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平成20年2月2日(土)昨日:北の湖理事長、逆風の中の4選。 日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で任期(2年)満了に伴って改選された理事10人による理事会を開き、理事長に北の湖理事(54)を満場一致で互選した。4期目を迎えるのは、1974年から7期14年務めた春日野理事長(元横綱栃錦)以来。朝青龍のサッカー騒動、時津風部屋の力士死亡などで協会トップの責任が問われたが、対立候補はなく、長期体制に入った。 2月2日は、バスガール初登場の日です。 1920年2月2日、日本でバスガールが初めて登場しました。 関東大震災で壊滅した東京に初めて市バスが走ったのは、1924年(大正13年)1月18日。ルートは東京駅〜巣鴨、東京駅〜中渋谷の2系統でした。バスはT型フォードの11人乗りで、かなりのおんぼろバスで、乗り心地は悪かった。当時、円太郎という落語家がこれを揶揄したため、この市バスは「円太郎」と呼ばれるようになりました。 この年12月20日には、「赤襟嬢」という名の女性車掌(つまりバスガール)も登場しました。服装は紺に真紅の襟でとってもハイカラでしたが、まだまだ職業婦人には社会の理解がなく、希望者は少なかった。第1回は定員170人のところ69人採用。第2回、第3回はともに定員120人のところ、大幅な定員割れ。余りの不人気に、市も困惑した模様。 次第にバスガイドの人気は非常に高まっていき、ついには希望者が殺到するようになります。ちなみに、日本初のバスガールは1920年(大正9年)2月2日、東京市街自動車の乗合バスに登場しています。黒のツーピースに白の襟と、これまたハイカラな格好で、しかも初任給は超破格の35円でした。当初の採用はわずか37人でした。 ◇ 女性の社会進出と「○○ガール」 電話交換手 → ハロー・ガール ガソリン販売 → ガソリン・ガール 裕福な文士などの援交? → ステッキガール 踊り子 → レビューガール タクシーの座席から男を誘う女 → 円タクガール 東京湾汽船乗務員 → マリン・ガール 理髪店で爪の掃除 → マニキュア・ガール → (現・ネイル・アーティスト) モデル兼売り子 → マネキン・ガール → (現・ハウス・マヌカン) 女子事務員 → ビジネス・ガール(実は商売女) → (現・オフィス・レディー) スチュワーデス → エアー・ガール → (現・フライト・アテンダント) ◇『田舎のバスで』唄:中村メイコ(昭和30年) 田舎のバスはオンボロ車 でこぼこ道をがたごと走る それでもお客さん、我慢をしている それは、私が美人だから 田舎のバスはオンボロ車 タイヤは継ぎだらけ窓は閉まらない それでもお客さん、我慢をしている それは、私が美人だから ◇『東京のバスガール』唄:初代コロンビアローズ 若い希望も恋もある ビルの街から山の手へ 紺の制服身につけて 私は東京のバスガール 発車オーライ 明るく明るく走るのよ 昨日こころにとめた方 今日はきれいな人つれて 夢ははかなく破れても くじけちゃいれないバスガール 発車オーライ 明るく明るく走るのよ 酔ったお客の意地わるさ いやな言葉でどなられて ほろり落としたひとしずく それでも東京のバスガール 発車オーライ 明るく明るく走るのよ ◇ 初代コロンビアローズ 昭和8年1月4日生まれ。群馬県桐生市出身。本名は松本光世(マツ江改め)。昭和26年の秋、第2回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝、日本コロムビアに入社。デビュー名の「コロムビアローズ」は会社名と、第二次大戦中に米軍兵士から「東京ローズ」と呼ばれた女性アナウンサーの名をヒントに付けられた。翌27年、戦後初の覆面歌手として「娘十九はまだ純情よ」でデビュー。昭和30年〜32年にかけて「渡り鳥いつ帰る」「どうせひろった恋だもの」「東京のバスガール」などをヒットさせた。昭和34年には、最も歌唱力のある第一線歌手として、男なら春日八郎、女ならコロムビアローズといわれた。昭和31年に「娘艶歌師」でNHK紅白歌合戦初出場。 |

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