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平成25年9月13日(金)昨夜:バレンティンの母、息子の雄姿を見守る … 。 < 広島 12―6 ヤクルト > (12日・神宮球場) バックネット裏では、この日急遽初来日したバレンティンの母アストリットさん(64)が観戦した。試合に先立って行われた8月の月間MVPの表彰式を見て「息子のことを誇りに思う。新記録が出るのを楽しみにしている」と話した。 一回裏、グラウンドからバレンティンが観戦中の母に向け大きく右手を上げ、うれしそうに同じ仕草で応える場面も。過去に野球の審判をしたことがあるほど野球好きのアストリットさん。ストライクやボールの判定に一喜一憂しながら息子の打席を見守った。新記録の56号とはならなかったが、八回裏の最後の打席の中前打に笑みを見せた。 ※ お母様には是非とも、新記録達成の感動の瞬間を見て頂きたいものだ。 2000年9月13日、旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器の処理が始まりました。 旧日本軍が中国大陸に放置した、毒ガスなどの化学兵器を日中共同で処理する作業がスタートしました。 化学兵器禁止条約により、日本は2007年までの全面廃棄を義務付けられていました。 写真は中国黒竜江省北安市で発掘された砲弾を防護服と防毒マスクを着用して識別する日本側スタッフです。 ◇ 旧日本軍化学兵器の存在状況 中国には第二次世界大戦期に日本軍が保有していた化学兵器が残存しており、これらが日本軍の遺棄に由来するものであるとされ問題となっている。第二次世界大戦期の旧日本軍は、中国に関東軍化学部(満州第516部隊)や特種自動車第1連隊などの化学戦部隊を駐留させており、各種の化学兵器を満州を中心とした地域に集積していた。終戦までに生産された化学兵器の総量は、「きい剤」と呼ばれたマスタードガスやルイサイトなどの「びらん剤」砲弾約63万発、「あか剤」と呼ばれたジフェニルシアノアルシンなどの「くしゃみ剤」砲弾約125万発、同発煙筒266万個、そのほか「みどり剤」と呼ばれた催涙剤のクロロアセトフェノン(CNガス)などがある。 一部は訓練や日中戦争の実戦で消費されたものの、大部分は使用されないまま終戦を迎えた。終戦時点で中国を含む日本国外に存在した化学兵器の量は、びらん剤砲弾2万〜12万発・くしゃみ剤砲弾72万〜88万発・同発煙筒125万個などと推定されている。 吉林省敦化市にあるハルバ嶺地区には、日本側推定30万〜40万発の日本軍の化学砲弾などが埋設されている。ハルバ嶺地区には、各地に遺棄されていたという化学兵器が、1950年代〜1960年代に中国軍によって集められ、2箇所に埋設されて現在に至っている。当初は67万4千発と推定されていたが、その後の調査で推定量が下方修正された。 他方、中国側は200万発が存在すると主張しているが、日本側研究者は過大であると評価している。いずれにしてもハルバ嶺は中国国内で最大の埋設量がある地点と見られている。このほか、北は黒竜江省から南は広東省に至るまでの中国各地にも旧日本軍の化学兵器は残存しており、2012年9月までに約4万8千発が回収されている。中国側はハルバ嶺以外の大量存在地として、吉林省梅河口市にも黒竜江省尚志市から移送したびらん剤弾20万発が存在すると主張しているが、やはり日本側は過大な数字であると推測している。以上の砲弾などに含有される化学剤の総量は比較的少量で、化学砲弾等の総数が約70万発であると予想していた時点でも、約500トンと推定されていた。 残存する旧日本軍化学兵器による事故も発生している。2003年8月4日にはチチハル市の工事現場において地中で発見されたドラム缶から旧日本軍の化学剤が流出して1人が死亡、43人が負傷した。日中政府間協議の結果、3億円の解決金が遺棄化学兵器処理事業費の一部として支払われた。 ◇ 今日の誕生花・キキョウ(キキョウ科) 花言葉は、「変わらぬ愛」「気品」。 小刀や鉛筆を削り梨を剥く 子規 ※ 鉛筆を削って梨を写生、終われば剥いて喰らう。人生亦如是。 ワガハイノカイミヤウモナキスゝキカナ 虚子 ※ 漱石の愛猫死すの報を受け、作りし一句埒もなきかな。 むらさきの折紙ひらくごと桔梗 石川星水女 かたまりて咲きて桔梗の淋しさよ 久保田万太郎 次に咲くその次に咲く蕾もち キキョウむらさき凛として立つ 鳥海昭子 |

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