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古田監督の、「悔しい」涙、監督退任&現役引退の会見 ヤクルトの古田敦也捕手兼任監督(42)が19日、都内で記者会見し、今季限りで監督を退任し、現役も引退することを表明した。 ユニホーム姿で会見に臨んだ古田監督は「プロは結果を問われる。思うような成績をあげられず、ファンに失望を与えた。けじめをつけないといけないと思ってやってきた。僕の力不足」と話した。兼任2年目の今季は最終戦まで指揮を執る意向。退団後の予定は現時点では未定とのこと。 選手としては2年目の1991年に首位打者を獲得し、2005年には大卒で社会人を経験した選手として初の通算2000安打を達成。球界を代表する捕手として活躍したが、18年目の今季は右肩痛のため、わずか3試合の出場で6打数無安打。古田監督は「肉体面の衰えもあるが、自分の中では今年の早い段階で、そろそろ後進の指導に当たるべきだと思い始めた」と決断の理由を説明した。 球団側は何度も監督専任での続投を要請してきたが、古田監督の退任の意向が強く、慰留を断念した。 ◇ 古田に悔し涙を流させたヤクルト・フロント 記者「涙につながった一番の思いは?」 古田「寂しさというより、悔しさかな。わかんないです。すいません」 記者「なぜ今年、責任をとらなければいけないのか?」 古田「低迷。僕が入ってから最下位は一度もないんで。球団史の中でいえば20年ぶりくらいの悪い出来事だから。僕が責任を取らず誰かに責任を負わすわけにいかない。こんな成績ではやめるつもりで全力でやってきた。ここはけじめつけた方がいいかな、と」。 古田敦也は立命館大4年のドラフトで大恥をかいている。報道陣に囲まれた雛壇で、プロからの指名を待っていた。待っていた。いつまでも待っていた。そして、指名はついに来なかったのだ。理由はただ一つ、「眼鏡の捕手は成功しない」。失意のうちに、古田は「リード」の重要性に目覚める。彼の野球人生は決して平坦ではなかった。さらに今回の、失意と無念の辞任会見であった。 29年ぶりに誕生した選手兼任監督(プレーイング・マネジャー)は、わずか2年で幕を下ろした。その道の大先輩・野村楽天監督のお言葉、「兼任監督なんて、何ひとついい事は無い」。それは矢張り正しかったようだ。 古田の辞任には、フロントへの根深い不信感が横たわっている。2月の春季キャンプの時点で、球団幹部は漏らしていた、「今年で監督を辞めると言い出すのは、間違いないだろう」と。大リーグへ移籍した岩村の穴埋めに、中村紀(現・中日のスターティング・メンバー)の獲得を熱望したが、ヤクルト・フロントはこれをむげに却下したのだ。外国人を含む補強にも、希望とのズレが余りにも大きかった。監督就任の際には、ヤクルトが全面的な後押しを約束していたのに、それは全く果たされなかった。古田が淋しげに、かすかに笑みを浮かべて洩らしたひと言。「これで優勝しろって言うのか」。 ヤクルトの「中村紀・排除」は通常ではあり得ない選択で、その際の古田の無念さは、容易に推察される。ひとつ言える事は、ヤクルトは読売に頭が上がらない、と言う事実。 球団側の不手際も追い打ちをかけた。8月初旬の続投要請に古田は態度を保留した。しかし、この段階でフロントからは、「今季で選手としては引退、来季は専任監督」との話が外部に伝わった。まだ交渉段階で、古田本人は現役引退を口にもしていない時点でのこと。フロントへの不信感は極まった。監督として周囲を納得させる実績を残せなかったのは事実だが、フロントの古田軽視は度が過ぎた。一部選手との折り合いの悪さも表面化して、古田を追い詰める。「続投なら移籍も考える」と口走る選手もあった。 右肩痛に悩まされ、今季の出場はわずかに3試合のみ。昨年と合わせても選手としての出場は39試合。球界再編の大波に立ち向かった選手会長としての、かつての「栄光の古田」ではなかった。さまざまな思い、さまざまな悔しさを全て飲み込んで、彼は去ってゆく。 |

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