今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 ◇ 海自イージス艦が漁船と衝突、2人が行方不明、千葉沖(2月19日)

 19日午前4時23分ごろ、海上自衛隊のイージス艦「あたご」(7700トン)から、「漁船と衝突し、漁船の船体が2つに割れて浮いている」と第3管区海上保安本部(横浜)に連絡があった。

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 同本部によると、衝突地点は千葉県南房総市の野島崎の南約40キロの海上で、漁船は勝浦市の新勝浦市漁協所属の「清徳丸」(長さ12メートル、7.3トン)で、乗組員2人が行方不明になっている。同本部は巡視船などを派遣し、詳しい状況を調べるとともに、不明者の捜索を行う。新勝浦市漁協によると、清徳丸に乗っているのは船主の吉清治夫さん(58)と、その息子とみられる。


 ◇ 防衛相は連絡体制の不備認める、首相が報告遅れを批判

 海上自衛隊のイージス艦と漁船の19日の衝突事故に関し、政府内で情報伝達の遅れがあったことで、防衛省内の連絡体制の不備が改めて問われる。

 石破防衛相によると、防衛相に報告があったのは、19日午前5時40分ごろで、事故発生から約1時間半も経過していた。防衛相は閣議後の記者会見で、「内部部局に連絡が入ったのが5時。そこから私に入るのに約40分かかった。とりあえずの第一報は、もっと早く大臣に入るべきだった」と語り、防衛省内の連絡体制の不備を認めた。その上で、「危機管理上からもっと短縮できるはず。その体制は本日から、即座に改める」と述べた。

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 ※ まるで与えられた玩具で、乱暴な遊びをする悪ガキみたいな…

 福田首相は19日昼、首相官邸で記者団に、自身には秘書官を通じ午前6時ごろに一報が入ったことを明かした上で、防衛相への情報伝達の遅れに関し、「防衛省関係の事故で、それも人身事故の可能性もあるということであれば、すぐに大臣には連絡が行かないといけない。『遅いんじゃないか』ということは石破防衛相にも申し上げた。防衛相に連絡が行くのが何しろ遅かった」と述べ、防衛省内の連絡体制を批判した。防衛省幹部の1人は、「内局に報告があってから大臣に情報が届くまで40分もかかるのは、あり得ない事態だ」と語り、問題の深刻さを指摘した。


 ※ イージス艦システムが全く機能しないことを立証した不幸な事故
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 自身の周辺すら探知できずに、北朝鮮のミサイルを探知できるとは到底思えない。波のおだやかな日だったので、海上レーダーで1キロ先の小さな漁船も探知できると言う。にもかかわらず、イージス艦が回避措置をとったのは衝突直前だった。なんとも高い買い物をさせられたものだ。米軍に御奉公するばかりだ。軍事オタク・石破防衛相も、オタクの名が泣こうというものだ。世界有数の軍事費を出費しながらも、世界最低ランクの防衛体制が露呈された。お粗末のひと言に尽きる。

 去年の12月に出火事故を起こした護衛艦「しらね」。その出火原因は、乗組員が無許可で持ち込んだ「保冷温庫」の異常過熱が原因だった可能性が高いとする調査結果がまとまった。防衛省は引退予定の別の護衛艦から機器を移した上で約60億円かけて修理する方針だと言う。
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 火災は昨年12月14日夜に発生し、ミサイルや機関砲などによる射撃管制を担う最重要区画の「戦闘指揮所(CIC)」が激しく燃えた。海幕の内部調査によると、保冷温庫は缶入り飲料などを冷やしたり温めたりする装置で、中国製のポータブルタイプ。CIC内の冷蔵庫の上に置かれて保温用に使われていたが、何らかの理由で過熱し、出火した可能性が高いという。

 最も重要な部署に、私物を持ち込んだ末の出火事故。およそ軍隊の体をなしていない。自衛隊だから、これでいいのかと妙に納得しても空しい限りだ。イージス艦機密の漏洩、ウィニーによる情報漏洩など、自衛隊はタガが緩みきっている。災害出動に特化したほうがいいんじゃないのかな。
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 平成20年2月19日(火)昨日:東芝「HD DVD」撤退、量販店に問い合わせ殺到。

 東芝が「HD DVD」事業から撤退する方針を固めたことを受け、「HD DVD」対応のレコーダーを販売する家電量販店には、顧客からの問い合わせが殺到し、担当者は対応に追われた。東芝は18日、「HD DVD」事業について「今後の事業方針を検討しているのは事実だが、具体的には何も決まっていない」とのコメントを発表。
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 東芝の撤退が報じられた17日以降、都内のある大手家電量販店には「撤退との報道は本当か」、「購入した機器が使えなくなるのでは」といった客からの問い合わせが相次いだ。同店では、米映画大手のワーナー・ブラザーズが、ソニーなどが推進する「ブルーレイディスク」単独支持を表明するなど、販売が低調だったため、1か月前から「HD DVD」レコーダーを在庫販売のみに切り替えていた。売り場の品ぞろえも、BD陣営の12機種を並べているのに対し、「HD DVD」は東芝の1機種だけ。販売担当者は「商品は、もともと数が多いBDが中心だった。撤退もある程度予想していた」と話す。業界関係者は、北京五輪などを控え、BDに規格が統一されれば、高画質DVDの普及に弾みがつくことを期待している。



 1998年2月19日、代議士・新井将敬が自死。

 ◇ 新井将敬(しょうけい、1948年〜1998年)

 1983年の衆議院議員総選挙に、東京2区から初出馬するも落選。この選挙で対立候補であった石原慎太郎陣営から新井の出自を誹謗する「黒シール事件」が起こり、石原を告訴している。石原は当初は「秘書が勝手にやった」と弁解していたが、民族的出自を誹謗したことに関しては、「選挙民は立候補した人のパーソナルヒストリーを知る権利がある」と正当化。新井はその際、右翼活動家・野村秋介と知り合い、終生つきあうこととなる。

 1986年の衆議院議員総選挙で初当選。以後4回当選。
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 1990年代に政治改革が政局の焦点になると、改革派の若手論客としてテレビに出演、脚光を浴びるようになる。安倍晋三らも当時、新井と行動を共にした。1993年の自由民主党の分裂では、自民党に残るが、細川護煕の後継をめぐる渡辺美智雄擁立劇では先行離党し、柿沢弘治、太田誠一、佐藤静雄、山本拓、高市早苗、米田建三らと自由党を結成。その後、院内会派・自由改革連合を結成。

 1994年12月、新進党結党に参加し、新進党東京都連では幹事長を務めたが、1996年6月に離党。その後、初の小選挙区制で行われた第41回衆議院議員総選挙にも無所属で出馬し、自民党公認の大内啓伍を破って再選。選挙後、新進党を離党し無所属で再選した船田元、石破茂らと新会派「21世紀」を経て自民党に復党。

 一連の証券スキャンダルでの借名口座による株取引が問題化する。更に日興証券に利益要求していたという疑惑も浮かび上がる。1998年2月、衆議院本会議で逮捕許諾が議決される直前に会見を開き、「最後(最期?)の言葉だけは聞いてください。私は潔白です」と発言をし、翌日、真相が解明されないまま都内のホテル(ホテルパシフィック東京23階2338号)で首を吊って自死。「終わってみれば、あの発言は自殺示唆だったのでは…」と報道された。部屋にはウイスキーの空き瓶が沢山ころがっていた。その死には諸説あり、他殺の可能性も排除しきれないとも。

 1993.09.30 第57回 自民党臨時大会でのインタビュー

 ※ 田丸美寿々さん、お若い。


 ◇「黒シール事件」のあらまし
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 1983年の衆議院議員総選挙に、東京2区から初出馬するも落選。この選挙で対立候補であった石原慎太郎陣営から新井の出自を誹謗する「黒シール事件」が起った。

 選挙中、何者かが新井の選挙ポスターに「1966年に北朝鮮から帰化」という差別中傷シールを貼るという事件。それを指揮していたのは石原の公設第一秘書だった。この公設第一秘書は大手ゼネコンの社員であったが、休職扱いで出向していた。第一公設秘書が指揮したとあれば、当然石原の指示が疑われる。
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 新井は、在日コリアンで日韓基本条約で大韓民国と関係を結んだ翌年、1966年に日本国国籍を取得。取得前の本名は朴景在(パク・キョンジェ)で、新井は通名だった。取得前の国籍は朝鮮籍であり、黒シールにあるような北朝鮮国籍ではない。

 民族派右翼の大物・野村秋介の登場
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 右翼である一方で、在日コリアンの人権向上に取り組んでいた野村は「日本民族の顔に泥を塗る破廉恥行為である」と烈火のごとく怒り、石原慎太郎事務所に押しかけ「全ての在日朝鮮人に土下座して謝れ」と石原を怒鳴りつけた。石原は党内の信用を失墜、社会的非難も浴び、やむなく新井に謝罪した。逮捕されたのは公設第一秘書のみで、石原自身に捜査が及ぶことはなかった。公設第一秘書は後に、鹿島建設に復帰。
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 ◇ 本日、「国府宮はだか祭」

 実施日:旧正月の13日(平成20年は2月19日)
 場 所:愛知県稲沢市國府宮1-1-1 TEL(0587)23-2121

 尾張大國霊神社(国府宮)
 http://www.konomiya.or.jp/

 【参照】3月2日、愛知・国府宮はだか祭(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/29294849.html


 【参照】2月19日、あさま山荘事件
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/28771953.html
 ◇「はだか祭」の大鏡もち奉納、愛知・稲沢の国府宮(2月18日)

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 愛知県稲沢市の尾張大国霊神社(国府宮)の「はだか祭」を前に18日、祭りのシンボルとなる大鏡もちが奉納されました。

 大鏡もちは、同県美和町の美和奉賛会(原忠之会長)が用意した直径2.4メートル、重さ3.3トン。新車のトラックに乗せられ、美和町民グラウンドを出発。途中、町役場に立ち寄り、奉賛会芸能部メンバーの踊りなどで盛り上げた。

 役場からは約15キロをパレード。JR稲沢駅前などを経て、午後零時半ごろ、神社に到着。数百人の奉賛会メンバーと共に参道を進み、クレーンで神社拝殿に奉納されました。大鏡もちは、19日の祭り本番の儺追(なおい)神事の翌日に、切り分けられて参拝者らに配られます。


 ◇ 国府宮はだか祭

 今から約1240年余り前、奈良時代の神護景雲元年(767)に始まったと伝えられ、正しくは「儺追神事」といい、尾張国司が悪疫退散を祈願する厄払いを尾張大国霊神社(国府宮神社)で行ったのが由来とされます。毎年旧暦正月13日に行われます。

 富士浅間神社火祭(山梨県)、帯まつり(静岡県)と並ぶ、日本三奇祭の一つとも言われ、祭りでは、今年厄年を迎えた男たちが集まり、おみくじによって選ばれた儺負人に触れることができると厄落としができると言われ、触れて厄落としをしようと必死にもみ合います。

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