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平成24年5月12日(土)昨日:猥褻巡査の弁、「変わりたくて警察官に … 」。 神奈川県警は11日、女子高校生の尻を触ったなどとして逮捕、起訴された南署地域課の小林裕樹巡査(20)を懲戒免職処分にしたと発表した。県警によると、小林元巡査は高校時代から制服姿の女子中高生を狙って痴漢を繰り返していたといい、「警察官になれば自分を変えるきっかけになると思ったが、痴漢をしたい欲望を抑えられなかった」と話しているという。 小林元巡査は今年1月10日、横浜市旭区で女子高校生(17)のスカートをめくり尻を触ったとして逮捕され、別の女子高校生に対する行為も併せ、横浜簡裁から県迷惑行為防止条例違反(卑猥行為)で罰金20万円の略式命令を受けるなどした。 県警監察官室によると、小林元巡査は10年4月採用。逮捕された事件を含め在職中に計12件の猥褻行為をしたことを認め、「被害者に怖い思いをさせ、深い心の傷を負わせてしまい本当に申し訳ない」と話しているという。 菅原保・首席監察官は「警察官としてあってはならないこと。被害者やその家族をはじめ県民の皆さまにお詫び申し上げるとともに再発防止に努めたい」とコメントした。 ※ 「再発防止に努めたい」とは、信じがたい。何故、過去に「罰金20万円の略式命令」などで隠蔽を謀るのか? 在職中に計12件の猥褻行為とは、警察組織の生ぬるさを端的に示すものだ。 「変わりたくて警察官に … 」就職すると云う判断が、頗るまずかった。警察官を含めて公務員は、概ね痴漢累犯者の多い職種なのだから … 。特に警察組織の内向き体質は、いまさら論を俟たない。累犯者の揺籃のようなものだ。後日、前非を悔いて民間会社に勤め、ストレスを内省により解消する人におなり下さい。 5月12日は、草野心平の誕生日 です。 ◇ 草野心平(1903年〜1988年) 福島県上小川村(現・いわき市小川町)出身。五人兄弟の次男として生まれる。兄の草野民平(1899年〜1916年)、弟の草野天平(1910年〜1952年)も詩人。 1919年、磐城中学(現・福島県立磐城高等学校)を4年生で中退したのち上京、1920年に慶應義塾普通部3年次に編入。同年、同校を中退、1921年に中国の広東嶺南大学(現・中山大学)に進学。1925年、排日運動により帰国。詩作はこの留学中に開始されている。 1923年には、民平と自身の詩をおさめた『廃園の喇叭』を自費出版。その後、雑誌『銅鑼』を主催し、宮沢賢治や八木重吉らを同人に誘い、彼らの作品の紹介に努めた。 1928年、活版刷りとしては初の詩集となる『第百階級』を刊行。全篇が蛙をテーマにしたものであり、以降も蛙を扱った詩を書き続けた。 1935年には、中原中也らと詩誌『歴程』を創刊。 1950年に『蛙の詩』により第1回読売文学賞を受賞。 1953年、福島県川内村長福寺の住職・矢内俊晃の招聘で同村平伏沼にモリアオガエルを見に行く。1956年には平伏沼畔に心平の歌碑建立。1960年9月、川内村名誉村民となる。 1998年7月、福島県いわき市にいわき市立草野心平記念文学館が開館。2003年4月、生家が一般公開される。墓処は福島県いわき市小川町上小川・常慶寺。 『詩人といふ者』 草野天平 詩のやうなものをただ書きさへすれば、それでもう詩人だといふやうなことは絶対に云へない。志を持つ人、といふと少し固く道徳的な感じがするが、少くともその感じに非常に近い、或る充実して爽やかな気持を得るために歩く人、又は歩き得た人、これこそ間違のない真の詩人だといふ気がする。 詩といふのは、この綺麗な道中の無言の姿であるか、或ひは真の一声であるべきで、それは寸分の隙間もないその物のやうな本当さでなければならない。恐らく純粋といふものはかうした道のその都度その都度の極つた気息といつたもので、只これしか無いといつた感じのものではないかと思ふ。然しこの極つた気息、つまり本当といふことは容易なことではない。心の一番底まで届き、そして出るといふことで、簡単な業ではないのである。それは一種崇高といつてもいい涙ぐましいほどの努め方をして始めて可能なのである。それは何に向つても構はない。ただ「泣くほど」なのである。この泣くといふことが詩で、その善し悪しはどの程度のことにどれだけ本気の気持で泣いたかといふ、その広さと深さと正直さによつてはつきり決まるのだ。これが心に通じ心を打ち心を爽やかにする。本当といふことは何物にも動かされない気持であり、それが本質に届きまた人の望む本質でもある。 だからこの順でゆくと、後味の悪いものは一切詩ではないのだ。矛盾、対立、誇張、露骨、安易、卑下、傲慢、混乱等、かうしたものは詩ではない。それは不満足の心から起る人間の一状態で、嘘ではないけれども全き幸福を齎すものとは思はれない。 <中 略> 自分は、はつきり云ふけれども、日本の詩人の中に真に詩人らしい詩人がゐないやうに思へて仕方がない。どの詩を見ても、大抵或る時のフトした気持の情であり味であつて、極くうはべの、実に自分を甘やかした涙である。この程度のことに泣き、そして詩を感じるやうでは、如何に苦労してゐないかといふことがはつきり解る。一つの詩を公にする場合、当然しつかりとした責任を持つべきであらう。此の世に何を与へ、如何にしたいか、そして如何にすれば正しいか。その位のことは勿論考へていい筈である。やはり涙は、個々に流す涙と、全体の為に一切流さない涙、つまり体全体が、一種のうるほひとなつてゐるやうな智と愛の姿にならなければ嘘である。 詩人は食へないと何処へ行つても言ふ。これは確かだ。然し本当はこれではいけないのではないかと思ふ。詩人は、精神の純粋を考へると共に、肉体の純粋も同時に考へて、救はれながら食はうと努めなければならないものではないだらうか。金などに縛られるのではなく、寧ろそれとは逆に金を捨てて自由を得、その法則にかなつた自然さで快く食へる人間でなければならないのだ。詩人はこの現実を慾の世の中と見るべきではない。もつと広く自然と一つになつた現象界と見るべきで、力を籠めずに涼しく、そして一つ一つに関心を持つて、ただ在るべき者なのである。識るといふことを感じさせたり、不自然の力が籠つたりする間は、遍くまた快く食へるといふことにはならないのだ。そればかりではなく、念ふ心と念はれる心といふものも、さう出鱈目なものではない。分に応じて多くも少くもない、実に旨く出来た互に負目の感じられない食が生れて来るのである。恐らく純粋の食といふものはかうしたものではないだらうか。 詩人は何時もかうして天上と地上と自分とそして人間世界を観、確かに立ちながら、全体を一にし、この一を完全な相とする為に歩く。 さうでなければ屹度、関連の中の独立した人間として何か欠ける箇所が出来るやうに思へて仕方がない。 ◇ 楽天・星野監督が1000勝達成 史上12人目(05月11日) < オリックス 2―3 楽天 > (11日・京セラドーム大阪) 楽天が接戦を制し3連勝。楽天は1回裏、松井、フェルナンデスの連続適時打で2点を先制すると、5回には阿部が適時打を放ちリードを広げた。投げては、先発・戸村が7回途中を1失点に抑えると、その後は3人の継投で逃げ切った。オリックスは好機にあと1本が出なかった。 11日、京セラドーム大阪でのオリックス戦に勝利し、星野仙一監督(65)は監督15年目で通算1000勝(876敗42分け)を達成。2004年6月の王貞治氏以来、史上12人目。 ※ 星野監督:通算14年1/4 試合数1918 1000勝 876敗 42分 勝率 .533 。 (Aクラス9回、Bクラス5回) ※ 落合監督:通算8年 試合数1150 629勝 491敗 30分 勝率 .562 。 (Aクラス8回、Bクラス0回) 星野監督は岡山・倉敷商、明大を経て、1969年にドラフト1位で中日に入団、エースとして活躍。現役時代の通算成績は146勝121敗34セーブ。 1982年に現役引退し、1987年から中日の監督を通算2期11年務め、1988年と99年にリーグ制覇。2002年に阪神監督に転じ、2003年にはチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。2008年には北京五輪の日本代表監督を務め、「金メダル以外いらない」と公言しながらも4位に終わった。上位3チームには5戦全敗という惨敗だった。 ◇ 選手を「その気」にさせる人心掌握術が真骨頂の星野監督 1000勝について「この年まで監督をさせていただけるという意味では幸せだよね」と、言いながらもペナントレースの最中ということもあり、「そんなになるかなあ」と素っ気なかった。 「俺は一流半の投手」と、現役時代を振り返ったこともある。中日のエースとして146勝。巨人のリーグ10連覇を阻んで優勝した1974年は沢村賞にも輝いた。ただ、堀内恒夫(巨人)、江夏豊(阪神など)ら同世代の200勝投手に記録で見劣りするのは確か。 だが、監督としては投手ひと筋の監督で初の1000勝。采配は極めてオーソドックス。一方で選手起用では、思い切った若手の抜擢もある。選手を「その気」にさせる人心掌握術が真骨頂。入団3年目の今季、プロ初勝利を挙げた戸村が粘って3勝目。故障のラズナーに代わって抑えを任される青山も、九回に1点差を守り切った。苦戦が続く楽天でも、徐々に息吹は感じられる。 ◇ 今日の誕生花・カザグルマ(クレマチス科) 花言葉は、「心の美しさ」「高潔」。 蜻蛉(とんぼう)のつままれさうな袷哉 子規 打水に暫く藤の雫かな 虚子 新緑の夜空混み合ふ電波かな 仲 寒蝉 やはらかし風が若葉を通る音 上野章子 宇治に似て山なつかしき新茶かな 各務支考 人住まぬ家の垣根の風車 盛んに咲けりいさぎよきまで 鳥海昭子 ※ クレマチスは、日本のカザグルマ(Clematis patens)がヨーロッパへ伝えられ、さまざまな交配が重ねられ作り出されました。時に「鉄線」という名も使われますが、テッセン(Clematis florida)は中国に自生する原種です。カザグルマが8枚の花被片を持つのに対し、テッセンの花被片は6枚からなっています。 |

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