|
平成25年4月25日(木)昨日:麻生財務相、医療費「暴飲暴食の負担不公平」。 麻生太郎副総理兼財務相は24日夜、都内で開かれた会合で、医療費負担について「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っている奴の医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」と述べた。「生まれつき体が弱いとか、怪我をしたとかは別の話だ」とした。 医療費の抑制策としては、病院に通わずに医療費がかからなかった高齢者に対して「『10万円をあげる』と言ったら、医療費は下がる。それが最もカネがかからない方法だ」とのアイデアも示した。 ※ 言いたいことは尤もだ。「無性に腹が立つ」と云う、ある種の正義感もわかるのだけれど、この人が言うと何だか、うーんってカンジで口の端が歪むような思いを感じるのだ。 本日4月25日、歌手の田端義夫さんが 死去されました。 「オッス」という挨拶と、ギターを高く抱えた独特のスタイルで歌謡曲を歌い、「バタヤン」の愛称で親しまれた昭和を代表する歌手、田端義夫さんが、25日午前、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。 94歳でした。 田端さんは三重県の出身で、パン屋や鉄工所など、さまざまな職業を経験したあと、歌謡コンクールで入賞し、昭和14年、「島の船唄」でデビューしました。 その後、「大利根月夜」や「別れ船」などのヒット曲を連発し、戦後まもなく発表した「ズンドコ節(街の伊達男)」は、田端さんが歌って大ヒットしたことをきっかけに、その後も多くの歌手がリメイクしました。 昭和37年には奄美大島で歌い継がれていた曲「島育ち」をリリースし、大ヒットとなり、昭和38年のNHK紅白歌合戦に初出場しました。また、俳優としても、「底抜け青春音頭」や「アジャパー天国」などの喜劇映画で活躍しました。田端さんが収録した曲は合わせて1200曲に上るということです。田端さんは平成7年から8年間日本歌手協会の会長を務め、その後、名誉会長として後進の育成に力を注いでいました。こうした功績が認められ、平成元年に勲四等瑞宝章、平成16年には放送文化賞を受賞。 田端さんは体調を崩し、東京都内の病院に入院していましたが、25日午前11時45分に亡くなったということです。 ◇ 今日の誕生花・ライラック〔リラ〕(モクセイ科) 花言葉は、「思い出を大切に」。 青柳や思ふこと皆恋に近し 子規 ※ 恋にうとき身は冬枯るる許りなり、という句もある。 怒涛岩を噛む我を神かと朧の夜 虚子 ※ 上五字余りは可とされる。「神かと」では足りぬ。神となれ、虚子。 リラ咲けば誰も旅人港町 古賀まり子 さりげなくリラの花とり髪に挿し 星野立子 舞姫はリラの花よりも濃くにほふ 山口青邨 忘れがたき思い出ひとつに重なりて 紫ライラック庭のまんなか 鳥海昭子 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事


