今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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手本は二宮金次郎

 ◇ 手本は二宮金次郎、分度を超えた国家予算

 出久根達郎の 「書物浪漫」 『分度』 (2009.05.12)

 村を興すには、村人の生活の建て直しからである。二宮金次郎は、まず「分度」なるものを説いた。分限度合のことである。自分の経済能力がどれくらいのものか、まず知らなくてはいけない。分を知る。分相応の分である。身の程である。家計で言えば、財産、収入である。それをはっきり把握し、予算を組み、切り盛りする。この計画を、「分度を立てる」といった。

 収入に応じて支出する。当たり前のことだが、言うは易く、行なうのはむずかしい。大抵の者が分際を知らずに、支出過多の生活をし、借金を重ねて首が回らなくなる。二宮は桜町復興資金として、金五十両、米二百俵を預かった。この金を無利息で村人に貸し出した。生活を立て直させ、働かせた。皆の投票で働き者を選出し、表彰した。怠け者は厳しく叱った。おだてたり怒ったり … 。二宮は温和な性格の人だが、ひとたび怒ると、大変恐ろしかったらしい。(古書店主、作家)


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 ◇ 二宮尊徳(にのみや たかのり、1787年〜1856年)

 江戸後期に「報徳思想」を唱え、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家。通称は金次郎(正しくは金治郎)、「尊徳」は諱。

 相模国足柄上郡栢山(かやま)村(現・神奈川県小田原市栢山)に、百姓・利右衛門の長男として生まれる。14歳で利右衛門が死去、2年後には母も亡くなり、金治郎は伯父・二宮万兵衛の家に預けられる。伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させ、また僅かに残った田畑を小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功。

 生家の再興に成功すると、金治郎は地主経営を行いながら自身は小田原に出て、武家奉公人として働いた。奉公先の小田原藩家老服部家でその才を買われて服部家の財政建て直しを頼まれ見事に成功させ、小田原藩内で名前が知られるようになる。その才能を見込まれて、小田原藩大久保家の分家であった旗本宇津家の知行所であった下野国桜町領(栃木県旧二宮町周辺、現・真岡市)の仕法を任せられる。後に東郷陣屋(同真岡市)にあって天領(真岡代官領)の経営を行い成果を上げる。その方法は報徳仕法として他の範となる。その後、日光山領の仕法を行う。

 二宮尊徳の仕法は他の農村の規範ともなった。没後1891年、従四位が追贈される。『二宮神社』が、生地の小田原(報徳二宮神社)、終焉の地・今市(今市報徳二宮神社)、仕法の地・栃木県芳賀郡二宮町(桜町二宮神社)などにある。尊徳記念館が神奈川県小田原市栢山に。栃木県芳賀郡二宮町(現在の栃木県真岡市)にも二宮尊徳資料館があります。


 ◇ わが国の借財は、その利払いすらままならない

 財部誠一の「日本の借金時計」
 http://www.takarabe-hrj.co.jp/clockabout.html

 1年間で6兆円の借金が増えます。
 1日あたりで、164億3835万6164円増えます。
 1時間あたりで、6億8493万1507円増えます。
 1秒あたりでは、19万0259円増えます。

 ※ 12.000円の定額給付金は、0.063秒に相当?します。

 ※ 稼ぎに追いつく貧乏なし、は大昔のこと。
 今や日本の借財はブラックホール化して、歳入を呑み尽くします。
 孫子の代の資産を先喰いする悪辣な予算は、若年層の羽をもぎ取る。
 投票行為を怠る者は、有権者ではなく無権者、社会から疎外される。

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 平成21年5月13日(水)昨日:鴻池氏、議員パスで女性と熱海旅行。

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 鴻池祥肇(よしただ)官房副長官(68)が4月28〜30日、知人の女性と静岡・熱海に旅行し、国会議員の公務用に支給されるJRの無料パスを使っていたことを、週刊新潮で報じられることが明らかになった。与党内でも問題視する声が強まり、鴻池氏は副長官を辞任する公算。麻生首相も慰留しない見通し。民主党の小沢代表の公設秘書逮捕後、内閣支持率は回復傾向にあったが、首相側近の不祥事で打撃は避けられそうにない。

 週刊新潮(5月21日号)が報じる。29日は祝日だが、政府が新型インフルエンザ対策に取り組んでいる最中だった。鴻池氏は同誌の取材にパス使用を認めた。自民党幹部は12日夜、「(辞任しないで)もつ訳がない。一番まずいのは、JRのパス券を使ったことだ」と指摘。三役経験者も「鴻池氏は明日辞めるだろう」と語った。後任には同じ麻生派参院議員の浅野勝人氏が有力視されている。 鴻池氏は1月にも知人の女性を参院議員宿舎に宿泊させ、カードキーを貸与したと週刊新潮に報じられた。この時は鴻池氏は宿泊やキーの常時貸与を否定し、首相も問題視しない考えを示していた。

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 参議院議員 鴻池祥肇 (為公会 <麻生派> 副会長)
 http://www.kounoike-web.com/yoshitada.htm



 1935年5月13日、アラビアのロレンスがオートバイ事故。19日に死去。

 ◇ アラビアのロレンス

 彼は反乱軍の指導者、フセインの次男ファイサル王子の陣営に加わった。また、ハリト族の族長アリ・イブン・エル・カリッシュと出会い、ともにアラブ民族独立のために戦うことを誓う。しかし、近代的なトルコ軍の前になすすべのない反乱軍の無力さにロレンスは大きく失望する。そして、難攻不落といわれたトルコの要塞アカバを攻撃する計画を立てる。アカバの防衛の主力は海に向けられていたが、背後は無防備に近かったのである。ところが、その前には越えることが不可能と言われるネフド沙漠が広がっている。アリはこの無謀とも言える作戦に驚くが、ロレンスの戦略家としての才知と意志力に敬服し、ついに進撃を開始する。

 乏しい水、灼熱の太陽と戦いながら、50人のラクダの隊列はアカバを目指した。途中、ハウェイタット族の族長アウダ・アブ・タイとも合流、1917年6月、ついにアカバになだれ込む。背後から不意をつかれたトルコ軍はなすすべなく背走。トルコ軍の戦死者・負傷者は1,200名を数えたが、アラブ側の死者は実に2名という大勝利だった。

 その後もロレンスは巧みな戦略でトルコ軍を何度も破った。しかし、アラブ人は民族の独立どころか略奪に専念し、さらに部族間の激しい争いが統一を妨げていた。カイロに戻ったロレンスは、1916年に英仏間で締結されていたサイクス・ピコ協定を知る。それは、戦後、アラブとトルコの地を、イギリスとフランスで分割しようとするものだった。祖国に裏切られたロレンスは、激しい怒りを感じるが、その後も悲しみをこらえてトルコ軍と戦い、英軍に先だってダマスクスを占領することに成功。アラブ人は狂喜してロレンスを英雄と讃えた。 (映画「アラビアのロレンス」より)


 『アラビアのロレンス』 予告編


 ※ 「あなたを沙漠に引きつけているのは何です?」と聞かれたロレンスは、次のように答える。「清潔だからだ」。この映画の主役は沙漠。美しさと恐ろしさとを内包する沙漠。沙漠を撮るためにデヴィッド・リーン監督は3ヶ月もかけてレールを敷いた。「アラビアのロレンス」は沙漠映画でもあります。

 (キャスト)
 アリ・イブン・エル・カリッシュ(オマー・シャリフ)
 フェイサル王子(アレック・ギネス)
 アウダ・アブ・タイ(アンソニー・クイン)
 英陸軍アレンビー将軍(ジャック・ホーキンス)
 アラビアのロレンス(ピーター・オトゥール)


 ◇ トーマス・エドワード・ロレンス(1888年〜1935年)

 ウェールズの名門の生まれ、オクスフォード大学で考古学を学ぶ。第1次世界大戦が始まって2年目の1916年、ロレンスはカイロの英陸軍司令部に勤務していた。アラビアの情勢に詳しく、オスマン帝国(トルコ)の圧政に苦しむアラビアに深く同情していたロレンスを、イギリス軍事情報部はドイツとトルコの同盟に楔を打ち込む目的でアラビアに派遣する。

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 ロレンスは第1次大戦勃発とともに、イギリス陸軍情報部員であった。アラブ軍を指揮したのはメッカ太守の長男ファイサルであり、ロレンスではなかった。またアラブ軍単独でトルコ軍に抗することなどは人口の点で考えられず、アラブ軍は多くて千人を越えることはなかった。正式にはロレンスの行為は戦時国際法違反に当たるものだった。  戦後の批判をおそれて、ロレンスの身分は転々と変えられる。イギリス軍としてはロレンスの行為を正式には認知できないでいる。対して、トルコのアラビア支配は決して暴虐なものではなかった。戦争によりメッカ巡礼者が減少し収入が減ったメッカ太守ファイサルらしか、トルコに敵対する者はいなかった。イギリス側からの一方的な見方で、トルコ支配から解放するためには何をしても良い、と言う考え方は矛盾する。

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 ※ ロレンスは随員の資格でパリ講和会議にも参加した。その後は軍の援助を得て、アラブ問題研究所を開設、チャーチルやウェーベルもこれに加わった。奇矯な行動で耳目を集めることもあったが、出版活動やロビーイストとして活躍した。1935年、交通事故により死亡。



 ◇ 岩瀬200S、史上4人目の快挙

   <中日6 - 3ヤクルト>(12日、岐阜長良川球場)

 単なる通過点、そう考えていたが今季は茨道と挫折の連続だった。4月25日の巨人戦で逆転サヨナラ3ランを浴び、同30日のヤクルト戦では青木に頭部死球で危険球退場。「今までで一番ヤバイと思った」。岩瀬の顔から表情が消えた。

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 先頭打者がその青木。「ちょっと意識したけど、まだシーズンは長いし、また対戦することもある」と割り切って空振り三振を取るあたり、流石の守護神だ。雨中の11球。頬を伝う滴が心の憂さも洗い流した。「これからも1つ1つの積み重ねです」。落合竜が誇る鉄腕左腕はどんな苦難も乗り越える。

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 ※ 小山のプロ初となる2ラン、ブランコの場外3ラン(屋根に当たって … )、和田のソロと3本のHRのみで、相変わらずタイムリーが少ないドラゴンズ。かつての弱小巨人みたいな … 。


 【参照】5月13日、花袋忌(1930年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/42295733.html

 【参照】キトラ古墳壁画特別公開中(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/32456698.html

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