今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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久間防衛相、辞任

 ◇ 久間防衛相、辞任

 久間防衛相が今日午後、辞任を安倍総理に伝え、了承された。

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 久間章生防衛相(66)は3日、先の大戦での米国の原爆投下を「しょうがない」と発言して国民の不信を招いた責任を取り、防衛相を辞任する意向を官邸で安倍晋三首相に伝え、首相もこれを了承。

 久間氏の発言をめぐっては野党側が「あるまじき発言」として、首相に罷免を求めるなど一斉に反発、世論の批判も高まっていた。久間氏は目前に迫っている参院選への影響を最小限に抑えるには早期決着が必要と判断したとみられる。反して野党側には、急展開の辞任に「肩透かし」の落胆が見て取れる。

 安倍首相は久間氏の辞任で、事態の沈静化を図りたい考えだが、任命責任を問われるのは必至。政権運営にとって大きな打撃で、参院選対策の見直しも迫られそうだ。久間氏は、記者団に「なかなか理解を得られていないようだから、首相に『けじめをつけないといけない』と申し上げた」と述べた。

 昨年9月発足した安倍政権で閣僚が辞任したのは、佐田玄一郎行政改革担当相に次いで2人目。このほか、農相・松岡利勝氏が自殺している。

 ※ 政治家は、官僚の書いた原稿なしで喋ると何故か口が軽くなるようだ。自慢話やら、自身の感懐やら、言わずもがなの事柄を披瀝して足元をすくわれる。

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 ◇ 久間発言、やまぬ怒りの声(7月2日)

 東京都原爆被害者団体協議会の三宅信雄事務局長は「原爆で戦争が早く終わったというのは、米国の宣伝、虚言だ。事もあろうに日本の防衛相が言うのはとんでもない」と批判。

 長崎市議会は、撤回を求める意見書を全会一致で可決、「被爆者の気持ちを軽視しており、到底容認できない」「強く遺憾の意を表明し、発言の撤回と今後このような発言が二度と繰り返されないよう国に求める」。

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 防衛相は、米国のイラク戦争開戦判断を「間違っていた」と批判。沖縄の基地問題についても、「米国は偉そうな事を言ってくれるな」と批難するなど、対米関係で政府方針を逸脱する発言が続いていたが、この度は、米国の立場に寄り過ぎた発言で反発を買った形。(要は、政治家としては誠実過ぎる人格と、脇の甘さが祟った。)

 参院自民党幹部は、「昔から(発言が)軽い」と述べ、問題は防衛相のキャラクターに起因するとの認識を強調。防衛相は1日の謝罪会見でも、「解説者ぶっていろいろ言ったことが問題だった」「『しょうがない』という言葉は曖昧なんですよ」と釈明。その後、周辺に「『しょうがない』は僕の口癖なんだよ」とぼやいた。(『しょうがない』が口癖ならば、政治家を志すべきではなかった。)

 漆原公明党国対委員長、「(参院選への影響は)当然ある。公明党としても迷惑千万だ。謝罪するなら、しゃべるなということだ」。舛添参院自民党政審会長、「防衛相は選挙期間中、土下座行脚してほしい」などと、与党内に不安が広がっていた。

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 ◇ 防衛相後任、小池百合子氏で固まる

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7月3日、通天閣の日

 平成19年7月3日(火)昨日:北海道、内部告発9件を見過ごす。所謂、なあなあ。



 7月3日は、【通天閣開業記念日】(通天閣の日)


 1912年(明治45)7月3日、大阪市浪速区に初代通天閣が開業しました。

 当時の高さは64メートル。パリのエッフェル塔を模して作られました。
 第二次大戦中に金属献納のため撤去され、1956(昭和31)年に再建された。

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 ◇ 初代通天閣

 1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、
 1912年(明治45年)に「新世界」「ルナパーク」が開業される際、
 その中心にパリのエッフェル塔を模して、初代通天閣が作られました。

 パリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が、1912年(明治45年)7月3日に、ルナパークと共に建設された。建設費用は約9万7000円、当時の入場料は10銭。64メートルという当時東洋一の高さを誇っていた通天閣は、ルナパークとロープウェーで結ばれており、人々に親しまれていた。

 現在の二代目と同様に塔側面に巨大ネオン広告があった時期があり(1920年に導入)、当時の広告は「ライオン歯磨」。(映画「王将」で見ました。)太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に真下にあった映画館・大橋座の火災で通天閣も類焼してしまう。その後、鉄材を「献納」するという名目で、1943年2月13日から塔は解体され、初代通天閣は姿を消しました。

 現在のものは2代目で、設計を担当したのは内藤多仲(たちゅう)氏。同氏は東京タワーを設計したことでも知られる。2代目は、1956(昭和31)年10月28日に再建しました。

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 ◇ 「通天閣」の由来

 「通天閣」という名は、新世界を開発し通天閣を建設した大阪土地建物社長であり、当時の大阪商工会議所会頭を務めていた土井通夫の「通」をとり、「天に通じる高い建物」という意味を込めて付けられたということが定説になっていました。(典型的後付理論)

 1985年(昭和60年)12月、「通天閣30年史」の計画を知った大阪市住吉区の藤沢成太氏が、「名付けたのは私の祖父・藤沢南岳です」との手紙を寄せたことから、命名の由来が明らかになる。 藤沢南岳は、明治維新前夜「朝敵」と目された高松藩の藩論を佐幕から勤王に転換させるなど、政治の舞台で活躍した高名な儒学者。漢籍への精通は当代随一といわれ、あちこちから命名の依頼を受けていました。

 通天閣の命名について、南岳自身が日記などに書き残したものは見当たりませんが、家族の間で語り継がれており、藤沢成太氏の従兄弟にあたる作家・藤沢桓夫氏も「間違いない」と証言しています。 通天閣観光も、「大阪土地建物が命名を頼んでも不思議ではない」と判断し、これで初代通天閣が完成してからのナゾが75年ぶりに解け、空白が埋まることになったのです。(1986年3月25日付朝日)

 通天閣オフィシャル
 http://www.tsutenkaku.co.jp/index.html

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 ※ 今季の阪神タイガースは、Aクラスに入れるやろか、入れんやろか?

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