今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 弟子丸泰仙と言う Zen Master がいた。


 弟子丸泰仙師 How to sit Zazen



 弟子丸泰仙師(経行・きんひん=歩行禅)



 弟子丸泰仙師(般若心経)



 弟子丸泰仙師(フランスの弟子たち)フジTV


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 ◇ 弟子丸泰仙(1914年〜1982年)(曹洞宗)

 駒澤大学で澤木興道師に出会い、社会の中で禅を実践するよう勧められる。
 興道師の晩年に出家。その死後、師の遺命により、フランスで禅を弘める。

 1967年に渡欧、多くの人々が彼の教えを受ける。永平寺貫首・山田霊林師の
 命により、ヨーロッパ開教総監に任じられ、1970年には、Association Zen
 International を設立。ヨーロッパ各国に泰西仏教第一道場(1980年)など
 多くの道場を建立した。

 ※ 開教総監:海外における曹洞禅のトップ。
 ◇ オバマ陣営、写真をめぐりクリントン陣営を非難(2月26日)

 米大統領選の民主党有力候補、バラク・オバマ上院議員の陣営は25日、2006年撮影の自身の写真を配布したとして、ライバルのヒラリー・クリントン上院議員の陣営を非難した。

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 クリントン氏陣営は、オバマ氏の非難について、有権者の注意を重要問題からそらすことを目的とした「明らかで見え透いた試み」だとの見解を示したものの、写真配布については否定しなかった。

 写真はオバマ氏がソマリアに渡航した際に撮影されたもので、同氏は友好を示すため、現地のイスラム教徒の伝統衣装を着用している。25日午前、クリントン氏陣営を情報源として、米著名サイト「ドラッジ・リポート」に掲載された。ただ、同サイトは、写真の配布規模や配布対象を明らかにしていない。

 オバマ氏陣営の関係者は、クリントン氏陣営が「品がなく、攻撃的に有権者の恐怖心をあおっている」と反発を表明。クリントン氏陣営のこうした選挙活動が、選挙スタッフの辞任を招き、米国民を遠ざけ、米国に対する国際社会の尊敬を損なわせる、と指摘した。

 クリントン氏陣営の関係者は、オバマ氏陣営の非難に取り合わない姿勢を示すとともに、「もし写真が軋轢を招くとオバマ氏陣営が言いたいなら、彼らの方こそ品がない。クリントン氏も外遊先で現地の伝統衣装を着たし、その写真も広い範囲で公表された」と反論。

 撮影当時、オバマ氏とともに渡航した退役軍人は、同氏が渡航先の歓待を受け入れるという優れた指導者の行動を取ったことを写真が示している、とコメントした。
 ◇ 鈴木宗男議員、二審も有罪
    控訴棄却、最高裁に上告へ(2月26日10時11分)

 北海道での港湾工事の受注の見返りに業者から現金600万円を受け取ったり、衆議院の予算委員会で嘘の証言をしたりしたとして、斡旋収賄や議院証言法違反(偽証)など4つの罪に問われた「新党大地」代表の衆院議員・鈴木宗男被告(60)に対する控訴審判決で、東京高裁(池田修裁判長)は26日、鈴木議員の控訴を棄却。鈴木議員は無罪を主張しており、最高裁に上告する方針。

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 ※ 東京高裁に入る鈴木宗男被告=26日午前9時39分、霞が関

 鈴木議員は一審・東京地裁で懲役2年の実刑判決を受けており、検察側は控訴審判決を受けて鈴木議員を収監することができる。収監された場合は、弁護側が改めて保釈を裁判所側に申請するとみられる。

 鈴木議員は北海道・沖縄開発庁長官などを歴任し、2002年6月、東京地検特捜部に逮捕された。2003年秋の総選挙には出馬せず失職。2004年11月の一審判決を控えた同年7月の参院選でも落選したが、2005年に新党大地を結成し、同年9月の総選挙で当選。現在、7期目。

 刑事被告人の身でありながら、北海道では依然として影響力を持つ鈴木宗男議員。実刑判決後、新党大地を立ち上げ、衆院選では40万票以上得票して当選。地元では、大きな影響力のある政治家がいなくなったため公共事業がこなくなったとの嘆き節が聞かれます。

 ※ 箱物行政、ゼネコン行政とは、ただただ工事が欲しいと言う刹那的な地元の空しい願い。工事が終われば、ピューッと、空っ風が吹きまくります。恒常的雇用にこそ、税金は使われるべき。

 ロッキード事件以降、検察が起訴した国会議員で全面無罪が確定した例はない。鈴木宗男被告を再び実刑とした26日の2審東京高裁判決でも、検察の「不敗神話」は守られた。平成16年の鈴木被告の1審判決以降、国会議員に無罪が言い渡されたのは2件。しかし、2審で逆転有罪となるか、一部無罪にとどまっており、大半は検察側が有罪判決を勝ち取っている。


 ◇ 鈴木宗男と郷土愛の松山千春

 郷土愛が強く、北海道が関係する慶事や弔事、さらには事件にまでまめに顔を出す松山千春。牛肉偽装問題が発覚した際には、北海道「北の食大使・牛肉大使」に任命され、牛肉のPRで全国を飛び回った。鈴木宗男と松山千春とは、同じ足寄町出身で学校の先輩後輩の仲。「新党大地」の名付け親も松山千春だ。松山は鈴木宗男後援会青年部の名誉会長も務める。2002年からの宗男バッシングの際にも、一貫して鈴木を援護し続けた。

 松山千春は、「義」ではなく「義理と人情」に動く男なのだ。その作歌活動とは似合わない行動パターンが、千春らしいとも言われる。暴力団との交際が発覚した際も、悪びれることなく認め、俺の親友がたまたまヤクザだっただけと言い切る。そのため、札幌テレビの特別番組「松山千春 30年目の旅立ち」が放送中止になった事も。

 松山千春 『君を忘れない』

 ※ よくも悪くも「男」です。手に負えない「やんちゃ」です。
 平成20年2月26日(火)海自艦事故:防衛相「12分前」当夜把握、公表は翌日夕。

 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船清徳丸の衝突事故で、あたごの見張り員が清徳丸に気付いた時間について防衛省が当初「2分前」としていたのを「12分前」と訂正した問題で、事故当日の19日夜に石破防衛相に「12分前」との連絡が上がっていたにもかかわらず、その後に行われた海上幕僚監部の会見では「2分前」と誤った情報を公表していたことが分かった。

 ※ 同省は「十分な確認が取れていなかったので公表しなかった」と説明しているが、それでは「2分前」との公表は、十分に確認が取れていたことになる。これは意図的な「情報隠し」または「情報操作」に他ならず、石破防衛相の責任問題に発展するのは必至の状況。


 ◇ 石破防衛相が「情報操作」否定(2月26日11時)

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 石破防衛相は26日午前の閣議後の記者会見で、事故情報の伝達・公表に遅れが指摘されている問題について、「隠蔽して何ら得るものはないし、情報操作をするような防衛省ではない」と述べ、情報の公表は適切だったとの認識を示した。

 ※ 「情報操作をするような防衛省ではない」とは、したくても、その能力がないと言う意味なのか?「情報漏洩」は日常茶飯の防衛省でも、情報操作のような高度な事は無理だと?

 防衛相は、「海上保安庁から情報が出るまで、(防衛省が)一切言わないということはよくない。分かっていることで、公表してよいものは出すべきだという指示は私の責任で省内に出した」と強調。その上で、イージス艦が漁船を発見した時間について、19日の段階で「事故発生2分前」としながら、20日夕に「12分前」に修正したことに関し、「断片的にバラバラと情報が入ってくるが、それは本当に確かな時刻なのかを確認しないまま外に出せば混乱する。確認するための作業に当然時間がかかる。正しい確認作業だった」と説明。

 ※ 石破防衛相の言葉を素直に受取れば、当然19日の段階で「事故発生2分前」という情報を出すべきではなかった。「2分前」を出して、「12分前」を引っ込めた、その間の事情が問われる。

 さらに「防衛省が得た情報は、海保の捜査当局に公表してよいか確認しないといけない。その確認にはすごく時間がかかったと聞いている。私や防衛省に情報が入った時期と、公表した時期が異なるとしても、事実の確認と公表の可否に時間を要したためだ」と釈明、「12分前ということを隠して、防衛省にとって何の意味があるのか」と語気を強めた。

 ※「2分前」が通れば、当然防衛省は有利になるはず。

 防衛相は26日午前の衆院安全保障委員会で、自らの進退について、「自分で判断するが、(行方不明者の)家族や漁協の方々の思いに応えることが責任の取り方だ」と述べ、職を辞さず、捜索活動や再発防止に全力を挙げる考えを示した。

 ※ 石破防衛相は、防衛省幹部に煮え湯を飲まされたのかも知れない。シビリアンコントロールなど、夢のまた夢。敵にも味方にも、情報こそ最大の武器。



 2月26日は、二・二六事件が起きました。

 二・二六事件:1936年(昭和11年)2月26日〜29日、陸軍皇道派の影響を
 受けた青年将校らが1483名の兵を率いて、「昭和維新断行・尊皇討奸」を
 掲げて起こしたクーデター未遂事件。
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 ◇ 皇道派と統制派

 いずれも大日本帝国の陸軍内の派閥。皇道派は、財界や政界をクーデターのような過激な行動で変革、天皇親政による国家改造を目指す。皇道派はこれを昭和維新と称した。主に尉官クラスの隊付き青年将校たちに広く支持されていたという。皇道派の代表的人物は荒木貞夫や真崎甚三郎。二・二六事件後その勢力は衰退した。

 統制派は、合法的に政府に圧力を加え、操作しようとしたグループ。軍内の近代派であり、近代的な軍備や産業機構の整備に基づく、総力戦に対応した高度国防国家を構想した。旧桜会系統の参謀本部、陸軍省の佐官クラスの幕僚将校を中心に支持されていた。統制派の中心人物は永田鉄山、東條英機。

 皇道派による二・二六事件が鎮圧されると皇道派の将校は予備役に追いやられた。さらに統制派は、退役した皇道派の将校が陸軍大臣になることを阻むべく、軍部大臣現役武官制を復活させ、これにより陸軍内での対立は統制派の勝利という形で終息をみる。その後統制派は、陸軍内での勢力を急速に拡大し、軍部大臣現役武官制を利用して陸軍に非協力的な内閣を倒閣するなど政治色を増し、最終的に、永田鉄山の死後に統制派の領袖となった東条英機の下で、全体主義色の強い東條内閣を成立させる。
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 ※ 相沢事件:1935年(昭和10年)8月12日白昼、皇道派・相沢三郎中佐が統制派の領袖・永田鉄山陸軍省軍務局長を斬殺した事件。相沢は、北一輝の思想的影響を受けていたと言われる。


 ◇ クーデター未遂事件のあらまし
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 一部青年将校らは「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害し、天皇親政の実現を計り、軍部の腐敗を糾そうと考えていた。彼らはこの拙劣な計画のもと、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起し、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮、行動を起こした。殺害の標的は以下の七名だった。

 岡田啓介(総理大臣)(義弟・松尾が人違いで殺害される)
 鈴木貫太郎(侍従長)(一命を取り留める)
 斎藤実(内大臣)(殺害)
 高橋是清(大蔵大臣)(殺害)
 渡辺錠太郎(陸軍教育総監)(殺害)
 牧野伸顕(前内大臣)(窮地を脱す)
 後藤文夫(内務大臣)(外出中で無事)
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 青年将校らは、軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えようとした。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱軍」とみなし、武力鎮圧を決意。叛乱軍を包囲して投降を呼びかけた。その後、反乱将校たちは、下士官・兵を原隊に復帰させた。一部は自決するも、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。

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 【参照】2月26日、「かっちん玉祭」
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/29104998.html

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