今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成24年9月20日(木)昨日:反日デモ隊が扇動 日系工場現地従業員を巻込む。

 広東省深圳の複数の日系工場で19日、反日デモ参加者が中国人従業員を扇動、従業員が敷地から出てデモ隊に加わる事態となった。 日系企業では、「反日デモに乗じて賃金増など待遇改善に結びつけようとしている」との見方も出ている。

 日本政府の尖閣諸島国有化に抗議するデモをめぐっては、北京市公安当局が19日、一般市民あてに携帯電話のショートメールで、デモ中止を命じたが、反日行動が日系工場の労働者にも広がる動きが出ている。 デモ隊は19日、深圳市の工業地帯にあるブラザー工業(本社・名古屋市)、富士ゼロックス(本社・東京都港区)などの工場前に押しかけ、「中国人なら日系企業に抗議しろ」と従業員らに呼びかけた。在広州日本総領事館によると、従業員による工場設備の破壊は確認されていない。



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 9月20日は、『美しい暮しの手帖』の創刊日 です。

 1948年9月20日、『美しい暮しの手帖』(『暮しの手帖』前身)が創刊される。

 発行は東京都新宿区北新宿にある「暮しの手帖社」(かつては港区麻布に所在)。1946年(昭和21年)、花森安治と大橋鎮子が「衣装研究所」を銀座8丁目のビルの一室に設立。ここより刊行された『スタイルブック』が前身となる。 1948年9月に季刊『美しい暮しの手帖』として、第1号が創刊される。1953年12月の第22号から雑誌名を現在の『暮しの手帖』に変更。 1956年、「婦人家庭雑誌に新しき形式を生み出した努力」につき、第4回菊池寛賞を受賞。 1968年2月の第93号からは隔月刊に変更され、現在に至るまで熱心な読者を抱えている。発行号数は100号ごとに「第 n 世紀」と区分されているが、これは初代編集長・花森の「百号ごとに初心に立ち返る」という意味合いが込められている。

 主な内容は、家庭婦人を対象としたファッションや飲食物・料理、各種商品テスト、医療・健康関連の記事や、様々な連載記事や読者投稿欄(「すばらしき日曜日」、「家庭学校」)等がある。また、「雑誌の全ての部分を自分達の目の届く所に置いておきたい」という理念から、広告は外部からのものは一切受けず、自社書籍についてのみを扱う。従って、いずれの記事も一貫して商業主義に左右されない生活者本位の視点が貫かれ、特に家庭電化製品や日用品を中心とした商品テストは、その条件の厳格さで製品メーカーに大きな影響力を持つ。

 また、主張はリベラル・平和主義寄りで、反商業主義に加え、強烈ではないものの反戦・反差別の論調も多く見られる。 「雑誌の全ての部分」を堅持するため、雑誌そのもののスタイルについてレイアウトや印刷手法にいたるまで花森亡き後も守ってきたが、2007年2月1日発売、第4世紀26号・通巻376号より、文筆家・書籍商として知られる松浦弥太郎を編集長に迎え、現代的なスタイルを取り入れはじめている。かつては東京六本木に、暮しの手帖・別館といういわばショールーム的な施設を保有、公開していたが、現在は閉館している。


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 ◇ 花森安治(1911年〜1978年) 編集者・ジャーナリスト

 生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者として、その名を知られる。 神戸市に生まれる。神戸市立雲中小学校の同級に田宮虎彦がいた。旧制兵庫県立第三神戸中学校から旧制松江高等学校に進む。旧制高校時代、校友会雑誌(第20号:1932年12月が花森の責任編集号)の編集に参加したことが編集者としての出発点になったと語る。 東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学し、ここでも学生新聞の編集に携わる。当時の編集部員に、扇谷正造や岡倉古志郎、杉浦明平などがいた。

 太平洋戦争に応召するが疾病により除隊、その後は敗戦まで大政翼賛会の外郭団体に籍を置き、国策広告に携わる。当時の代表的なキャッチコピーである「欲しがりません 勝つまでは」は、花森が考案したものと、しばしば言われるが事実ではない。大政翼賛会と新聞3社による「国民決意標語」の募集に、東京在住の男性が小学生の娘の名前で応募した作品を花森が採用したもの。

 除隊したとは言え、戦争の不条理と悲惨さの一端を経験した彼は、終戦後の1946年、編集者・画家の大橋鎮子(社長)と共に衣装研究所を設立し、雑誌『スタイルブック』を創刊。編集長として自ら紙面デザインや取材に奔走し、死の2日前まで第一線で編集に当たった。なお『暮しの手帖』の表紙画は、創刊号から死の直前に発行された第2世紀52号まで、全て花森の手によるものであった。豪放な性格、反骨精神と真摯な行動でも知られ、数々の逸話を残す。おかっぱ頭やスカート姿を貫いたのもその一端だった。 1972年には著書『一銭五厘の旗』で、第23回読売文学賞随筆・紀行賞を受賞。また同年『暮しの手帖』の活動により、ラモン・マグサイサイ賞を受賞。1978年、心筋梗塞により逝去。



 ◇ 日本維新の会は企業・団体の献金を禁止

 新党「日本維新の会」の橋下代表は、党の規約に企業・団体献金の禁止を盛り込むことを明らかにしました。 先週、結党宣言をした日本維新の会は、次期衆議院選挙で350人規模の候補者擁立を検討しています。 政党交付金は1月1日時点の国会議員数などに応じて支給されるため、維新の会は既存政党と比べ資金不足になることが予想されていますが、橋下代表は「しがらみのない政治」を実現するためにも、企業・団体献金の禁止を党の規約に盛り込むことを決めました。 方針に従えない国会議員は、新党への合流を認めない考えです。 「政治はこれから個人献金を中心にやっていくべき。こうすることだけで、政治は劇的に変わる」(大阪維新の会・橋下徹代表) 一方、政治資金パーティーの券を企業・団体が購入することについては制限しないということです。

 ※ 『暮しの手帖』は、「雑誌の全ての部分を自分達の目の届く所に置いておきたい」という理念から、広告は外部からのものを一切受けつけていない。翻って、マスメディアと云われる者たちは押しなべて、大企業からの広告を三顧の礼をもって押戴いている現状だ。ペンは、“おまんまの糧”に容易に屈するのだった。 国政にあって、一個人で決定すべき投票行為と献金行為を、当然の如くに団体・組織で行なって憚らない現状は、理解し難いものがある。 また、年間約320億円の政党交付金も早急に廃止してもらいたいものだ。



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   ◇ 今日の誕生花・ヤブラン(ユリ科)

   花言葉は、「忍耐」。

   海原や何の苦もなく上る月   子規

   鶏頭のうしろまでよく掃かれあり  虚子
   ※ 俳句とは、はて何だろう葉鶏頭  実子

   暁のひやゝかな雲流れけり   正岡子規

   一塊の雲ありいよよ天高し   高濱虚子

   末の子の又起きて来し夜長かな   上野 泰

 何かしら忍んで耐えて生きました ヤブランの花咲いております  鳥海昭子


 【参照】9月20日、バスの日(1903年)(蘆花忌)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/44657662.html

 【参照】9月20日、第1回カンヌ国際映画祭(1946年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49396668.html

 【参照】9月20日、一青窈の誕生日(1976年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51234734.html

 【参照】9月20日、「お手玉の日」(1992年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52584323.html

 【参照】9月20日、タイでクーデター(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/19985947.html

 【参照】9月20日、自民党安倍新総裁、誕生(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/19968686.html

 【参照】9月20日、安倍氏、票伸びず。2位麻生氏健闘(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/19996151.html

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