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平成22年5月17日(月)昨日:東国原知事「無念、尋常でない」国に対策要請。 宮崎県で口蹄疫が発生している問題で、平野官房長官は16日、県庁で東国原英夫知事と会談。急速に拡大する被害への対策を求める東国原氏に対し、平野氏は「政府、県、自治体を含め、一体となってこの問題に知恵を出したい。一番のポイントは、いかに拡大させないかだ」と述べ、早急に対応策を検討する考えを示した。 平野氏の宮崎入りは、4月下旬に口蹄疫が確認されてから初めて。東国原氏は、ウイルスの侵入経路の解明や畜産農家への支援強化、処分した牛や豚を埋めるための国有地の提供などを要請。平野氏に鳩山由紀夫首相あての要望書を手渡し、「被害が止まらない状況で、関係者の無念は尋常ではない。首相にも来県いただきたい」と求めた。平野氏は「首相と早急に対応を検討したい」と引き取った。 平野氏に続いて福島瑞穂消費者担当相も同日、県庁で東国原氏と会談。会談後、福島氏は記者団に「ブランドになった宮崎牛が打撃を受けるのではないかという心配に、担当大臣としてしっかりやっていく」と述べ、風評被害対策に力を入れる方針を表明した。 5月17日は、松尾和子の誕生日です。 ◇ 松尾和子(1935年〜1992年) 東京都大田区蒲田生まれの箱根育ち。 ジャズに惹かれたことと家族の生活のために歌手となる。レイモンド・コンデのバンド、ゲイ・セプテットの専属歌手の一人となる。 進駐軍のキャンプやナイトクラブ等で歌ううち徐々に人気が上がる。やがて、赤坂のクラブ・リキ(力道山が経営)の専属歌手となり歌っていた時に、フランク永井に認められてスカウトされる。吉田正に紹介され、ビクター入社。 1959年、「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」でレコードデビュー。 「グッド・ナイト」は和田弘とマヒナスターズ、「東京ナイト・クラブ」はフランク永井との共唱だった。当時はベテラン、人気歌手でも片面は他の歌手である場合が多かったので、ビクター及び吉田正の期待の程が窺える。 第2弾として発売した「誰よりも君を愛す」(マヒナとの共唱)が大ヒットし、それと共に「グッド・ナイト」もつられる形でヒットした。「誰よりも君を愛す」は第2回レコード大賞を受賞、「東京ナイト・クラブ」はその後、長らくデュエットソングの定番として根強い人気を博し、松尾の名は一躍スターダムにのし上がり、後にムード歌謡の女王と称される。 1960年にはソロで吹き込んだ「再会」がヒット。 その後も「夜がわるい」「お座敷小唄」「再会の朝」「銀座ブルース」とコンスタントにヒットを出すものの、1966年の離婚で人気は下降。 1991年に、息子が覚醒剤取締法違反で逮捕され、実刑判決を受ける。松尾はマスメディアから厳しく批判され、芸能活動の大幅自粛を余儀なくされる。松尾は睡眠薬を多量服用し、自殺未遂を起こす。 松尾の息子が服役中だった1992年9月25日、自宅の階段から転落して頭部を強打。転落直後には、松尾本人は家族に「なんでもない」と強調していたが、数時間後に容態急変、まもなく死亡する。死因は脳圧迫死であった。突然の事故であり、前の自殺未遂騒動などから、その死は大きな波紋を呼んだ。享年57だった。 晩年の吉田正は、「(松尾に)歌って欲しい曲がいっぱいあったし、書けと言われれば今でも書ける。でも肝心の歌う人がいない。せめてフランクが健在ならば … 」と言うのが口癖だったとか。吉田自身も松尾急死の6年後、享年77で死去する。 ◇ 今日の誕生花・ジャガイモ(ナス科) 花言葉は、「情け深い」「恩恵」。 じゃがいもの花のさかりのゆふまぐれ 日野草城 ジャガイモの花の畑にしゃがみいし 姉さまかむりの母こちら向く 鳥海昭子 |

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