今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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6月5日、池田屋騒動

 平成22年6月5日(土)昨日:「菅・仙谷・枝野」新トロイカ体制、政調復活。

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 民主党の菅直人代表(63)は4日午後、国会で首相指名を受け、第94代、61人目の首相に選出された。 菅氏はこの後、副総理・官房長官への就任が固まった仙谷由人国家戦略相、幹事長起用が内定した枝野幸男行政刷新相とともに閣僚・党役員人事の調整を本格化させた。小沢幹事長に距離を置く両氏を重用する「菅・仙谷・枝野」体制で、小沢氏の影響力を排除した政権運営を進める姿勢を鮮明にした。 菅氏は7日に党役員人事、8日に組閣を行い、同日、皇居での首相任命式と閣僚認証式を経て、民主、国民新両党の連立による菅内閣を発足させる。

 菅氏は、退陣表明した鳩山首相の後任を選ぶ党代表選で、小沢氏が廃止した民主党の政策調査会(政調)を復活させる方針を掲げた。菅氏は、仙谷氏の後任の国家戦略相に荒井聰首相補佐官を充て、政調会長と兼務させる方向で検討している。政調会長を閣内に置くことで、党内論議の活発化と「政策決定の内閣一元化」を両立させる考え。 赤松農相は口蹄疫被害拡大の責任を取る立場から、再任を否定している。菅氏の後任の財務相には野田佳彦財務副大臣、罷免された社民党の福島党首が務めていた消費者相には、蓮舫参院議員を起用する考え。 その他の閣僚人事は、夏の参院選が迫っていることから、鳩山政権の閣僚を基本的に再任する方向で調整している。

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 ◇ 進む「小沢外し」 新トロイカ体制による組閣

 菅新首相は内閣・党役員人事で小沢幹事長と距離を置く議員を要職に充てる方針。 「脱小沢」の動きに対し、党内では警戒や反発も広がっている。 4日、国会から民主党本部まで慌ただしく動き回った菅氏は、その日程の合間を縫うように、官房長官への起用が固まった仙谷国家戦略相、党幹事長に内定した枝野行政刷新相との3人での会談を重ねた。

 「完全に3人でやっている。何も入ってこない」 中堅議員は、人事や党運営の情報が漏れてこないことを恨めしそうに嘆いた。 菅氏は「人事は白紙」と強調、週明けに先送りしたが、3日夜には東京都内のホテルで仙谷、枝野両氏と密かに会談、腹案を伝えていた。3氏による事実上の「組閣本部」は既に始動していた。

 3氏は1996年に旧民主党が結党された時の「オリジナル民主党」メンバー。菅氏は「官房長官、幹事長、国会対策委員長がしっかりしていれば長期政権が狙える」と周囲に語っていて、政権中枢に仙谷氏らを据えることで「民主党らしさ」を取り戻し、内閣支持率回復につなげたい考えのようだ。この「新トロイカ」が主導する新政権の特徴は、「脱小沢」になるとの見通しだ。

 仙谷、枝野両氏とも、「反小沢」の筆頭格。菅氏は「ポスト鳩山」への意識からか、小沢氏との表だった対立は避けてきたが、新政権の人事では「反小沢」「非小沢」の登用で「小沢外し」に走るとの見方が専ら。小沢氏が自由党を解党して民主党と合併したのは2003年。この時の代表は菅氏だった。その後、小沢氏が権勢を誇るようになり、オリジナルメンバーには、「庇を貸して母屋を取られた」との不満が募っていった。

 ※ 出る釘は打たれるが、出すぎた釘は抜かれる。抜かれた釘は錆びるまま …



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 6月5日は、「池田屋騒動」の日です。(1864年)

 ◇ 池田屋騒動(池田屋事件)

 幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋で京都守護職配下の治安維持組織・新撰組が、潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃した騒動。池田屋騒動、 池田屋事変、三条小橋の変とも言われる。近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている。およそ2時間の斬り合いだったと伝えられる。

 長州藩は、会津藩と薩摩藩による宮中クーデター・八月十八日の政変で失脚しており、朝廷では公武合体派が主流となっていた。だが、尊皇攘夷派は勢力挽回を画策しており、京都守護職は新撰組を使い市内の警備や探索を行わせていた。 5月下旬頃、諸士調役兼監察の山崎烝・島田魁らによって四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋(古高俊太郎)の存在を突き止め、会津藩に報告する。同所からは武器や長州藩との書簡等が発見された。

 古高を捕らえた新選組は、土方歳三の苛酷な拷問により古高を自白させる。計画は祇園祭の前の風の強い日を狙って京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王(後の久邇宮朝彦親王)を幽閉し、一橋慶喜、会津の松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去るという余りにも理不尽なものであったと言われる。 その後の探索で、長州藩・土佐藩・肥後藩等の尊皇派が古高逮捕をうけて、襲撃計画の実行・中止について協議する会合が池田屋か、あるいは四国屋にて行われる事を突き止める。

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 新選組は会津藩・桑名藩等に応援を要請するが、会津藩らの反応は鈍く定刻になっても動かなかった。事態は一刻を争うと見た局長の近藤は、遂に単独行動に踏み切る。 近藤隊と土方隊の二手に分かれて捜索を開始。その頃の新選組は負傷者が多く人手が少なく、実際に捜索に当たったのは近藤隊10人、土方隊24人の総数34名だったと言う。土方隊は八坂神社から縄手通を、近藤隊は三条大橋を渡って木屋町通を探索した。

 亥の刻(22時頃)過ぎ、近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘過激派志士を発見。近藤隊は数名で斬り込み、真夜中の乱闘となる。20数名の尊攘過激派に対し、当初踏み込んだのは近藤、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4名のみで、残りは戸外を固めた。 屋内に踏み込んだ沖田は奮戦するも、戦闘中に吐血して戦線離脱する。一階の藤堂は汗で鉢金がずれたところに太刀を浴び額を斬られ、血が目に入り戦線離脱する。

 襲撃を受けた宮部鼎蔵ら志士達も必死に応戦し脱出を図った。裏口を守っていた安藤早太郎、奥沢栄助、新田革左衛門らの許に土佐藩脱藩・望月亀弥太ら浪士が脱出しようと必死で斬り込んで逃亡する。この際に奥沢は死亡、安藤と新田も一ヶ月後に死亡した。望月は負傷しつつも長州藩邸付近まで逃げ延びたが、追っ手に囲まれ自刃。

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 近藤隊は一時、近藤と永倉の二人のみとなるが、土方隊の合流により戦局は一気に新選組有利に傾き、9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げる。会津・桑名藩の応援到着は戦闘後であった。土方は手柄を横取りされぬように、一歩たりとも近づけさせなかったと言われる。 翌朝の市中掃討では、会津・彦根・桑名各藩が連携して20余名を捕縛した。市中掃討でも激戦となり会津藩は5名、彦根藩は4名、桑名藩は2名の即死者を出す。

 長州藩はこの事件をきっかけに激高した強硬派に引きずられる形で挙兵、上洛。7月19日(8月20日)の禁門の変を引き起こしてしまう。 池田屋事件により明治維新が一年は遅れたとも、尊攘派を刺激して維新を早めたとも言われる。 司馬遼太郎は「この事件がなかったら薩長主力の明治維新は永遠にこなかったであろう」と解釈する。

 ◇ 池田屋事件のもうひとつの景色

 池田屋事件は、尊皇派の陰謀で捏造されたとする説がある。京都大火計画、松平容保暗殺、天皇拉致などの尊攘派の陰謀は、幕府側の記述にはあるものの尊攘派側の記録には一切なく、『木戸孝允日記』にもこの時の池田屋で計画されていたのは新撰組に拉致監禁され拷問されている仲間(古高俊太郎)を救うための会合としか記されていない。 証拠と言えるものは、土方に壮絶な拷問を受け、無理矢理自白させられた古高が語ったとされる発言のみ。その古高も早々に処刑されており、客観的な証拠が乏しく、尊攘派の威信失墜や新撰組の士気高揚を狙った捏造と見る向きもある。

 近藤の書簡や永倉新八の手記「浪士文久報国記事」によると、当日は近藤隊10名、土方隊12名、井上源三郎隊12名の三手に別れて探索を行っており、応援に駆けつけたのは井上隊であった。 近藤の書簡によると池田屋に乗込んだのは、近藤、沖田、永倉、藤堂、近藤周平の5名ということになっているが、永倉の手記や、事件後の褒賞者名簿から推定すると、近藤、沖田、永倉、藤堂、奥沢、安藤、新田、谷万太郎、武田観柳斎、浅野薫の10名である。 桂小五郎の手記によると、池田屋での会合は、古高捕縛後に急遽決定されたものなので、事前に新撰組が場所を察知していたとは考えにくい。永倉新八は「片っ端から」探索した旨述べており、また事件直前に祇園の井筒屋に新撰組が探索を行った記録があるため、実際には会合場所がどこであるかは把握しておらず、多くの場所を探索していたと考えられる。

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 事件後、池田屋は尊攘派志士をかくまっていたとして主人の池田屋惣兵衛は捕らえられ獄死。池田屋も7ヶ月間の営業停止。親類により近くで再開されたが、のちに廃業し現存しない。元の池田屋は人手に渡り、その後、別の経営者が佐々木旅館として営業していた。1960年頃まで当時の建物も存在していたが、その後、取り壊され佐々木旅館も廃業した。跡地は、テナントビルやパチンコ屋などと転々としたが、2009年に居酒屋チェーンのチムニーが、居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業している。当地には佐々木旅館の縁者が建立した「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑があります。



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   ◇ 今日の誕生花・ハマナス(バラ科)

   花言葉は、「照り映える容色」。

   玫瑰や今も沖には未来あり   中村草田男

 おのずから花の道あり ハマナスの原生花園ひとり歩みき  鳥海昭子


 【参照】6月5日、「世界環境デー」
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/42803300.html

 【参照】6月5日、熱田神宮例祭(尚武祭)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/33309142.html

 【参照】6月5日、黒部ダム竣工(1963年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/48482822.html

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