。やがて「佃の渡し」の芝居を企画し、それが昭和32年12月の新橋演舞場で脚光を浴び、新派の財産を一つ殖やした。

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 「雪降れば 佃は古き 江戸の島」 秀司


 ◇ 佃島渡船跡石碑(中央区湊3-18先、中央区民文化財)

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 佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲です。この島と対岸の佃大橋西詰付近との間を通ったのが佃の渡し。明治9年(1876年)7月には、渡し銭一人5厘の掲示札の下付を願い出ている。大正15年(1926年)東京市の運営に移り、昭和2年(1927年)3月、無賃の曳船渡船となった。この石碑は、この時に建てられたものである。

 昭和30年(1955年)7月には1日70往復となったが、同39年(1964年)8月、佃大橋の完成によって廃止されました。渡船の歴史を記念する区民史跡として、中央区民文化財に登録されています。

 ※ 子どもの頃、近所の子どもと三人連れで一銭も持たずに銀座まで遊びに行った。佃の渡し船に乗って築地を経て銀座まで、子どもの脚でも苦にならなかった。地階で色んなものを試食して、5階の玩具売り場で風船を貰い、屋上の遊園地で遊具を飽かず眺めて、再び徒歩で帰ったものだ。お金がなくても、とても楽しかった。そして何よりも疲れを感じなかったものだ。


 ◇ 相生橋(あいおいばし、中央区佃〜江東区越中島)

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 相生橋は、隅田川の支流に架かる橋で、1903年交通の便と月島に水道を導くために、架けられました。橋の名前は、永代橋に相対する橋として名付けられました。その後、東京湾口に埋立地が造成されるとともに、勝鬨橋、佃大橋などが架けられ、その名の由来の意味を失っています。

 1999年にトラス橋に架け替えられました。(トラス【truss】:直線的な材料を用い、三角形を基本単位とする構造の骨組みで、各部材の節点を回転自由なピン接合としたもの。屋根組み・鉄橋などに使用する。)

 ※ 学生の頃、深夜の勉強に疲れて自転車で相生橋を渡って、中ノ島公園に入った。大きな声で牧水の「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」なんて叫んでいたら、東屋の石造りのベンチにアベックが潜んで居ました。慌てて退散したことを覚えています。ビックリした。

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7月26日、幽霊の日

 平成19年7月26日(木)柏崎刈羽原発:被害深刻、運転再開までに「最低1年」。


 ◇ 仏教系大学が古都で苦戦、定員割れでイメチェンも(7月26日)

 多くの仏教宗派の本山を抱える京都で、僧侶の子弟らが通う仏教系大学が近年、定員割れに苦しんでいる。中には看板の「仏教」を学部名などから外してイメージ一新を図る大学も。少子化に加え「一般大学卒業後に僧侶の資格を得るケースが増えたからでは」と大学の担当者は指摘する。

 弘法大師空海ゆかりの種智院大(京都市伏見区)は仏教学部(定員640人)だけの単科大。ことし4月、学部名を2008年から「人文学部」とする変更届を文部科学省に提出した。

 臨済宗系の花園大(同市中京区)は2002年、仏教学科を「国際禅学科」に改称したが、2004年以降も定員割れが続く。浄土宗系の仏教大(同市北区)は定員を満たすものの、3年前に仏教学科が姿を消した。真宗大谷派系の大谷大(同市北区)では宗祖・親鸞の教えを学ぶ真宗学科が2年連続で定員割れ。



 7月26日は、【幽霊の日】です。
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 1825年(文政8年)、浅草中村座で四世・鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演。
 東海道四谷怪談は、夫・民谷伊右衛門に毒殺された四谷左門の娘お岩の復讐話で
 江戸の町に実際に起こった事件をモデルにしています。

 愛を裏切り、毒を盛った民谷伊右衛門を呪い殺そうとするお岩様の亡霊。
 そして最後に伊右衛門は、四十七士の一人、佐藤与茂七に討たれます。

 もともと『東海道四谷怪談』は、1825年7月の初演では、『忠臣蔵』と併演されました。伊右衛門は、討ち入りに加わろうとしなかった不忠義な家臣という設定。そして初日に『忠臣蔵』前半と『四谷怪談』前半を、二日目に『四谷怪談』後半と『忠臣蔵』後半を組み入れることで、光と影、忠義と不忠義を合せ鏡のように見せ、互いを際立たせる演出です。

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 ◇ 元祖「うらめしや〜」、鶴屋南北

 わが国の幽霊は、「うらめしや〜」がお定めですが、これは『四谷怪談』の「ただ恨めしき伊右衛門殿、喜兵衛一家の者どもも、なに安穏におくべきや。思えば思えば、ええ恨めしい」という、お岩様のセリフが始まりだとか。鶴屋南北の台詞が今も尚生き続けるいると思えば、南北の霊も浮かばれよう。

 この演目、三代目・尾上菊五郎が大坂へと出向くお名残狂言として企画されたもの。上演の内容とは関係なく、彼が江戸から大坂へと下るため『東海道』と付けたのです。しかし、菊五郎は結局、大坂には行かなかったとか。
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 ◇ 田宮稲荷神社跡(都旧跡:新宿区左門町17番地)(通称:於岩稲荷)

 文化文政期に江戸文化は爛熟期に達し、いわゆる化政時代を出現させた。歌舞伎は民衆娯楽の中心になった。「東海道四谷怪談」の作者として有名な四代目鶴屋南北(金井三笑の門人で幼名源蔵、のち伊之助、文政12年(1829年)11月27日歿)も化政時代の著名人である。「東海道四谷怪談」の主人公・田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)の妻お岩を祭ったお岩稲荷神社の旧地である。物語は文政10年(1827年)10月名主茂八郎が町の伝説を集録して、町奉行に提出した「文政町方書上」にある伝説を脚色したものである。明治5年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、昭和27年再びここに移転したものである。 東京都教育委員会

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 ◇ 「お岩さま」は美人で貞淑、幸福な生涯を全うされました

四谷怪談で有名な「お岩さま」は、江戸の初期、四谷左門町で夫を助け、健気な一生を送った女性で、左門町にある「於岩稲荷田宮神社」はそのお岩さまを祀っています。

お岩は徳川家の御家人の田宮又左衛門の娘で、夫の田宮伊左衛門とは人も羨むとても仲のいい夫婦だった。しかし、30俵3人扶持というから毎年の俸給は16石足らずで、田宮家の台所はいつも火の車だった。お岩夫婦は家計を支えるために商家に奉公に出て働き、またお岩が屋敷社を熱心に信仰したこともあり、田宮家はかつての隆盛を取り戻した。

お岩は美人で貞淑な女性であったと言われており、そのお岩の熱心な信仰のために田宮家が復興したという話は、たちまち江戸の評判になり、人々はお岩の幸運にあやかろうとして、屋敷社を「お岩稲荷」と呼んで参拝し、信仰するようになったとか。

お岩が亡くなってから200年後の江戸時代後期、鶴屋南北の脚色で…

依然として衰えを知らないお岩の人気に注目したのは歌舞伎作家の鶴屋南北。南北は、美人で貞淑と評判が高いお岩という名前を使って歌舞伎にすれば大当たり間違いなしと踏んだ。しかし、過激な刺激を好む江戸で人気を取るには脚色が必要だった。お岩が只の善人ではおもしろくない。そこで南北は、お岩の名前だけを拝借し、あとは当時江戸で発生したさまざまな事件をドラマティックに組み合わせて物語を創作する。

 密通のために戸板に釘づけになった男女が神田川に浮かんだ事件、人気役者が姦通の相手に図られて殺された事件、その他、江戸の人なら誰でも記憶しているさまざまな事件を、持ち前の空想力で操って歌舞伎の脚本はできあがった。(何でも、ぶっこんだれってカンジ?)

四谷左門町の浪人・民谷伊右衛門は、不義をした上、妻のお岩を毒殺し、その亡霊に報復されるというショッキングなストーリーだった。天才的な劇作家が虚実織り混ぜて創作したのが、いまだに歌舞伎では人気の出し物のひとつであるお岩の怨霊劇だった。江戸が最も華やかで、文化が爛熟したと言われた文政8年(1825)、浅草の中村座で初演された。お岩は三代目尾上菊五郎、伊右衛門は七代目市川団十郎。果たせるかな『東海道四谷怪談』は大当たりになり、江戸中の話題をさらった。以来、お岩の役は尾上家の「お家芸」になった。

その後、この「於岩稲荷神社」は、歌舞伎に出演した役者がたびたび参拝するようになった。そのうちに、上演前に参拝しないと役者が病気になるとか事故が起こるといった話にまで発展するようになった。怪談であるためトリックを多用し、道具だても巧妙で複雑、障害物も多かった。照明も暗く、天井からの吊るし物も多数あった。そんな中で芝居をするのだから、事故や怪我が多いのはごく当たり前のことだった。それが怪談にからめて「祟り」とされていった。

明治12年(1879年)の四谷左門町の火事で社殿が焼失したのを契機に、隅田川の畔にあった田宮家の敷地内にも同体の神社がつくられた。これが現在の中央区新川にある「於岩神社」である。四谷左門町には小祠だけが残ったが、太平洋戦争の戦火で焼失した。その後、昭和27年(1952年)に現在の現在の「於岩稲荷田宮神社」が再建・復興興された。神社は東京都の史跡として指定されている。

 福を招き、商売繁盛の御利益があり、芸能の成功にはことさら霊験あらたかということで、今でも参拝の人が絶えることがない。

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 ◇ 妙行寺(東京都北区西巣鴨4丁目にある日蓮宗のお寺)

 お岩さまのお墓がある事で有名。明治42年(1909年)に四谷から移転してきたもの。お岩さまのお墓のほかに、「魚河岸供養塔」、「うなぎ供養塔」、赤穂浪士の浅野氏のお墓などが御座います。


 【参照】幽霊の暑中見舞いは、♪ユーレイヒー♪
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/16471887.html

 【参照】7月26日、「国家安康」鐘銘事件
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/13924044.html


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 ※ 【ユーレイの日】に、山本昌が4度目の2軍落ち。
   昌の200勝今季達成は、ユーレイのように、すうーっと消えました。

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