今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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1月29日、日野草城忌

 平成22年1月29日(金)昨日:トヨタの世界同時多発リコール、遂に1000万台。

 トヨタ自動車の米国リコール問題で、トヨタは28日、中国で生産・販売したスポーツタイプ多目的車(SUV)「RAV4」にもアクセル不良があるとして、中国当局に約7万5000台のリコールを届け出た。同じアクセル部品を使った車両のリコールは米欧などを含め計約465万台。昨秋の米フロアマット問題での自主改修を加えると、世界全体で延べ1000万台を超える空前の改修規模になる。 一連の問題で改修を要する1000万台は、トヨタ単体の2009年世界販売実績の698万台を大きく上回る。リコール対象車は米欧から南米や中東にも輸出されており、影響がさらに拡大する恐れもある。

 トヨタ自動車が海外市場で同時多発の車両改修を抱え込んだ。昨年秋に浮上した米フロアマット問題に続くアクセル不良のリコールは、震源の米国から欧州、カナダ、さらに世界最大市場の中国にも拡大。延べ1000万台を超える空前の規模に膨らんだ。 トヨタは今回の米国での大量リコールを、改善策の決定前に発表した。リコールは通常、改修する部品を用意してから公表、実施するが、米国とカナダでは対象車種の生産・販売の一時停止にも踏み切り、トヨタは一連の対応を「異例の早さ」と強調している。

 顧客への周知と安全確保を優先させた点は、米当局の一定の理解を得ている。しかし、安全性の根幹にかかわるアクセル部分の問題が、主要国でさみだれ式に明らかになる現状は深刻だ。日本の販売車種への影響はないとみられるが、業績への影響懸念が急速に広まり、28日の東京株式市場でトヨタ株は続落した。

 28日の東京株式市場で、トヨタ自動車の株価は一時、前日比175円安の3530円まで下落し、約2か月ぶりの安値となった。 終値は同145円安の3560円だった。 21日に米国で大規模なリコールを発表して以降、22日から5日連続で下落しており、5日間の下げ幅は630円に達した。

 延べ1000万台の対象車はいずれも、トヨタが急拡大の過程にあった2004年以降に生産された車種だ。部品の納入コスト削減や海外調達に本腰を入れた時期とも重なる。 豊田章男社長は昨年6月の就任時、「身の丈を超えていた」と拡大期を振り返り、規模を追求する経営との決別を宣言した。 同時に「顧客第一」「品質」を最優先する姿勢を示したが、世界の自動車メーカーに前例がない大規模リコールをどう乗り切るか。顧客への徹底した説明責任が問われている。

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 ◇ 米で大規模リコール 中古車店で販売中止 GMは乗り換え補助金

 トヨタ自動車の大規模リコールと対象車種の販売・生産停止の衝撃が米国で広がっている。現地の大手レンタカー会社が27日、対象となった「カローラ」などの貸し出しを控えたほか、中古車業者にもトヨタ車の販売を中止する動きが広がっている。トヨタが同日、リコールとは別に安全徹底策として実施中の自主改修措置の対象に109万台を追加したことも消費者の不安心理を煽っており、トヨタの信頼回復の道は険しい。 一方、GMは同日、トヨタ車から乗り換える顧客に頭金を最大1000ドル補助する特典やゼロ金利ローンの提供などを表明。敵失を自社のビジネスチャンスに変えようとする動きも出始めた。


 ◇ コストカットのデメリット 「フロアマット」と「アクセルペダル部品」

 トヨタ車で問題となっているのは「フロアマット」と「アクセルペダルの部品」の二つ。前者は、運転席に敷かれたマットが走行中にずれ、アクセルペダルの先端部分がマット表面のくぼみに引っかかり戻らなくなる恐れがあるというもの。トヨタは「車両の設計ミスではない」としつつも「使い方次第で事故につながる恐れがある」として、薄いマットに交換し、アクセルペダルの長さを短くする改善措置を取っている。

 後者の問題は、アクセルペダルの根元にある米メーカー製の「フリクションレバー」の不具合が原因。アクセルペダルの戻り具合を調整するレバーの部品の表面が使用ですり減り、そこにヒーターの熱が流れ込んで結露すると、調整機能が働きにくくなり、ペダルの戻りが遅くなったり戻らなくなる恐れがある。こちらはトヨタは法的に改善義務があるリコールをして修理する。



 1月29日は、日野草城忌です。
 (草城忌/銀忌/凍鶴(いてづる)忌/鶴唳(かくれい)忌/東鶴忌)

 ◇ 日野草城(1901年〜1956年)(本名:克修〔よしのぶ〕)

 東京都台東区上野に生まれる。京都大学時代に「京大三高俳句会」を結成。1924年(大正13年)京大法科を卒業後、就職。高浜虚子の『ホトトギス』に学び、21歳で巻頭を飾り注目を集めた。1929年、28歳で『ホトトギス』同人となる。

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 1934年(昭和9年)、『俳句研究』に新婚初夜を描いた連作の「ミヤコホテル」10句を発表、俳壇を騒然とさせた。 この「ミヤコホテル」はフィクションだったが、ここから所謂ミヤコホテル論争が起きる。中村草田男、久保田万太郎が批判し、室生犀星は擁護派だった。この論争は後に、虚子から『ホトトギス』除籍とされる端緒となったとも言われる。 1935年(昭和10年)、東京の『走馬燈』、大阪の『青嶺』、神戸の『ひよどり』の三誌を統合し、『旗艦』を創刊主宰する。無季俳句を容認し、有季定型の虚子とは袂を分かった。翌1936年(昭和11年)、『ホトトギス』同人より除籍となる。 1949年(昭和24年)、大阪府池田市に転居し、『青玄』を創刊主宰。 1946年(昭和21年)より肺結核を発症し、以後の十数年は病床にあった。 晩年は、俳句は本音のつぶやくと定義し、諸人あけくれの詩であるとした。

 ※ 新興俳句の一翼を担い、「俳句を変えた男」とも評価される。モダニズム俳句の嚆矢とされるが、晩年は病床にあって自己内省の秀句を残す。彼の前半生のモダニズムとは対照的な、静謐な句境を開拓した。


 春暁やひとこそ知らね木々の雨   (『草城句集(花氷)』昭和2)

 春の灯や女はもたぬのどぼとけ   (『草城句集(花氷)』昭和2)

 春の夜やレモンに触るる鼻のさき  (『草城句集(花氷)』昭和2)

 春の夜や足のぞかせて横座り

 ものの種にぎればいのちひしめける (『草城句集(花氷)』昭和2)

 南風や化粧に洩れし耳の下     (『草城句集(花氷)』昭和2)

 枕辺の春の灯は妻が消しぬ     (『昨日の花』昭和10)

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 松風に誘はれて鳴く蝉一つ

 秋の道日かげに入りて日に出でて

 秋風や子無き乳房に緊く着る

 荒草の今は枯れつつ安らかに

 高熱の鶴青空に漂へり       (『人生の午後』昭和28)

 切干やいのちの限り妻の恩     (『人生の午後』昭和28)

 見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く   (『人生の午後』昭和28)
 (50歳の頃に右目を緑内障により失明。)

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 【参照】1月29日、タウン情報の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46728322.html

 【参照】1月29日、深沢七郎の誕生日(1914年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39901608.html

 【参照】1月29日、ガソリンカーが脱線転覆炎上(1940年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/27725522.html

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