今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

 平成25年2月26日(火)昨日:自民のTPP反対派、勢いに陰り、条件闘争へ。

 自民党執行部は25日、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加の判断を安倍晋三首相に一任した。日米首脳会談で「聖域なき関税撤廃が前提ではないことが明確になった」(首相)として、衆院選公約に照らしても反対する根拠は失われたと判断したためだ。実際、反対派の間では「表明やむなし」との受け止めが広がり始めた。 「聖域は交渉に参加してから勝ち取ればいい。われわれは与党だ」。230人超のメンバーを擁する「TPP参加の即時撤廃を求める会」の幹部は25日、こう語り、首相が交渉参加を表明した場合、これを認めて関税撤廃の例外品目確保に努める「条件闘争」への戦術転換を示唆した。

 首相は役員会に先立ち、反対派の小里泰弘農林部会長に自ら電話し、「きょうの役員会で一任を頂きたいと思っているが、急に(交渉参加を)判断することはない」と理解を求めた。小里氏はすぐに石破茂幹事長を党本部に訪ね、拙速に判断しないよう釘を刺した。一方で「仮に交渉参加を判断する場合は、国益をどう守っていくのか首相に決意を示してほしい」と、首相が決断すれば容認せざるを得ないとの考えをにじませた。

 執行部も丁寧な党内手続きに腐心している。役員会では、首相から日米首脳会談でTPPに関し異例の共同声明にこぎ着けた「成果」の報告を受け、発言を了承。ただ「反対派を刺激しないようにするため」(幹部)として、「一任」という表現は避けた。 石破氏もこの後の記者会見で、交渉参加の判断に当たっては、党の正規の機関である外交・経済連携調査会や農林部会で議論が行われると説明。「一連の流れを首相に伝え、あるいは直接意見を述べる機会を設ける」と語り、反対派の意見を十分聴いた上で首相が判断すると強調した。

イメージ 3

 ※ JAと政治の腐れ縁絶ちて 自主独立の農業めざせ!
 親方日の丸、乳母日傘で箱入り息子、外にも出れぬ“引き籠り農業”。
 永年の自民党農政により、わが国の農業は根っこから腐敗してしまった。



 2月26日は、「咸臨丸の日」 です。

 1860年(万延元年)、幕府使節団が、オランダから買い入れた木造艦「咸臨丸」で、日本船として初めて太平洋を横断(37日間)して、サンフランシスコに到着した日です。 使節団メンバーは、軍艦奉行の木村摂津守、艦長の勝麟太郎(正確には勝は「軍艦操練所教授方頭取」)、福沢諭吉、中浜万次郎ら百余名。(日本人96名、米国人11名) 勝は航海中、船酔いのため私室にこもったままで、艦長らしき仕事は殆どしなかったとも言われる。万次郎以外の船員は大半が船酔いで、実際には技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉ほか、アメリカ人乗員の助けを借りての航海だった。

イメージ 5
 【咸臨丸】(かんりんまる):江戸幕府が保有していた初期軍艦。木造で3本のマストを持つ蒸気船。旧名(オランダ語名)はJapan(ヤパン号)。「咸臨」とは、『易経』より取られた言葉で、君臣が互いに親しみ合うことを意味する。

 1860年、日米修好通商条約の批准書を交換するため、遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断する。その際に、咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日に品川を出帆、旧暦1月19日に浦賀を出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港する。

 洋式の軍艦としては、観光丸(外輪船)に次ぐ二番艦だが、洋式のスクリューを装備する船としては初の軍艦となる(スクリューは入出航時に主に使用され、航海中は抵抗を減らすため水線上に引き上げる構造になっていた)。 幕府の練習艦として用いられた後、戊辰戦争に参加するものの、軍艦としての機能は既に他艦に劣り、運送船の役割を担っていた咸臨丸は、新政府軍によって拿捕された。明治政府に接収された後は、開拓使の輸送船となる。


イメージ 6

   ◇ 咸臨丸の短く儚い生涯

 1862年(文久2年)、小笠原諸島を巡視、父島と母島を探検。
 1866年(慶応2年)、酷使が祟り故障頻発の蒸気機関を撤去。帆船となる。
 1868年(明治元年)、戊辰戦争が起こる。

 8月19日 (旧暦)、海軍副総裁・榎本武揚の指揮で品川沖を脱出。
 8月23日 (旧暦)、銚子沖で暴風雨に遭い榎本艦隊とはぐれ、下田港に漂着。
   救助に来た蟠竜丸と共に清水へ入港する。
 9月11日 (旧暦)、蟠竜丸は先に出航。咸臨丸は修理が遅れ、新政府軍艦隊に
 敗北、乗組員の多くは戦死または捕虜。逆賊として放置された乗組員の遺体を
 清水次郎長が清水市築地町に埋葬。山岡鉄舟揮毫になる墓が残る。
 1871年(明治4年)9月19日 (旧暦)、片倉氏の旧臣401名を移住させる
 目的で北海道小樽へ向け出航するも北海道木古内町泉沢沖で遭難、サラキ岬で
 破船、沈没。
 1887年(明治20年)、次郎長が清水市興津の清見寺に咸臨丸乗組員殉難碑建立
 1984年(昭和59年)、サラキ岬沖で鉄製の朽ちた錨が発見される。
 2006年(平成18年)9月20日、錨は咸臨丸のものと発表される。



イメージ 4

 ◇ 球団ワーストの7失策、G滅に原監督あきれ顔

   < 巨人 1―11 韓国LG > (25日・那覇キャンプ)

 巨人は沖縄・那覇キャンプの25日、韓国LGと練習試合を行い、1−11で大敗。四回に二塁のレギュラーを狙う脇谷亮太内野手(31)がタイムリーエラーを犯すなど、7失策と大崩れ。打線も、プロ5年目の大田泰示外野手(22)が実戦3試合を通じて7打席連続三振を喫するなど、攻守でアピールに乏しい内容だった。

   村田、大累、脇谷に寺内 … G守備陣が失策の豪華オンパレード

 沖縄のファンをうならせるようなプレーは皆無だった。WBC日本代表7選手が不在で、若手の発掘と戦力の底上げをテーマに掲げたキャンプ。その総仕上げの段階で総崩れだ。原辰徳監督も「見ての通り。ゲームじゃなくなってしまう。プロとして非常に恥ずかしい」と、腹立つのを噛み殺した。 試合後には、特打した村田を除く、脇谷、寺内、大累が約1時間の特守を受けるなど、早速修正に取りかかった。「沖縄での実戦が終わって、チームとしてはサインプレーの精度も上がってきている。でも、個人技は個人がしっかりと上げていくことが重要 … 」。指揮官は最後にキッチリと注文した。 坂本らWBC組頼みの現状を再認識させられた一幕だった。



イメージ 1
   ◇ 今日の誕生花・アズマイチゲ(キンポウゲ科)

   花言葉は、「温和」。

   一つ落ちて二つ落ちたる椿哉   子規

   ※ 赤い椿白い椿と落ちにけり  碧梧桐

   尾は蛇の如く動きて春の猫     虚子

   雪解川名山けづる響かな   前田普羅

   一枚の餅のごとくに雪残る   川端茅舎

   鶯のけはひ興りて鳴きにけり   中村草田男

イメージ 2

 枯草の乾く音する道の辺の アズマイチゲはいち早く咲く  鳥海昭子


 【参照】2月26日、河東碧梧桐の誕生日(1873年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/47165682.html

 【参照】2月26日、二・二六事件(1936年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/40601226.html

 【参照】2月26日、横山大観の命日(1958年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/53086650.html

 【参照】2月26日、大藪春彦の命日(1996年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50270462.html

 【参照】鈴木宗男議員、二審も有罪(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/40605945.html

 【参照】2月26日、「かっちん玉祭」(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/29104998.html

 【参照】2月26日、岡本太郎 生誕100年(2011年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51848968.html

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事