今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 ◇ 三浦元社長逮捕はブログが端緒、米当局把握(2月29日15時)

 米ロサンゼルス市で1981年、三浦一美さんが銃撃、殺害された、いわゆる「ロス疑惑」の銃撃事件で、日本で無罪が確定している元雑貨輸入販売会社社長三浦和義容疑者が米自治領サイパンで逮捕されるきっかけになったのは、三浦元社長が自らのブログに書き込んだ海外旅行の予定だったことがわかった。捜査を担当するロス市警のリック・ジャクソン担当捜査官が28日、明らかにした。
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 三浦元社長は、実刑判決を受けた「ロス疑惑」の殴打事件の服役を終えた2001年1月、日本語のブログを開設。各地の冤罪事件の支援や執筆活動など自らの日常についてつづっていた。

 2004年末には、正月にかけて6日間の海外旅行をすると書いた。以後、ブログの読者とのやりとりの中で最近2、3年で数回海外に行ったことや、一番印象的な旅行地はギリシャのクレタ島だったことを明かしていた。

 捜査関係者によると、元社長がブログに海外旅行のことを最初に書き込んだ直後の2005年初め、ロス当局はブログの存在を日本国内からの情報で知り、渡航情報も把握した。約20年前、殴打事件で公判中だった元社長の身柄引き渡しを日本側がせず、逮捕を断念した経緯があったことから、元社長が日本国外に出国すれば、第三国でも身柄の引き渡しを求め、立件ができる可能性が高いとして再捜査を始めた。

 三浦元社長を逮捕


 元社長は昨年5月、サイパンで遊んできたとブログに記載。9月にも旅行する予定であると書いた。ロス当局はこうした情報をサイパン当局に通報し、22日に逮捕した。サイパンの検事局によると、最近1年半の間に今回を含め4回サイパン入りしていたという。

 三浦和義の独り言(本人ブログ)
 http://www.0823.org//shu1_diary/shu1_diary/


 2007/05/28(月) このところ・・・

 サイパンに5泊6日で、ゆったり〜と遊んできました。一日中、クルーザーを借り切ったり、カジノで遊んだりの、親しい友人ら15人くらいの滞在でした。南の群青色の海に浮かんでいると、この地で戦死した先人らの思いに引かれ、物悲しい切ない気持ちにも始終でした。合掌。

 ゴーカート、ジェットスキーではトップ!(エッヘン!!)今度は9月に3・4日、再び友人らと行こうと思っています。

 三浦元社長を逮捕(米報道)


 「弁護士いらず」の改訂版の校正も今夕にはほとんど終わりそうで、ホッとしています。このところ、民事訴訟が増え、毎日訴状や書面を書いたり、登記簿謄本の取り寄せ手続きをしたり大童です。既に、和解を申し込んできている会社もあり、その話し合いにも時間がとられそうです。どちらかと言うと、勝てる訴訟だけに裁判の場で決着をつけたいと思っているのですが・・・。

 このところ、ラッキーとマリンの6種混合ワクチンの接種やら、トリミングやらで、愛犬のお世話も大変です。そういうさなか、先日は接触事故に合い、車はトヨタに入って、代車に乗っています。この代車、バックのテレビカメラがよく作動しなかったり、センサーが付いていなかったり、空気清浄機もなかったりで、一日も早く自車が戻ってくることを待ち侘びています。

 三浦和義が事件を語る(1984年3月)


 ※「公選にしたい。金銭的に弁護士は雇えない」と話したそうだが、これじゃあ公選弁護士は認められませんね。数多くの訴訟で稼ぎまくったお金を吐き出して貰いましょう。三浦容疑者は逮捕当時の心境について、「米本土はああいうことがあったから避けていたが、サイパンは米国ではないと思っていた」と、米国の警察権が及ばないとの認識だったことを明かしている。

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2月29日、閏年の29日

 平成20年2月29日(金)昨日:海幕、独断で航海長聴取、防衛相より前に。

 石破茂防衛相は28日午後の参院外交防衛委員会で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」の衝突事故の際、航海長への事情聴取を石破氏の了解を得ないまま、海上幕僚監部(海幕)が独断で行っていたことを明らかにした。石破氏は「問題だ。事前に教えてもらいたかった」と述べ、不適切だったと認めた。事情聴取は計2回で、海幕が事故当日の19日午前10時ごろから、石破氏ら同省幹部が正午から、それぞれ1時間ずつ行った。
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 石破氏によると、事情聴取することは事前に知らされず、19日正午前になって、海幕が航海長を聴取しているとの報告を受けた。そこで石破氏は自らも直接、事情聴取できるよう指示したという。石破氏は、自身が事情聴取に加わっていた事実を公表するのが遅れたことについて「もっと早く言うべきだった。虚偽を言ったつもりは毛頭ない」と釈明。

 石破氏は、聴取内容をメモにまとめた上で、19日午後4時ごろに海上保安庁側にファクスで送ったと説明。増田好平事務次官は27日、記録をとっていなかったと説明したが、これを一転させた。増田氏は28日の記者会見で、護衛艦隊幕僚長が19日にあたご艦内で行った乗組員への事情聴取が、海保の了解を得ていなかったことを明らかにした。
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 ※ 良くも悪くも、10年に一度は実戦経験を積まなければ、軍隊は一定水準を維持できない、と言うことを如実に証明する結果となった。完璧に官僚化した自衛隊には、災害救助のみが適任なのだ。もっともっと軍事費を削減しよう。イージス艦など、宝の持ち腐れ?



 2月29日、今日は閏年(じゅんねん)の29日です。(≒オリンピック年)

 閏年は平年より暦日または暦月がひとつ多い。日本では、近代より一日を加え、近世まではひと月を適宜加えていた(13ヶ月となる一年が生じた)。現代では閏秒を加えて微調整をしている。

 ※ 閏年(うるうどし)の呼称は、「閏」を「潤」と誤認したことから、「うるおう」「うるう」となったもの。いわゆる慣例誤用。

 ※ 「閏」とは、王が門の内に閉じこもり静養する様を示すもので、転じて「定数からはみ出ること」「不正規な状態」などの意味とか。

 ※ 「Leap Day」(跳躍の日=閏日):その昔、イギリスでは、4年間のうちで今日だけは女性から男性へのプロポーズが認められており、プロポーズされた男性は断わる事が許されなかったとか。


 ◇ 4年に一度の閏年?(置閏法と呼ぶ)

 地球の公転周期(≒平均回帰年)は、約365.2422日。365日と5時間48分46秒となります。4年に一度、閏日を設けると、実際は23時間15分4秒のところに、24時間を付与することになります。つまり、44分56秒が過剰になります。そこで、以下に述べる置閏法というもので、うまいこと調整しています。
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 ◇ 暦の成り立ち

 太陽暦では季節に暦を一致させるため、暦年の平均の長さを平均回帰年(約365.242199日)に一致させています。通常の太陽暦では平年は365日で、閏年は閏日が挿入されて366日。閏年は約4年に1度設けます。(むかし昔、太陽の運行を熟知する者を、日を知る者として、日知り、聖<ひじり>と尊称した。)

 古代エジプトの暦には閏年はなかった。一暦年は常に365日で、4.129年に一日の割合で暦と季節がずれていました。農民は暦ではなく、シリウス(おおいぬ座α星)を見ることで農作業のスケジュールを決めていた。当時すでに回帰年は365.25日という観測値が得られていたのだが、暦に反映することはなかった。(シリウス:ナイル川の氾濫時期を知らせてくれる星)

 ユリウス暦は紀元前46年、古代ローマで採用されました。4年に1回、閏年とした。一暦年は平均365.25日で、約128年に1日の割合で暦と季節がずれるが、閏年をおかない場合に比べれば大きな進歩を遂げた。ユリウス暦では、閏年の2月に日数を一日追加して、29日とします。

 何故2月なのか? その理由は古ローマ暦ではMartius(3月)が年初で、Februarius(2月)が年末だったからです。厳密には、共和制初期にIanuarius(1月)を年初とするように変更されましたが、まだ古い慣習が残っていました(月を数字で表すのは後代になってから)。

 このユリウス暦は1000年以上の長きに渡って使われたため、後世になればなるほど暦と季節が大きくずれました(千年で約8日)。ヨーロッパのキリスト教会は325年のニカイア公会議で春分を3月21日と定め、それに従って復活祭の日付を決めていましたが、16世紀には天文学上の春分は3月11日ごろとなり、大きな問題となりました。

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 真打・グレゴリオ暦の登場:そこでローマ教皇・グレゴリウス13世は同時代を代表する学者らを招集し、暦の研究を行わせました。かくて1582年、グレゴリオ暦が制定されます。グレゴリオ暦は数百年かけて世界各国で採用され、現在に至っています。(天正遣欧少年使節がグレゴリウス13世に謁見しております。代表は伊東マンショ。各地で熱烈歓迎され、その凛々しさ故に極東日本の名誉を大いに顕揚した。)

 グレゴリオ暦では、以下の規則(置閏法)に従って400年に97回の閏年が設けられます(400年に3回閏年を省く)。一暦年は平均365.2425日(365日5時間49分12秒)で、約3320年に一日の割合で暦と季節がずれます。

 1、西暦年が4で割り切れる年は閏年。
 2、ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年。
 3、ただし、西暦年が400で割り切れる年は閏年。


 ◇ 今日がお誕生日の方々

 マキノ雅弘(1908年)、映画監督

 バルテュス(1908年)、画家

 原田芳雄(1940年)、俳優

 赤川次郎(1948年)、推理作家

 羽仁未央(1964年)、メディアプロデューサー


 ◇ 明治維新後にグレゴリオ暦を採用した裏事情、それは財政難

 今月は29日もあり、サラリーマンにすれば一日ただ働き? みたいな感慨があるかも知れません。自営業の皆さんは、やれやれ一日分助かった? みたいなお値打ち感があるかも知れません。わが国が新暦を採用するについては、似たような“せこい”事情があったと言われております。

 明治5年11月9日に、太陽暦採用の詔書が出され、「明治5年12月3日を同6年1月1日とする」ことが決まりました。(明治5年12月は、わずか2日間のみでした。)

 これには財政上の理由もありました。官吏の給与は年俸制から月給制に移行していましたが、明治5年には暦のずれを調整する閏月(12月の後に閏12月が予定されていた)が控えていました。このままでは、一年で13ヶ月の給与を支払わなければならないので、そこで取られた妙手が新暦転換でした。おかげで、明治政府は余計な給与を支払わずにすんだという次第。新政府は火の車でしたから。おかげで、官吏は当てにしていた臨時ボーナスをフイにしてしまいました。

 【参照】11月9日、太陽暦採用記念日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/38046115.html

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