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平成25年5月26日(日)昨日:燃えドラ・ユニホームも「ベンチは真っ白」。 < 中日 0―2 西武 > (25日・ナゴヤドーム) 守道中日 燃える真紅のユニホームも2安打零封でワースト5連敗 中日は、完敗で今季ワーストの5連敗を喫した。4連勝でスタートした交流戦だったが、5連敗でとうとう交流戦でも借金生活となってしまった。 本拠地で今季最多3万8195人を集め、赤い特別ユニホーム「燃竜(もえドラ)」のレプリカも配られ、スタンドも真っ赤に染まったが、高木監督は「球場は真っ赤だけど、ベンチは真っ白」と自嘲気味に振り返ったほど。 中18日で先発した山内が、序盤から乱調でいきなり2失点。打線も0勝4敗と苦手にしている岸に大苦戦。荒木の2安打のみに封じられ、好調だったルナも連続試合安打23で止まってしまっては仕方がない。高木監督も「岸も良かったけど、(打線は)えらい淡泊だった」と嘆いていた。 ※ 高木竜どこまで続く泥濘ぞ 監督イライラ ベンチ白々 ファンはモヤモヤ … 1983年5月26日は、日本海中部地震が発生した日 です。 ◇ 日本海中部地震(通称:日本海秋田沖地震) 1983年5月26日11時59分57秒、秋田県能代市西方沖80kmの地点で発生した逆断層型の地震。マグニチュードは7.7。 男鹿半島へ遠足中の小学生が津波にさらわれ13人死亡。死者行方不明者は秋田県を中心に104人に上り、そのうち100人が津波による犠牲者だった。 地盤の液状化で港湾施設も大きな被害を受けた。 当時、日本海側で発生した最大級の地震であり、秋田県・青森県・山形県の日本海側で10mを超える津波による被害が出た。家屋の全半壊3049棟、船舶沈没または流失706隻。被害総額は約1800億円。 本震に先立ち、前震とみられる地震が5月14日22時49分頃(M5)、5月22日4時52分頃(M2.4)、同日23時14分頃(M2.3)に本震と同じ場所で発生していた。 本震は、約20秒間隔で発生した2つの揺れで構成されている。本震発生後の余震は、6月1日0時まで有感地震が211回、無感地震が828回あった。さらに6月に入ってから6月9日21時49分にM6.1、同22時4分にM5.9、そして最大の余震(M7.1)が本震発生後の1ヶ月ほど後の6月21日15時25分に発生。この余震では津波が観測された。 ◇ 日本海中部地震から30年 昭和58年に津波などで104人の犠牲者を出した日本海中部地震から26日で30年です。被害が大きかった秋田県など各地で慰霊式が行われ、犠牲者に黙祷を捧げます。 30年前の昭和58年5月26日、秋田県能代市の沖合を震源をするマグニチュード7.7の日本海中部地震が発生し、秋田県・青森県・北海道のあわせて104人が犠牲となりました。 この地震では、津波が早いところで地震からわずか7分で押し寄せ、104人の犠牲者のうち100人が津波で亡くなりました。30年となる26日は、社会科見学の途中に津波に流され児童13人が亡くなった秋田県男鹿市の海岸や、工事現場の作業員34人が亡くなった秋田県能代市の能代港で慰霊式が行われ、遺族や市の関係者が黙祷を捧げます。 ◇ 日本海中部地震30年 男鹿・加茂青砂 住民の記憶 1983年5月26日、日本海中部地震で秋田県を中心に104人が犠牲になった。遠足中の児童45人が津波に襲われた男鹿市戸賀加茂青砂の海岸では、海からの叫びに驚いた住民が児童らを浜に助け上げ、毛布を持ち寄って凍える体を温め32人の命を救った。26日で30年。津波の記憶を胸に刻み、犠牲児童13人の慰霊碑を守り続ける住民たちにあの日を振り返ってもらった。 漁師で、自治会「加茂青砂部落会」会長の菅原繁喜さん(69)と妻テイ子さん(66)は、津波の怖さが忘れられない。 「テレビで『3.11』の津波映像が流れると、30年前を思い出して目を覆いたくなる。目の前の海で、自分の子と同じ年頃の子どもが大勢溺れたんだもの … 」。テイ子さんは語る。 当時、繁喜さんは男鹿半島周辺の観光遊覧船船長。水族館近くの塩浜港へ着岸直前に地震が起きた。 「船底が海底にぶつかったと思うほど、ものすごい衝撃だった」 下船後、水族館売店の女性が「津波だ」と叫ぶ声を聞き、急いで数キロ離れた自宅へ車を飛ばした。途中、水族館の方を振り返ると、自分が乗っていた船は岸壁に乗り上げ、傾いていた。 「わらしが波にさらわれたぞ!」。 集落は大騒ぎに。遠足に来ていた秋田県合川村の合川南小(現・北秋田市合川小)4、5年生が津波にさらわれた。住民たちが子どもを浜に引っ張り上げたり、浮輪を投げ込んだりしていた。 繁喜さんも先輩漁師と船を出し、沖の離れ岩に上がっていた女の子と、流木にしがみついていた引率者らしき男性を助けた。周囲には、弁当箱や水筒が散乱していた。 水族館近くのドライブイン勤務の吉田ヤエ子さん(78)も急いで自宅に戻り、自力で泳いできた男の子と女の子に家のシャワーを浴びさせ、毛布で温めた。その時の、男の子の言葉が忘れられない。 「みんな、きれいな海を見ながらお弁当を食べたいと言って、ここに来たの …」 吉田さんたち地元老人会は、犠牲児童の慰霊碑への献花や水替え、清掃を続けてきた。 「日本海に津波が来るとは誰も思わなかった。津波は忘れた頃やって来るからおっかない」。吉田さんはきょう26日も、30年間変わらない思いを抱き、慰霊碑に黙祷うをささげる。 ◇ 13戦全勝対決、白鵬が稀勢の里に辛勝(25日、両国国技館) 大相撲夏場所14日目、横綱・白鵬が大関・稀勢の里との全勝対決を制し、朝青龍と並び史上3位となる25度目の優勝へ王手をかけた。 白鵬は稀勢の里とがっぷり四つで組み合うと、最後はすくい投げで下して全勝を守った。稀勢の里は自身初の優勝が遠のいたが、千秋楽で琴奨菊に勝ち、白鵬が日馬富士に敗れれば優勝決定戦となるが … 。 ◇ 今日の誕生花・キンギョソウ(ゴマノハグサ科) 花言葉は、「清純な心」。 ほこり立つ硯の海の夏涸れたり 子規 ※ 明治28年の句。墨を溜める窪みが乾いたばかりでなく、埃まで … 。 麦飯もよし稗飯も辞退せず 虚子 ※ 新麦の収穫は5月頃で夏の季語。 近頃は、ことさら求む雑穀米。 いろいろな色に雨ふる金魚草 高田風人子 緋の色の尾びれをひろげ金魚草 岬 雪夫 金魚草よその子すぐに育ちけり 成瀬櫻桃子 金魚草十本ばかりかつぎたる あなたの首の美しかりき 鳥海昭子 |

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