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平成25年6月15日(土)統一球問題:「NPBに説明責任」文科相が苦言。 プロ野球で使用する統一球が説明もなく飛距離が出るよう調整されていた問題で、下村博文・文部科学相は14日の閣議後の記者会見で「当初から『今年からボールを変更した』となぜ説明がなかったのか。もうちょっと国民に分かる形で説明責任を果たす必要がある」と日本野球機構の対応に苦言を呈した。 スポーツ行政を所管する下村文科相は「今ごろになって『実はボールが変更されていた』では、国民の不信感だけでなく、選手も関係者も含め、いったい何だったんだと問われると思う」などと述べた。 ◇ 統一球問題で球団側から抗議出ず 代表者会議( 6月14日) 飛びやすく調整されていたプロ野球の統一球について14日、12球団代表者会議で球団側に初めて説明があった。問題が発覚してから3日。統一球について日本野球機構(NPB)に一任していた球団側から抗議は出ず、「実行委員会がきちんと機能していれば、選手に必要な情報も伝わった」(巨人・山岸均球団取締役)といった反省の声が並んだという。 代表者会議は約3時間行われたが、加藤良三コミッショナーの責任を追及する声は上がらず、統一球を調整したことを公表しなかったことについても「質問はあったが抗議は出なかった」(日本ハム・島田利正球団代表)という。 プロ野球界の第三者委員会は、アマチュア選手への裏金問題で2007年に西武が設置して以来。第三者委員会に調査を委ねることを提案した楽天の井上智治・オーナー代行は「公正中立な立場からきちんと事実関係を調査すべきだ」と説明した。 統一球の調整は、11日に行われた労組・日本プロ野球選手会(楽天・嶋基宏会長)との事務折衝で明らかになった。その前日に開かれた12球団の実行委員会では、NPB側は「統一球は変えていない」と説明していたという。球団側は14日の代表者会議で調整についての説明を正式に受けたが、「知らなかった私たちの責任もある。事実関係を共有できるように調査を早くやってもらいたい」(中日・井手峻球団代表)といった声が大勢を占めた。 ※ 「第三者機関の設置」と云う名の“隠れ蓑”で時間稼ぎをして、ほとぼりを冷ます魂胆がみえ見えでイヤになる。自浄能力の乏しい組織は、早晩潰えるものと相場が決まっています。所詮、仲間内の“談合”めいた事で、お茶を濁すだけのことか。 本日6月15日は、「追悼はあじさいの海わたの雲」の日 です。 追悼はあじさいの海 わたの雲 なみだ溢れて渚を濡らす 福島泰樹 当時、全学連主流派と対立していた日本共産党は、彼女の死に際して「樺美智子の死は、官憲の虐殺という側面とトロツキスト樺への批判を混同してはいけない。樺の死には、全学連主流派の冒険主義にも責任がある」と述べ、官憲と共に全学連側の行動も非難した。 「ゼミへゆく」微笑み母に告げしまま 六月十五日帰らず永久に 福島泰樹 十五日夕、国会南通用門前に結集した全学連主流派のうち四千人が、国会突入 を計る。棍棒を翳した機動隊が襲いかかり数百人が負傷、女子大生が死亡。 1960年10月9日、大島渚の『日本の夜と霧』が公開されるが、わずか4日後、松竹は大島に無断で上映を打ち切る。大島は猛抗議して松竹を退社。 直後に開かれた大島と小山明子との結婚式では、出席者から松竹への抗議が相次ぎ、さながら総決起集会と化した。 この年の歳晩、「恋と革命」に敗れ縊死した学生歌人・岸上大作は 樺美智子の遺影に向かい … 微笑には微笑かえさん許されて もし呵責なき位置をたもたば、と絶唱する。 樺美智子の学友であった木村愛二は、2000年に開かれた60年安保を回顧する座談会の中で、「樺美智子は、普段はデモに来なかったのに、あの日に限ってデモに来た … 」と、回想している。 母・光子による遺稿集『人しれず微笑まん』(1960年)と書簡集『友へ 樺美智子の手紙』がある。 樺美智子の墓誌「最後に」 誰かが私を笑っている 向うでも こっちでも 私をあざ笑っている でもかまわないさ 私は自分の道を行く 笑っている連中もやはり 各々の道を行くだろう よく云うじゃないか 「最後に笑うものが最もよく笑うものだ」と でも私は いつまでも笑わないだろう いつまでも笑えないだろう それでいいのだ ただ許されるものなら 最後に 人知れずほほえみたいものだ ※ 誰もが性急な政治的関与を強要された時代に、多くの「樺美智子」が時代を漂流した。時代の暴風にためらいなく身をまかせる者、あるいは自己内面の矛盾を時代に転嫁する者、などなど … 。 真摯に自己を内省することを、時代が許してくれなかった。 紫陽花は色が変わりやすい。 そして、紫陽花は実を結ばない … 。 「移り気」なる花言葉こそ悲しけれ 「乙女の愛」の未だ実らず … 。 ◇ 加藤コミッショナー「大失態」認め謝罪(6月14日) 統一球が極秘に変更されていた問題で、加藤コミッショナーと12球団代表者らが14日、東京・千代田区のNPB事務局会議室で臨時会議を開催した。 会議は正午から1時間の予定が約2時間半かけて行われ、弁護士らに委嘱して第三者機関を設置、検討することを決めた。 会議後、加藤コミッショナーは「今回の大失態については猛省しています。世間の皆さんにお詫びしたい」と謝罪した。12日の会見では「不祥事ではない」と言い切って謝罪はしなかった。 しかし、この日も自らの進退については「これからもこの職で野球のレベルを上げることが私の務めだと思っています」として、辞任は「考えていません」と否定した。 なお、設置が決まった第三者機関について村山パ・リーグ理事長は「責任問題は今は関係ない。なぜこういう事態が起こったか、ガバナンスの問題も含めて検証したい」と説明した。 今回の問題については大リーグ・レンジャーズのダルビッシュ投手が「知らない方が問題」とコメントするなど、加藤コミッショナーの対応に球界での批判が広がり、プロ野球ファンからもコミッショナー事務局に抗議の電話やメールが殺到する騒ぎに発展している。 ※ 傍目には「裸の王さま」物笑い 独り淋しきお山の大将 餡出船 ※ ボールより飛ばして欲しい首がある 化粧が篤姫(CBC) ◇ 今日の誕生花・アジサイ(ユキノシタ科) 花言葉は、「移り気」「乙女の愛」。 赤薔薇や萌黄の蜘(くも)の這ふて居る 子規 叩けども叩けども水鶏許されず 虚子 ※ クイナの鳴き声は、戸を叩く音に似るとか。 ※ 近頃わたしは、「キュウシュウ、明日?」と鳴く鳥の声を耳にする。 紫陽花や白よりいでし浅みどり 渡辺水巴 あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ 橋本多佳子 花二つ紫陽花青き月夜かな 泉 鏡花 紫陽花のパリーに咲けば巴里の色 星野 椿 元来が、「紫陽花」は日本の花だ。日本から中国を経由して、18世紀末にヨーロッパに渡ったと言われる。しかし、皮肉なことに、日本では色が変わることが心変わりと結びつけられ、近世まではさしたる人気はなかった。『万葉集』には出てくるけれど、平安朝の文学には影も形も見られない。ところが、逆にヨーロッパ人は色変わりを面白がり、大いに改良が進められたので、現代の日本には逆輸入された品種もいくつかある。だからパリの紫陽花は改良品種ゆえ、「パリーに咲けば巴里の色」は当たり前なのだが、もちろん作者は、そんな植物史を踏まえて物を言っているわけではない。同じ紫陽花なのに、巴里色としか言いようのない色合いに心惹かれている。この街に「日本色」の紫陽花をそのまま持ってきたとしても、たぶん似合わないだろう。やはり、その土地にはその土地に似合う色というものがあるのだ。いや、その色があってこそのその土地だとも言える。ヨーロッパで紫陽花を見たことはないが、たとえば野菜の色だって微妙に異っている。そこらへんの八百屋の店先に立っただけで、なんとも不思議な気分におちいってしまう。トマトやらジャガイモやら、お馴染みの野菜たちの色合いが日本のそれとは少しずつ違うからだ。その微妙な色合いの差の集積が店内の隅々にまで広がっている様子に、よく「ああ、俺は遠くまで来てるんだ」と思ったことだった。私には、そぞろ旅情を誘われる句だ。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男) 紫陽花や帰るさの目の通ひ妻 石田波郷 波郷の句が苦手だという人は、意外に多い。いわゆる「療養俳句」の旗手だからではなく、描写が「感動を語らない」(宗左近)からである。この句もそうだ。見舞いに来た妻が、つと紫陽花に目をやったとき、その目が「帰るさ(帰り際)」の目になっていたというのだが、それだけである。妻の目が、作者にどんな感情を引き起こさせたのかは書かれていないし、読者に余計な想像も許さない。冷たいといえば、かなり冷たい感性だ。しかし、私は逆に、長年病者としてあらねばならなかった男の気概を感じる。平たく言えば、人生、泣いてばかりはいられないのだ。寂しい気分がわいたとしても、それを断ち切って生きていくしかないのだから……。(清水哲男) アジサイはでんでん虫と仲良しだ ひとり言う子のクレヨンうごく 鳥海昭子 |

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