今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 ◇ クリントン氏の支持基盤崩壊か、最新世論調査(2月26日)

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 米大統領選の民主党候補争いで25日公開された最新の全米世論調査結果では、ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)上院議員の支持基盤が崩壊しつつある可能性を示している。クリントン氏はバラク・オバマ(Barack Obama)上院議員を相手に激しい攻撃を繰り広げている。

 CBSテレビとニューヨーク・タイムズ(New York Times)が発表した全米世論調査によると、オバマ氏の支持率は54%とクリントン氏の38%を16ポイント上回った。オバマ氏11連勝以前の3週間前の調査結果では両者41%で並んでいた。前月はクリントン氏が15ポイントも上回っていたのに。

 USAトゥデー(USA Today)の全米調査でも、オバマ氏51%、クリントン氏39%とオバマ氏の勢いが表れているが、ギャラップ(Gallup)の調査では、わずか2ポイントのリードとなっている。

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 代議員数でオバマ氏を追うクリントン氏は、大票田オハイオ(Ohio)、テキサス(Texas)2州での勝利が必須だが、最新の調査結果からはクリントン氏の勝機も薄れてみえるようだ。

 CNNとオピニオンリサーチ(Opinion Research)によるテキサス州での世論調査では、46%にとどまったクリントン氏に対し、有権者の50%がオバマ氏支持を表明、初めて上回った。ただし調査の誤差3.5%でほかの調査結果も考慮すると、勝負はまだ拮抗しているといえる。

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 ◇ クリントン、オバマ両氏、オハイオ州で舌戦(2月27日)

 米大統領選の民主党指名レースで、劣勢のヒラリー・クリントン上院議員が起死回生をかける政策討論会が26日夜(日本時間27日午前)、オハイオ州クリーブランドで行われた。

 クリントン氏が「医療保険や北米自由貿易協定(NAFTA)に関する私の政策について(間違った情報を含む)ビラが(オバマ陣営によって)配られたことは不愉快だ」と切り出すと、オバマ上院議員は「私こそ、クリントン氏の敵対的な郵送ビラを我慢してきた」と反論するなど、冒頭から緊迫したやりとりが繰り広げられた。しかし、情勢を大きく変えるような決定的な場面はなかった。

 クリントン氏の命運は3月4日のオハイオやテキサス州での予備選で事実上決まると見られている。最近の世論調査では、両州ともにこれまでのクリントン氏のリードが消えて接戦になっている。
 平成20年2月27日(水)昨日:頼みのテキサス州も危機、クリントン氏悪循環。

 米大統領選挙の民主党指名候補選びで苦戦するヒラリー・クリントン上院議員がライバルのオバマ上院議員の勢いをとめられない。3月4日のテキサス州予備選挙で敗れれば、指名候補獲得は事実上困難になる。追い込まれたクリントン氏は19日のウィスコンシン州予備選挙での敗北後、オバマ氏をあの手この手で揺さぶるが、今のところ効果は出ていない。

 この1週間、クリントン氏はさまざまな戦略を試した。21日の討論会では弱気な発言で有権者の「情」に訴えた一方、23日にはオバマ陣営によるクリントン氏批判に対し「恥を知れ」と怒りを爆発させた。24日にはオバマ氏の演説をまねして「さあ、みんな団結しよう。そうすれば、暗雲は消え、光が差し、素晴らしい世界になる」と陽気に演じてみせた。



 2月27日は、「新選組の日」と巷間伝えられる日なのです。

 記念日カレンダーなどには「新選組の日」とされる2月27日ですが、
 その根拠が定かではない「記念日」のようです。

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 ◇ 新選(撰)組の結成

 文久2年(1862年)、江戸幕府は将軍・徳川家茂の上洛に際し、将軍警護の名目で浪士を募集する。これは庄内藩の郷士・清河八郎の建策を幕府が受け入れてのもの。

 翌文久3年(1863年)2月27日、集まった200名余りの浪士達は将軍上洛に先がけ、浪士組として一団を成し、中山道を西上する。浪士取締役には、松平主税之介、鵜殿鳩翁、窪田鎮克、山岡鉄舟、中条金之助、佐々木只三郎らが任じられた。

 ※ 2月27日は、新選組の前身である「壬生浪士組」が結成された日ではなく、単なる浪士組の一団が京を目指す日、と言う何となく中途半端な日?

 ※ 文久3年2月27日、京都守護職・松平容保公が、浪士組を会津藩御預りとする建白書を提出した日とも。

 京に到着後、清河が勤王勢力と通じ、浪士組を天皇配下の兵力にしようとする画策が露見。浪士取締役の協議の結果、清河の計画を阻止するために浪士組は江戸に戻ることとなる。これに対し、近藤勇、土方歳三を中心とする試衛館派と、芹沢鴨を中心とする水戸派は、あくまでも将軍警護の為の京都残留を主張。

 鵜殿鳩翁は、浪士組の殿内義雄と家里次郎に残留者を募るよう指示。これに応えて試衛館派、水戸派、殿内以下、根岸友山一派などが京の壬生村に残ったが、根岸派は直後に脱退、殿内・家里は排斥され、同年3月、新選組の前身である「壬生浪士組」(「精忠浪士組」とも称した)が結成される。その目的は公武合体に基づく攘夷断行の実現に助力することであった。
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 壬生村の八木邸や前川邸などを屯所とし、第一次の隊士募集を行う。その結果36人余の集団となった壬生浪士組は、京都守護職・松平容保より、主に尊攘激派(=尊皇攘夷の急進派、勤王倒幕)浪士らによる不逞行為の取り締まりと、市中警護を任された。(京の人々からは「壬生浪<みぶろー>」と揶揄されたとか。)

 同年8月に起きた「八月十八日の政変」に出動し、壬生浪士組はその働きを評価される。そして、新たな隊名を拝命、ここに幕末史に名を残す「新選組」が誕生する。 隊名は武家伝奏(当時は野宮定功と飛鳥井雅典)から賜ったという説と、会津藩主・松平容保から賜ったという二説がある。


 ◇ 新選組の日、3月13日に、同好会などサミット開催(2004年3月)

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 全国の新選組同好会やゆかりの地の観光協会など12団体が、3月13日を“新選組の日”とし、毎年持ち回りで新選組の魅力を語る「新選組サミット」を開くことを決めました。2004年は土方歳三副長の出身地、東京都日野市で13日から2日間、開催しました。

 日野新選組同好会(日野市)の峯岸弘行さんらが呼び掛け、新選組が活躍した京都市の商店街や、土方副長が戦死した北海道函館市の同好会、芹沢鴨局長の出身地とされる茨城県玉造町観光協会などが応じました。各団体のメンバーら約1000人にアンケートを取った結果、約4割が壬生浪士組に会津藩預かりとする知らせが届いたとされる(1863年)3月13日がふさわしいと回答しました。他には、「池田屋事件」「禁門の変」を推す意見もありました。


 ◇ 新選組の装束

 新選組といえば、浅葱色(あさぎいろ=緑がかった薄い藍色)のだんだら模様の羽織が有名だが、これは新選組が結成した初期の頃にしか着用されず、その後は「黒衣、黒袴」の黒づくめが新選組の目印となったようだ。新選組は約4年間にわたり、京都で倒幕派の弾圧を行った。


 ◇ 池田屋事件
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 新選組の名を一躍、高からしめたのが、世に言う「池田屋事件」。1864年(元治元年)の6月5日夜、三条小橋近くの池田屋で事件は起こります。

 捜索の末、池田屋で謀議中の尊攘過激派を発見した近藤隊は数名で斬り込む。真夜中の戦闘で、20数名の尊攘過激派に対し、当初踏み込んだのは近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4名で残りは屋外を固めた。

 裏口を守っていた安藤早太郎、奥沢栄助、新田革左衛門らに、浪士が脱出しようと必死で斬りこみ逃亡。これにより奥沢は死亡、安藤、新田も一ヶ月後に死亡した。屋内に踏み込んだ沖田は奮戦するも戦闘中に吐血して戦線離脱。一階の藤堂は汗で鉢金がずれたところに太刀を浴びせられ、額を斬られ戦線離脱。一時はわずかに近藤、永倉の2名のみとなるが、土方隊の到着により、戦局は一転した。
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 9名討ち取り、4名捕縛。会津、桑名両藩の応援は戦闘後に到着。土方は手柄を横取りされぬように、一歩たりとも近づけさせなかったという。この戦闘で数名の尊攘過激派は逃走したが、続く翌朝の市中掃討で会津、桑名藩らと連携し20余名を捕縛した。

 双方で死者19名を出した池田屋事件。その激闘の地は、現在パチンコ店に姿を変え、往時を偲ばせるものは、わずかに小さな石碑ひとつばかりとか。

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 賑やかにパチンコ店となりにける 今は昔の池田屋事件


 【参照】2月27日、田中角栄元首相が脳硬塞で入院
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/29153942.html

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