今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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1月11日、山本有三忌

 平成22年1月11日(月)本日:北米自動車ショー、新規出展2割減。

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 米国最大の自動車イベント、北米国際自動車ショーが11日、デトロイトで開幕する。2009年の新車販売で初めて中国に抜かれるなど、米市場の地盤沈下を背景に新規出展数は前年より2割落ち込む。一方で米国勢が経営再建をかけた小型車を公開、電気自動車の出展も相次ぐなど、自動車業界の「構造転換」を象徴するショーとなりそうだ。 12日までは報道陣向けに公開、16〜24日に一般公開される。

 「世界初公開」など新規出展モデルは約40台と、前年の約50台から減少。来場者数も100万人を下回る見通しで、200万人を見込むインドのデリーショー(11日に閉幕)の盛り上がりとは対照的。 米国勢は、大型車に依存し経営難に陥った反省から小型車で攻勢をかける。フォード・モーターは「フォーカス」の新型車、GMは排気量1400ccの小型コンセプト車を披露する。日本車や韓国車の牙城にどこまで切り込めるかが焦点。

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 1月11日は、山本有三忌です。

 ◇ 山本有三(1887年〜1974年、本名は勇造)

 呉服商の子として、現在の栃木市に生まれる。高等小学校卒業後、父親の命で東京浅草の呉服商に奉公に出されるが、一度は逃げ出して故郷に戻る。その後、母親の説得で東京に戻る。正則英語学校、東京中学に通い、1908年、東京府立一中を卒業。1909年9月、一高入学。1年落第を経て卒業し、東京帝国大学独文学科に入る。在学中から「新思潮」創刊に参加し、卒業後、1920年、戯曲『生命の冠』でデビュー。真実を求めてたくましく生きる人々の姿を描いた。

 一高時代落第後に同級となった菊池寛、芥川龍之介らと文芸家協会を結成し、内務省の検閲を批判する一方、著作権の確立に尽力した。昭和に入ると、1934年(昭和9年)に共産党との関係を疑われて一時逮捕されたり、『路傍の石』の連載中止に追い込まれるなど軍部の圧迫を受けた。その一方で、近衛文麿と親交(一高留年前の学年で同級)があり、1941年(昭和16年)には帝国芸術院会員に選ばれるなど、その立場は微妙であった。

 戦後は貴族院勅撰議員に任ぜられた。自らが極度の近眼であったことからルビと漢字を憎悪し、国語国字問題に取り組み、「ふりがな廃止論」を展開したことでも知られる。憲法の口語化運動にも熱心に取り組んだ。1947年に第1回参議院議員通常選挙では全国区1位当選。1953年まで6年間、参議院議員をつとめて緑風会の中心人物となり、政治家としても重きをなす一方で、積極的な創作活動を行った。1965年、文化勲章受章。 東京都三鷹市に山本有三記念館、栃木県栃木市に、山本有三ふるさと記念館がある。


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 ◇ 山本有三記念館(東京都三鷹市)

 もとは清田龍之介という貿易商の別荘として建てられたもの。その後、山本有三の所有となり、1936年4月から進駐軍に接収される1946年までの10年間をここで過ごし、執筆活動にあたりました。『路傍の石』もここで書かれた作品。

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 ◇ 「破船事件」に見る山本有三の固執の性と久米正雄の卑怯未練

 久米正雄、松岡譲、漱石の長女・筆子の間で起こった恋愛騒動の顛末を「破船事件」と呼ぶ。 久米正雄が失恋して、小説「破船」を発表する。これを受けて松岡譲の視点から描いた「憂鬱な愛人」も発表される。一連の騒動は、大正期における文壇の閉塞性を露呈するものだった。

 久米は漱石の死後、漱石夫人・鏡子に筆子との結婚の許しを請う。夫人は、筆子が同意するなら許すとの事だったが、当の筆子は松岡譲を愛していた。 更には、かねてより久米とは犬猿の仲である山本有三による(と思われる)怪文書が夏目家に送りつけられる。それには、久米の悪口、誹謗中傷が羅列されていた。曰く、久米は女狂い・性的不能者・性病患者などなど。

 この事件では、一時的に筆子の同情を勝ち得た久米であったが、じきに自分が筆子と結婚する予定であるかのような小説を久米が発表したり、「漱石令嬢、久米正雄と結婚」という情報を自ら雑誌に流すなどの軽薄な行動が嫌われて、夏目家からは出入りを差し止められる。久米は、筆子が無理なら妹の恒子でも、また筆子の従姉妹でも良いと追い縋ったが、もはや無駄であった。結局、筆子は松岡と結婚する。

 松岡と筆子との結婚が報じられると、久米は恨みをこめた文章をあちこちに書き散らす。菊池が同情して「時事新報」に「蛍草」を連載させ、この通俗小説は好評を博す。以後、彼は数多くの通俗小説を書いた。自ら通俗小説の大家となりながら、芸術小説への憧れは止み難く、評論「私小説と心境小説」(1925年)で初めて「純文学」という用語を用い、ゾラもドストエフスキーも所詮は作り事で、私小説こそが真の純文学だと論じ、日本文学の趨勢に影響を与えた。

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 ※ 山本有三記念館(裏側だが、本来はこちらが表かな?)
 きちんと猫の守衛さんも居られます。賢く威厳ありげです。

 ※ 母を病院に見舞うついで、父と共に立ち寄ったことがある。瀟洒な造りだったが、階段が窮屈だった印象が残る。ちょうど、近隣の小学生らが見学に来ていた。 眼の光、ひとり一人が「吾一」なり。


 【参照】1月11日、鏡開き
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/26821868.html

 【参照】1月11日、上村一夫の命日(1986年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46457902.html

 【参照】楽しみな事典TV(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39498144.html

 【参照】1月11日、広辞苑、10年ぶりに改訂(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39488174.html

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