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平成24年12月22日(土)巨大地震:30年以内の震度6確率、関東中心に大幅上昇。 政府の地震調査委員会は21日、「全国地震動予測地図」を公表した。今年1月から30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布を示したもの。 予測地図は2005年から作製されているが、東日本大震災をきっかけに予測手法の見直しを進めているため、暫定版という位置付けで2年ぶりに発表した。 今回は、東日本大震災の影響を考慮し、大震災が起きた周辺海域で想定される地震規模を、前回(2010年版)より大きくした。 地震を起こすプレート(岩板)の歪が解消されていないとみられる茨城、房総沖は、最大でマグニチュード8としたため、関東の沿岸部を中心に確率が大幅に上昇し、水戸市では62.3%、千葉市では75.7%になった。東南海、南海地震などM8級地震が繰り返し起きている南海トラフ沿いは、全般に確率が高く、静岡市では89.7%、津市は87.4%となった。 12月22日は、乙羽信子の命日 です。 ◇ 乙羽信子(1924年〜1994年) 本名・新藤信子 鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)西倉吉町に生まれる。 小学校の頃から日本舞踊を習い、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち憧れるようになり、1937年に宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学。宝塚歌劇団26期生。同期生に越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子、大路三千緒、浦島千歌子、瑠璃豊美らがいた。 1939年の公演『宝塚花物語』で同期生達と共に初舞台を踏む。戦後、再開された公演でトップ娘役(主に雪組公演出演)として淡島千景と人気を二分し戦後の宝塚歌劇団第一期黄金時代を支えた。1950年、娘役に限界を感じ始め、松竹入りした淡島に倣うように退団。 その後、大映に入社。大映は、宝塚時代から人気のあったえくぼに「百萬弗のゑくぼ」というキャッチフレーズをつけて、純情型のスターとして売り出す。デビュー作は同年の新藤兼人脚本、木村恵吾監督の『處女峰』で、上原謙と共演した。その後、何作かに出演した後、1951年の新藤兼人の第1回監督作品『愛妻物語』で夫を陰で支える妻を演じ、映画界でもスターの地位を築く。 1952年、「近代映画協会」を設立していた新藤兼人の第1回自主制作映画『原爆の子』に大映の反対を押し切って出演。これを機に大映を退社して、近代映画協会の同人となる。 以後、近代映画協会が製作する映画に立て続けに出演する中で、それまでの「宝塚歌劇団出身」「お嬢様女優」「百萬弗のゑくぼ」「清純派」のイメージを払拭して、強烈なリアリズムあふれる演技を見せて日本映画史にその名を残す女優に成長する。代表作となったのが、1960年の『裸の島』。せりふが一切なく、登場人物も小さな島で働く夫婦(乙羽と殿山泰司)と、その子だけという実験的な映画であったが、そのリアリティーあふれる映像は高く評価され、第2回モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、世界的に評価された。 それまでは婚姻関係になかった新藤と、1978年に正式結婚。1979年には、『絞殺』でヴェネツィア国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞する。 新藤と乙羽とは、結婚後も「乙羽君」「先生」と呼び合っていた。かつて『原爆の子』に出演した頃に恋仲になったが、新藤には既に妻がおり忍ぶ仲であった。新藤の前妻が亡くなってから入籍した二人を、前妻の子は祝福したと言う。 新藤の監督作品には『午後の遺言状』まで全作出演しているが、新藤以外との仕事も多くこなし、テレビ・舞台と幅広く活躍。温和な母親役から凄味を感じさせる殺人者役まで善悪硬軟こなせる貴重な名脇役として確固たる地位を持つ。1983年には、驚異的な視聴率を記録した『おしん』に出演。主人公・おしんの晩年期を演じ、主演級もこなせる女優であることを改めて知らしめ、国内外で新たなファンを獲得した。また1987年から1992年にかけて、日本テレビ系の火曜サスペンス劇場で、水谷豊主演の浅見光彦ミステリーとその続編である、朝比奈周平ミステリーで、水谷の母親役を演じて好評を博す。 杉村春子との共演で話題になった、新藤の『午後の遺言状』の撮影を終えた1994年12月22日、肝臓癌による肝硬変で死去、享年70。新藤は、この作品が乙羽の遺作になるという覚悟の上で制作に臨み、メガホンを取った。乙羽自身も残された時間を知った上で、最期の演技したといわれている。墓は京都市にあるが、遺骨の半分は代表作『裸の島』を撮影した広島県三原市の宿祢島(すくねじま)に散骨された。 ◇ 「医」は算術 現段階での幹細胞投与は守銭奴の所業 福岡の医院が来日韓国人に対して、月500人に幹細胞投与 福岡市博多区のクリニックが、さまざまな病気の治療などを謳い、研究段階にある幹細胞投与を毎月500人近い韓国人に実施していることが分かった。韓国ではこうした行為は薬事法で禁じられているが、日本には未だ規制がない。幹細胞を使ってさまざまな病気を治す「再生医療」に期待が集まる中、効果や安全性に議論のある治療法が広がっている実態が明らかになった。 来日韓国人にとっては日本は、「途上治療の楽天地」? このクリニックは「新宿クリニック博多院」。今年5月、JR博多駅近くの雑居ビルに皮膚科医院として開業。 複数の関係者によると、韓国のバイオベンチャー「RNLバイオ」(本社・ソウル)が韓国人に同院を紹介している。R社が培養・保管する幹細胞を、同院で複数の日本人医師が点滴や注射で投与している。韓国人患者の多くは日帰りだ。 同院で投与に当たる榎並寿男医師(65)は「韓国人に、本人の脂肪から取り出した『間葉系幹細胞』を投与している」と説明する。糖尿病や心臓病、関節リウマチ、パーキンソン病など多くの病気を治せるとしている。 韓国の厚生行政当局や関係者によると、R社は幹細胞の保管料などとして患者と1000万〜3000万ウォン(80万〜240万円)の契約を結ぶ。日本など規制がない外国の医療機関に協力金を支払い、患者を紹介する。 厚生労働省は2010年3月、医政局長名で通知を出し、医療機関が幹細胞治療をする場合は施設内倫理委員会の承認を得ることや、実施後のデータ公表などを求めた。榎並医師によると、同院ではこの手続きを踏んでいない。 幹細胞治療の効果や安全性をめぐっては多くの課題がある。動物実験では、幹細胞投与後に血管が血栓で詰まり死ぬ例が報告されている。2010年にはR社が所有する京都市内のビルに開設したクリニックで、幹細胞投与を受けた糖尿病の韓国人男性(73)が、血栓が肺動脈に詰まる「肺塞栓」で死亡した。R社は「患者は来日時にエコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)を起こしていたとみられる」と、投与と死亡の関係を否定している。 榎並医師は「ほかに治療法がなく幹細胞に最後の望みを託す患者もいる。今は韓国人対象に勉強も兼ねた準備の段階だが、将来は日本人にも投与したい」と話す。 日本人向けの幹細胞投与も、美容分野を中心に広がっている。全国展開する「聖心美容外科」(東京都港区など)は、豊胸などを望む来院者に、本人の脂肪から取り出した幹細胞を脂肪と混ぜて体内に戻す「再生医療」を約500例実施。「安全性、有効性は確認し、学会発表もしている」(広報担当)という。 こうした動きに厚労省や日本再生医療学会は懸念を強めている。同学会は2011年3月に声明を出し「科学的根拠が低く安全を考慮しない幹細胞を用いた医療行為に関与しない」ことを会員に求めた。該当するとみられる医療機関をインターネットで複数確認、厚労省にも報告した。厚労省の荒木裕人・再生医療研究推進室長は「再生医療には国民の期待が高い。安全性が確保されないものが広がれば、再生医療全体に悪い影響を及ぼす」と話す。 【幹細胞治療】:体の失われた機能の修復を目指す再生医療の一つ。組織や臓器の細胞になる幹細胞の投与などがある。国内では人の体内にある幹細胞を使った臨床研究が進むが、白血病治療の「造血幹細胞移植」以外は普及していない。山中伸弥・京都大教授が体細胞から作った人工多能性幹細胞(iPS細胞)は自然には存在しない。体内の幹細胞と異なり、あらゆる細胞になるが臨床応用はまだ行なわれていない。(ことになっている?) ◇ 今日の誕生花・ポインセチア〔ショウジョウボク〕(トウダイグサ科) 花言葉は、「博愛」「祝福」。 仏壇の菓子うつくしき冬至哉 子規 吹き込みし雪を掃き出す厠かな 虚子 ※ その昔、汲取り式の便所には床に掃き出し用の窓あり。 裸木となる太陽と話すため 高野ムツオ わが家を遠しと思ふ冬至かな 成田千空 待つといふ静寂(しじま)をポインセチアの灯 上田日差子(ひざし) ポインセチアの赤より赤い服を着て 花屋の少女の笑顔よろしき 鳥海昭子 |

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