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平成19年9月3日(月)昨夜:阪神サヨナラで4連勝。不調・中日(2位)に肉薄。
広島・前田智が5打点、中日は前田フィーバーに飲み込まれて、痛い負け越し。
※ 今季の1位通過は、ほぼ絶。ドラは短期決戦にも弱いしね。
9月3日は、【迢空忌、折口忌】です。1953年(昭和28年)の忌日。
◇ 折口信夫(しのぶ)(1887〜1953)
大正・昭和期の国文学者・歌人。短歌では釈迢空(しゃくちょうくう)。
民俗学者の柳田国男に師事し、民間伝承の採集調査旅行も盛んに行う。
小説『死者の書』は、彼の才能が結実した作品。
◇ 釋迢空 『死者の書』 (一)
彼の人の眠りは、徐かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて来る。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけてゐるのだ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まづ圧しかゝる黒い巖の天井を意識した。次いで、氷になつた岩牀(いわどこ)。両脇に垂れさがる荒岩の壁。したしたと、岩伝ふ雫の音。
時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであつた。けれども亦、淺い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思つてゐた考へが、現実に繋つて、ありありと、目に沁みついてゐるやうである。
あゝ耳面刀自(ミゝモノトジ)。
甦つた語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。
耳面刀自。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに来たのではない。それも、をとゝひや、其さきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつともつと長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ続けて居たぞ。耳面刀自。こゝに来る前から……こゝに寝ても、……其から、覚めた今まで、一続きに、一つ事を考へつめて居るのだ。
古い――祖先以来さうしたやうに、此世に在る間さう暮して居た――習しからである。彼の人は、のくつと起き直らうとした。だが、筋々が断(き)れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼きを覚えた。……さうして尚、ぢつと、――ぢつとして居る。射干玉(ヌバタマ)の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様に、巌かに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。
耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓(ひろが)つて、過ぎた日の様々な姿を、短い連想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯(しにが)れたからだに、再立ち直つて来た。
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目……唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて来い。耳面刀自。
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が聲(ね)を聞いたのだつけ。さうだ。訳語田(おさだ)の家を引き出されて、磐余(いはれ)の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢(ぼさ)から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚(おら)び聲を、挙げて居たつけな。あの声は残らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚(わめ)き声だつたのだ。
其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨鳥の声だつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き声だつた気がする。――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた気がした。俄かに、楽な広々とした世間に、出たやうな感じが来た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。
あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。
足の踝(くるぶし)が、膝の膕(ひつかがみ)が、腰のつがひが、頸のつけ根が、顳(こめかみ)が、ぼんの窪が――と、段々上つて来るひよめきの為に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇(とこやみ)。
をゝさうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女――おれの姉御。あのお人が、おれを呼び活けに来てゐる。姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、觸つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、踏み止つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ……忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。なあんだ。誰も、來ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日に暴されて、見るみる、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の聲で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今の事――だつたと思ふのだが。昔だ。
おれのこゝへ来て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになつたことも。かうつと――姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたひあげられたつけ。「巌石(いそ)の上に生ふる馬酔木(あしび)を」と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌(た)け初めた頃だと知つた。おれの骸(むくろ)が、もう半分融け出した時分だつた。そのあと、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる様にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、ほじじのやうに、ぺしやんこになつて居た――。
臂(かひな)が動き出した。片手は、まつくらな空をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩牀(いわどこ)の上を掻き搜つて居る。
うつそみの人なる我や、明日よりは、二上山を愛兄弟(いろせ)と思はむ
誄歌(なきうた)が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後見たいな気がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎭めて――。鎭めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、ありありと訣つて来た。だが待てよ。……其にしても一体、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫(つま)なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。
両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。大変だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌(はかま)は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。
筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳け廻るに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が、闇の中に起き上つた。をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが悪かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。
彼の人には、声であつた。だが、声でないものとして、消えてしまつた。声でない語(ことば)が、何時までも続いてゐる。
くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這ひずり廻つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばたばたやつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。
その唸き声のとほり、彼の人の骸(むくろ)は、まるでだゞをこねる赤子のやうに、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透けてきて、物のたゝずまひを、幾分朧ろに、見わけることが出來るやうになつて来た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて來たのである。
どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆びついてしまつた……。
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