今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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11月18日、牧口常三郎忌

 平成20年11月18日(火)昨日:米シティ、5万人削減発表 従業員ピークの2割減に。

 米大手銀シティグループは17日、全従業員の約15%に相当する5万人を削減すると発表した。シティは今年5月に今後2〜3年かけて不採算事業を4000億ドル規模で売却する再建策を発表しているが、金融危機や世界的な景気後退を受けて追加的なコスト削減が狙い。株価下落が続いており、今後もM&Aなど抜本的な経営改革を迫られる可能性がある。



 11月18日は、久保角太郎忌です。

 ◇ 久保角太郎(1892年〜1944年)
   霊友会創立者、仏教改革者

 近代日本における仏教系の新宗教の源流の一つを成すといわれる霊友会の創立者。後に霊友会から分派したいわゆる霊友会系教団を含めると、優に創価学会の会員数を上回り、正に近代日本の仏教史に大きな足跡を残した人物。また、仏教史上でも古来からの大乗仏教、特に法華経の理想であった「在家による菩薩行の実践」という理念を、史上初めて実現させた仏教改革者としても注目される。


 11月18日は、牧口常三郎忌です。

 ◇ 牧ロ常三郎(つねさぶろう、1871年〜1944年)
   新潟県柏崎市出身の地理学者・教育者・宗教家。創価教育学会創立者。

 1885年、尋常小学校4年を卒業後、単身北海道へ職を求めて渡る。小樽警察署の給仕をしながら苦学の末に、1891年、札幌の北海道尋常師範学校第一学部3学年に編入。1893年、常三郎と改名、同年3月卒業。母校の付属小学校の教師となる。1901年、母校の助教諭となる。

 1903年、人間の生活と地理との関係を論じた『人生地理学』を32歳で刊行。牧口は地理学者の志賀重昂に校正・批評を依頼し、志賀は同著に序文を寄せた。また同著は新渡戸稲造や柳田國男らの目に留まるところとなり、新渡戸宅で開催された「郷土会」にも牧口は名を連ねている。地理学者である牧口と民俗学者である柳田が共に研究・現地調査を行った記録も残されている。 1905年、教職を辞して上京。富士見、東盛、矢正、西町、三笠、白金、新堀の各小学校の校長を歴任。柳田国男の「郷土会」に参加。1912年、『教授の統合中心としての郷土史研究』を発刊。

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 1920年、東京都立西町尋常小学校校長を務めていた牧口のもとに、北海道から上京してきた戸田城聖が訪問する。牧口は戸田を同校の代用教員として採用。1922年、東京市助役の前田多聞の斡旋により白金尋常小学校に転勤。1928年に目白商業学校校長の三谷素啓から折伏を受け、日蓮正宗に入信する。牧口は戸田を折伏し、戸田もほぼ同じ時期に入信する。 1931年、牧口は日蓮正宗寺院中野教会所において、堀米泰栄から日蓮正宗の教義を学ぶ。 1930年、戸田と共に「創価教育学会」を設立。同年11月18日、彼の教育理論の集大成である『創価教育学体系』を刊行。1931年、教職を辞し、宗教・教育活動に専念。

 牧口は著書において「人生の目的は価値創造にある」という理念を唱え、価値の対象として「美・利・善」を挙げる。これはカントの価値体系である「真・善・美」と一線を隔すものである。「真理は認識の対象であり価値の当体ではない。主体と客体の関係の中にこそ価値は存在する」として、カントの説く「真」の代わりに「利」の価値を説いた。

 1935年4月、戸田城聖と共に創価教育学支援会を創設。同会には『創価教育学体系』を高く評価した新渡戸稲造、柳田國男や社会学者・田辺寿利、教育関係者、文部大臣、警視総監、大審院判事等が参加した。 1936年11月、創価教育学会春季総会を開催、機関紙『新教』を発刊。1939年、麻布の菊水亭にて創価教育学会総会を開催。

 1941年、機関誌『価値創造』を発刊。1942年、同誌廃刊。戦時下で特別高等警察による監視が続けられる中で、牧口は国内各地において座談会を開催。1943年、日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた牧口は、日蓮正宗管長・鈴木日恭から「学会も神札を祀るようにしてはどうか」と提案されるが、これを拒絶。1943年5月、神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊となる。

 伊豆での座談会開催直後の1943年7月6日、政府による日蓮宗と日蓮正宗との合同強制の拒否と伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したために、治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で戸田城聖以下、21名の幹部と共に逮捕され、下田署に連行される。牧口は獄中においても転向を拒否、1944年11月18日、東京拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去。


 【参照】11月18日、「人民寺院」 914人集団自殺(1978年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/23845597.html

 【参照】11月18日、京都「安国寺もみじ祭り」(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/38264404.html
 ◇ 森光子主演の 『 放浪記 』、中日劇場

 前人未到の上演2千回を来春に控えた森光子の代表作『 放浪記 』の名古屋公演が、今月9日から中日劇場で上演されています。森の89歳の誕生日となる来年5月9日には、東京・帝劇で公演2千回を達成する予定です。

 森は「ここまで来られるとは思っていなかった。まさに不思議です。心を込めてやることだけが私のできること。雑念が入らないように、皆様の幸せを念じながら演じるだけです」と話す。 他に山本陽子、米倉斉加年、有森也実、斎藤晴彦、大出俊、山本學らが共演する。名古屋公演は12月5日まで。名古屋公演千秋楽で、実に1995回に到達します。(名古屋は計24公演)

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 カフェに住み込みで働きながら、仕事が終わると原稿用紙に向かう。「わたしが詩を書いているのは、これだけじゃないんだぞ、わたしの人生はこれだけで終わるんじゃないんだぞ、自分に言い聞かせて、せめてものなぐさめにしてんのよ」。


 林は「花のいのちはみじかくて…」と詠んだが、「木」がひとつ多い森は2千回を越えて、どこまで花を咲かせ続けるのやら。 作家・林芙美子を演じ、正味3時間ほぼ出ずっぱり、最後の深々としたお辞儀(三方拝)に盛大な拍手が沸きます。

 林芙美子の晩年のシーンでは、書かねば直ぐに忘れ去られてしまうと言う作家の孤独感を静謐の内に表現しており、筆に縋りつくように生きた林を髣髴とさせる。

 ※ 実際の林芙美子は、映画での高峰秀子『 放浪記 』(1962年、成瀬巳喜男監督)に近いと言われ、森光子は実像には遠いなどと言われる。似ていると言えば、菊田一夫役の斎藤晴彦。かつて、三木のり平が小鹿番に「そっくりさんで演って」と、言った通りに今も斎藤に引き継がれ演じられております。


 ◇ 森光子さん、「放浪記」舞台で米寿の祝い(2008年5月9日)

 女優の森光子が、福岡・博多座で主演舞台「放浪記」を上演中の9日、88歳の誕生日を迎えた。特別カーテンコールでは共演者、観衆から米寿の祝福を受け、開演前には福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督(67)から祝電が届いた。森は「年を取りたくないと思っていたけど、世界一の長寿国日本だからやっぱり幸せ」と喜びを語った。 「放浪記」上演中に誕生日を迎えたのは、1971年の東京・芸術座公演以来。

 親交の深い王監督からは祝電と大きなチーズケーキが届いた。「全員でお祝いしながら食べられるように」と、出演者、スタッフ分の150個に切り分けられていたという。王監督からの花束も特別カーテンコールで受け取り「絶対優勝していただきたい」とエール。14日には、ソフトバンク―西武戦が行われるヤフードームに足を運び、直接応援するという。

 終演後の取材では、「放浪記をいつまでやるのか、どこかで他の方に譲るのか、(そんな思いを)抱いたまま死んでしまうのか。ジョークですけど、頭をよぎることがある」と、報道陣をドキッとさせる発言もあった。その上で「できればもうちょっと元気で続けたい」と締めた。

 健康の秘訣である日課のスクワットも披露。「ほら、こんなにできるんですよ〜」と身軽で丈夫な体を見せつけた。


 ◇ 森光子主演 『 放浪記 』 中日劇場(名古屋・栄、中日ビル9階)

 林芙美子の半生を菊田一夫の視点から描き、日本の演劇史上燦然と輝く名舞台が2年ぶりに中日劇場に登場。上演回数2000回を目指して森光子が哀歓たっぷりと、気丈で涙もろい女を熱演します。

 公演日:11月9日〜12月5日
 料 金:【A席】13,500円 【B席】7,000円
 問い合わせ 中日劇場=(電)052(263)7171

 主な出演者

 森光子(林芙美子)、山本陽子(日夏京子)
 米倉斉加年(白坂五郎)、有森也実(悠起)
 大出俊(福地貢)、山本學(安岡信雄)、斎藤晴彦(菊田一夫)

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 1幕 本郷の下宿(1923年)
 男(原康義)と同棲中の芙美子(森)。
 下宿で男の妻と名乗る京子と鉢合わせ、別れを決意する場面。

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 2幕 カフェ(1926年)
 夜はカフェで働きながら詩を書き続ける芙美子。
 着物にエプロン姿で歌い踊り、横柄な客には威勢良く啖呵も切る。

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 自分の不幸な境遇を語りながら、「私には放浪する癖があるの」と
 つぶやく芙美子。仕事仲間と焼き芋を食べる場面も哀れを誘う。

 3幕 尾道(1927年春)
 別の男ともうまく行かず、広島・尾道の実家に戻った芙美子。
 腹をすかせる行商人親子にかつての自分を思い出し、ご飯を食べさせる。

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 森と共に初演から出演し続ける青木玲子は、「初演は行商人の妻役で、菊田一夫先生に山盛りのご飯を食べさせられました。子供は、みそ汁をかけてガーッと3杯も。当時は戦後の食糧難の記憶が残っていて、物も言わず黙々と食べるところでお客さんがボロボロ泣くんです」。

 4幕 世田谷の家(1927年秋)
 東京へ戻った芙美子。自分の原稿をいち早く雑誌に売り込もうと、
 ライバルとなった京子の原稿を届けるのをわざと遅らせる。

青木、「最初は5時間ぐらいの芝居でしたが、三木のり平さんの演出で1時間以上短くなった。45分あったこの場面も30分ぐらいに。でも、どこをカットしたのか分からないほど見事な切り方で、雰囲気も全部残っています」。

 渋谷の木賃宿(1927年冬)
 また男と別れ、安宿で暮らす芙美子。ある夜、売春婦の取り締まりがあり、
 自分も巻き添えに。疑いが晴れた芙美子は喜びの余りでんぐり返しをする。

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森、「最初は3回転していました。ある時、五輪の床運動を見て、自分のはイモムシみたいだと思い、それからは腕を伸ばして、大きくやるようになりました。芝居よりは上手になったと自負しております」。(※ でんぐり返しは、万一の事故を考慮して封印されました。)

 5幕 落合の家(1949年)
 人気作家となった芙美子を、劇作家の菊田一夫らが訪ねる。
 2004年まで小鹿番が演じ続けた菊田役は、斎藤晴彦が引き継いだ。

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斎藤、「ものすごく緊張したが、森さんは相手役に何も注文しないんです。付けひげがとれて、僕が絶句したこともあったのに……」。

森、「ひげがとれる方は、よくあるんです。そういうハプニングも楽しい」。

青木、「胸を借りるつもりで毎日芝居を変えてみるんですが、全部受け止めて下さる。相手がどう来ようが、何食わぬ顔で。普通なら年齢と共に枯れたりするんですが、いつまでもみずみずしくて、本当に、あきれるほど変わりませんね」。

 ※ 初演時、森光子の起用は大抜擢だった。大阪では達者な芸人として映画でも活躍していたが、東京では厳しい見方もあった。だが、菊田一夫は森光子起用に踏み切った。若いのに老け役に無理がなく、東京の芝居も充分にこなした。特筆すべきは、森が『放浪記』と共に成長し、舞台としての総合評価が右肩上がりを続けていることだ。杉村春子の『女の一生』でさえ年齢的に難しい時期があった。でも『放浪記』にはそれがない、と評価は極めて高い。


 <参照> 森光子さん「放浪記」1800回上演達成 !( 2006/9/4 )

東京・帝国劇場で4日、女優、森光子(86)主演の舞台「放浪記」が上演1800回を達成。林芙美子役を好演してきた森は「“でんぐりがえし”の場面になると拍手をいただける。スポーツ番組みたい」と笑わせた。

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石段を降りる場面の稽古中に、地震に見舞われたというエピソードを明かしながらも、「地震がきても、あわてない自信はあります」と健在ぶりをアピール。森は筋力を鍛えるため、ヒンズースクワットを1日150回行っている上、健康のため1日3個卵を食べるなど、健康管理に気を配っているとか。

森さんは「みんなで作り上げた芝居です。今日も必死で、いつも通りに心を込めて演じました。これからも健康で、この役を続けていきたい」と語り、盛んに拍手を送る客席に向かって深々と頭を下げた。


 <参照> 森光子さん「放浪記」1900回上演達成 !( 2008/2/23 )

女優の森光子さん(87)が主演する舞台「放浪記」が23日、東京・有楽町のシアタークリエで上演1900回を迎え、特別カーテンコールが行われた。森は満席の場内を見渡し「できれば、もう少しやりたいと思います」と挨拶。さらなる記録更新に意欲をみせた。森を慕う近藤真彦(43)、東山紀之(41)らジャニーズ事務所のタレントも祝福に駆けつけた。

 「これを達成させてくださったのはお客さま。みなさまの力です」と感謝。「風邪と転倒には気をつけています。できればもう少しやりたいと思います」と、2000回への挑戦も宣言。

 1961年10月20日、芸術座での初演から実に47年。1900回目は、同劇場跡地に昨秋オープンしたシアタークリエで迎えた。 今年は原作者で、森を見いだした菊田一夫氏の生誕百年。記念の年に記録を達成し、喜びもひとしお。「47年前、なぜ私を抜擢してくださったのか聞けなかった。怖い先生で、結局、最後までお礼も言えなかったんです」と恩師への思いを語った。また、菊田氏に厳しい指導を受けて迎えた初演時に、舞台そでから恐る恐る観客の入りを確認したという逸話も披露した。

 同劇場での公演は3月30日までで、その後、博多、大阪など全国ツアー。今年中には上演1995回に達する。「お客さまが来てくださる間は、ずっと」と話し、都内レストランでの記念パーティーに向かった。

 ※ 子どもの頃、テレビの中継録画で見た覚えがある。退屈な芝居にしか思えなかった。それから47年の歳月は、短い人間の一生の中では余りにも長い時間だ。林芙美子は1951年、48歳で亡くなっている。森は林の齢に40年の歳月を加えた。そして今なお二十歳代の役をこなしている。森の人生が、まさに結実した「放浪記」なのだ。見ざるべからざるの思い止みがたく、本日正午、中日劇場に足を運びます。

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