|
平成20年3月10日(月)昨日:昨年8月に右膝手術、高橋尚子がレース後明かす。 女子マラソンのシドニー五輪金メダリストの高橋尚子(35)は9日、名古屋国際女子マラソンのレース後の記者会見で、昨年8月に右膝の手術をしていたことを明らかにした。もともと持病だった右膝の半月板がめくれて、関節に入り込んだ状態になったため、内視鏡手術で約50%を切除したという。高橋は「レースまで7か月でメスを入れることに躊躇はあったけれど、挑戦するために手術することを決めた」と理由を語った。注目される去就については「やりたいこともあるので、もう少し走らせてくださいと(所属先には)話をした。まだまだ陸上生活は続けていきたい」と意欲を見せた。 2大会ぶりの五輪出場をめざした高橋を、ファンは大声援で後押しした。結果は27位で五輪出場の夢は消えたが、最後まであきらめない姿が感動をあたえた。序盤から先頭集団に後れをとった高橋。20キロ地点付近では、観客から「先頭じゃない」という声がもれた。数分後に高橋が姿を見せると、ひときわ大きな拍手がおこった。「来た」「Qちゃんがんばれ」と大声援がわいた。瑞穂陸上競技場に戻ってきたのは午後2時57分。先頭から18分半ほど遅れたが、帰ろうとする観客はいなかった。 3月10日は、藤谷美和子の誕生日です。 ◇ 藤谷美和子(1963年〜) (映画『それから』のために生まれた女優、それ以外の何者でもない人) ◇ 森田芳光監督『それから』(1985年東映) 音楽:梅林 茂 出演:藤谷美和子・松田優作・小林薫 主人公・代助(松田優作)は大学を出たあと特に仕事もせず、スキな事をしながら裕福な親の脛をかじって暮らす「遊民」だった。クールで自意識も強い彼だが、落剥して地方から舞い戻った友人・平岡(小林薫)の妻三千代(藤谷美和子)と再会し、ひどく心が動くのを感じる。代助はもともと彼女を好いていたのだが、クールさゆえか平岡に譲った格好になっていた。しかし不幸そうな彼女の様子を見るにつけ、代助のこころは揺らぐ…。 三千代が白百合の花を持って代助の家を訪れるシーン。走ってきたので喉が渇き、代助の飲みかけのグラスの水を飲もうとしますが、代助に止められます。代助が三千代のために水を取りに行っている間に、三千代は花を生けているガラス鉢の水をグラスですくい取って飲んでしまう。 「なんで、そんなものを飲むんです?」 「だって、毒ではないのでしょ?」 代助が三千代の家を訪れたとき、三千代がラムネをビンからじか飲みするシーン。 「寂しくていけないから、また来てちょうだい…」。 淡白な映像ながら濃密な関係を紡ぎだす、森田芳光の力量。 平岡は代助の親に手紙を送りつけ不倫を糾弾、事は実家に露見する。世間体を憚った父親(笠智衆)は代助を勘当してしまう。親元から絶縁された代助は炎天下のさ中、職探しに彷徨(さまよ)うのだった。 小林薫が、男のいやらしい嫉妬心を完璧なまでに演技しており、それが藤谷美和子の可憐な悲劇性を美しく演出している。漱石の原作は明治42年に書かれている。映画は幻想的な明治を美しく映像化した。この映画に関する限り、松田優作は「普通の人」でした。 藤谷美和子CM 『サントリー レゼルブ』 3月10日は、「サボテンの日」です?(サ<3>・ボ・テン<10>) そして2008年3月10日は、袴田巌の72歳の誕生日でもあります。 ◇ 袴田事件および裁判経過 1966年6月30日、味噌製造会社専務の自宅が放火され、焼跡から一家4人の他殺体。 7月4日、静岡県警が味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索、当時味噌製造会社の従業員で元プロボクサーの袴田巌の部屋から極く微量の血痕が付着したパジャマを押収する。 8月18日、静岡県警が袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕。 9月6日、犯行を頑強に否認していた袴田が、勾留期限3日前に一転自白。 9月9日、静岡地検が起訴。 11月15日、静岡地裁の第1回公判で袴田が起訴事実を全面否認。 ※ 袴田の取調べは過酷をきわめ、炎天下のもと、平均12時間、最長17時間にもおよんだ。 さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で排泄させた。睡眠時も精神異常者のとなりの部屋にわざと配置させ、一切の安眠を許さなかった。拘留期限が迫ってくると、取調べはさらに過酷を極め、朝、昼、深夜を問わず、2、3人がかりで殴る蹴るの取調べになっていき、とうとう袴田は拘留期限3日前に自供する。 1967年8月31日、味噌製造工場の味噌タンク内から血染めの「5点の衣類」を発見。 1968年9月11日、静岡地裁、死刑判決。 1976年5月18日、東京高裁、控訴棄却。 1980年11月19日、最高裁、上告棄却。 1980年11月28日、判決訂正申立。 1980年12月12日、最高裁、判決訂正申立棄却決定送達。死刑確定。 1981年4月20日、弁護側、再審請求。 1994年8月9日、静岡地裁、再審請求棄却。 1994年8月12日、弁護側、即時抗告。 2004年8月27日、東京高裁、即時抗告棄却。 2004年9月1日、弁護側、最高裁に特別抗告。 袴田巌は、30歳で逮捕されて以来40年以上にわたって拘束され(現在東京拘置所に収監中)、死刑確定後は拘禁症状に苦しんでいる。親族・弁護団との面会にも応じない期間が長く続いた。現在、面会には応じるものの、拘禁症状の影響のため不可解な発言が多く、特に事件や再審準備などの裁判の話題については、全くコミュニケーションが取れなくなっているもよう。 ◇ 「袴田巌支援チャリティーBOXING」(2008年1月24日) 東京・後楽園ホールにて、新旧18人もの世界王者によるボクシング教室やオークション、トークショーなど盛りだくさんの内容で、手作りの支援チャリティーが24日に行われました。 ボクサーへの偏見は、今では殆どないとは思うけれど、当時は「ボクサー崩れ」と言う表現が横行する世間でもあり、警察の捜査もぞんざいなものだった。40年もの長きに渡って、小さな部屋で小さな窓から小さな空を見続けた袴田巌の脳裡には、いったいどんな世界があるのだろうか。どんな世界がないのだろうか。40年もの拘禁、想像すらできない…。 袴田巌チャリティボクシング(2008年1月24日) http://jp.youtube.com/watch?v=qvi2PZQQJzM ※ 熊本典道・元裁判官の挨拶、3人の裁判官の合議に負けたことを悔いる。 「異例の告白」熊本典道・元裁判官(2007年) ※ 41年間投獄されている無実の死刑囚・袴田巌さんの一審判決文を書いた 元裁判官が『当時、これは無罪にするしかなかった』と異例の告白。 ※『相棒6』最終回「黙示録」のモデルと思われます。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



