|
◇ 老いる、ということ … ■ 優しい夫がなぜ妻を殺害 … 、孤立した「老老介護」の末の悲劇 (12月8日) 「その通りです」。 今年7月、自宅で寝ていた妻(75)の首を絞めて殺したとして、殺人罪に問われた男は年齢を感じさせるかすれ声で罪を認めた。男は昭和9年生まれの79歳。手に掛けたのは、半世紀近く共に生きてきた最愛の妻だった。孤独な「老老介護」を続ける中で、病気に苦しむ妻を思う心が暴走し、取り返しのつかない悲劇を呼び起こした。 判決などによると、被告が凶行に及んだのは今年7月8日ごろ。早朝に東京都世田谷区の自宅マンションで妻の首を最初は両手で、続いてタオルで締めて殺害。翌日未明には、隅田川に飛び込んで自殺を図ったが死にきれず、数時間後に川に浮かんでいるところを救助された。被告は、搬送先の病院で妻の殺害を打ち明け、自首した。 11月25日に東京地裁で行われた裁判員裁判の初公判。検察側は冒頭陳述で「短絡的な犯行」であることを強調した。 被告の妻は、くも膜下出血で倒れた後、めまいなどの後遺症に悩まされるようになったという。さらに、被告も腹部の痛みなどから「自分は末期の大腸癌ではないか」と疑うようになったが、検察側は「被害者の病状を軽減させる方法を考えず、殺すという方法を取った」と指摘。安易に無理心中を図った身勝手な犯行と位置づけた。 これに対して、弁護側は「責任能力を含め、全て認める」とする一方、殺害に至った背景を「病に苦しむ妻を思うあまりの犯行だった」と主張。「妻の病気の後遺症が悪化し、死を願う言葉も口にするようになった」とし、「妻を楽にしてやりたいという思いから殺害した」と訴えた。 「わが家が一番幸せ」と妻の手紙 証拠調べで検察側は、凶器となったタオルを提出。検察官がタオルを広げて「このタオルが見えますね。あなたの家にあったものですか、殺害に使用したものですか」と尋ねると、被告はしっかりした口調で「はい」と答えた。 ピンクと白の図柄で、長さ1メートルほどのタオルは、凶器として使われたようにはとても思えず、むしろ平穏な家庭生活を連想させた。 弁護側が証拠として読み上げたのは、今は亡き妻が被告にあてた手紙だ。被告の70歳と76歳の誕生日を祝い、贈ったものだという。 「70歳の誕生日おめでとうございます。結婚40年、私を支えてくれてありがとうございます。孫にも恵まれ、誰よりもわが家が一番幸せな家族」 「パパ、誕生日おめでとう。いつの間にか76歳になりました。いつまでもいつまでも楽しく生活できますようにお祈り致します」 30歳の時に、妻と結婚したという被告。幸せだったはずの家族の姿が浮かび上がった。 一人娘の両親への思い … 切々と … 証人として出廷したのは二人の間に生まれた長女。一人娘だという。 検察官「あなたは、被告人と被害者の娘さんですか?」 長女「はい」。 夫婦水入らずの幸せな暮らしに影がさしていったのは、平成14年に妻が病気になってからだという。 くも膜下出血で倒れた妻は、一命を取り留めたが、物が二重に見えるなど目の異常や、ひどい眩暈や手足の震えといったさまざまな後遺症に悩まされるようになった。瞼の手術も行ったが、症状は改善しなかったという。 刺繍や書が趣味で、社交的な性格だった妻は、次第に家にこもりがちになっていった。 長女「あまり人に会うことを好まず、家に閉じこもる時間が多くなり、もともと心配性なところがあったが、さらに強くなりました」。 長女はある日、母から「死にたい」と言われたという。「日に日に悪くなっていき、(回復が)難しかったのではないか」と振り返った。 弁護人「あなたのお母さんを殺されてしまいましたが、被告人に処罰を求めますか」 長女「いいえ」。 弁護人「今後のことをどう考えていますか」 長女「父が社会に出てきた時には、一緒に生活して、母のことを受け止め、父の老後を見守りたい。母は、父のことをもう許していると思います。病気の辛さをずっと訴えていたことに『ごめんね』と … 。父がそう(妻が死を願っていると)思い込んでしまったことに対し、『ごめんね』という気持ちだと思います」。 冷静に受け答えを続けていた長女が、絞り出すような声になったのは、自殺を図った被告が助かった際の思いを問われたときだった。 「正直に生きててくれてよかった。一度に両親を亡くすのは辛いですから…」 たった一人で悩みを抱え込んで … 証人尋問に続いて行われた被告人質問。被告が妻の「死んで楽になりたい」という言葉を初めて聞いたのは、昨年の冬だったという。「驚きました。特別に声をかけることはできませんでしたが、散歩に出よう、とは言いました」と、当時の衝撃を表現した。 弁護人「死にたいという気持ちが本当ではないと思ったことは?」 被告「本当だと信じていました。真実だと、私は思っていました」 弁護人「奥さんのことについて、娘さんと相談はしましたか」 被告「していません。この問題だけは娘に相談してもだめだと思い、こうしてしまいました」。 「思い込みが強い」と長女が性格を表現する被告が、妻の病が悪化する中で、悩みを抱え込んでしまった構図が浮かび上がった。 弁護人「娘さんと相談していたら?」 被告「こうはならなかったと思う」。 11月26日に開かれた論告求刑公判で、検察側は被告に懲役5年を求刑。弁護側は執行猶予付き判決を求めた。 最終意見陳述で、被告は「私にとって最高の妻でした。平成22年ごろから病状がだんだんと悪化しまして … 。こういう行動を取って申し訳ない。どうお詫びしてよいか分からない」と述べた。 裁判員との評議の末、迎えた29日の判決公判。被告に言い渡された判決は、懲役3年、執行猶予5年だった。 裁判長は判決の言い渡し後、「これで、社会に戻ってもらうことになります。まずはお嬢さんとともに過ごす中で、自分のしてしまったことを見つめ直してほしい」と諭した。さらに、「今回のように問題があった場合には抱え込まず、お嬢さんと話し合って解決してください。そのことが、明るく周囲の人を大切にしていた奥さまへの供養になると思います」と被告に語りかけた。 妻を殺害してから5ヶ月。被告の胸には何が去来したのだろうか。ゆっくりと、深々と、頭を下げる被告の姿を満席の傍聴人は見つめていた。 ※ 冬蝶や是非なきことに死にきれず 寒をしのぐは枯れ葉一葉 老老介護の果てに、思い出の湖畔で心中を図った夫婦の台詞のない物語。 ■ 万引き、続く高水準 刑法犯の1割に上昇 高齢者増「孤立防止を」 (12月12日) 万引きの認知件数が高止まりし、刑法犯全体に占める割合が1割まで上昇していることが11日、警察庁の調査で分かった。 年齢別では高齢者(65歳以上)だけが増え続けている。同庁は「経済的な困窮が主な原因ではなく、孤立化を防ぐ必要がある」と分析している。 刑法犯は、2002年の約285万件をピークに減り続け、12年は半分以下の約138万件になった。 こうした中、万引きは2004年に過去最多の15万8020件となった後、増減を繰り返して高止まり。12年は13万4876件だった。全体に占める割合は9.8%で、2001年の4.6%から11年連続で上昇している。 摘発された容疑者を年齢層別に見ると、少年は1999年から、成人(65歳未満)は2006年から減少傾向に転じたが、逆に高齢者は増え続け少年を上回っている。高齢者の人口自体が増えており、12年は総人口の24%に上ったが、摘発人数に占める割合はこれを上回る31%だった。 高齢者が盗んだ物の68%は食料品で、少年や成人に比べ安価な日用品が多かった。おにぎりやアンパン1個というケースもある。動機のうち「経済的困窮」は13%にとどまった。 ※ かにかくに老いゆくことの難しく などてけふまで生きてありぬる
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2013年12月12日
全1ページ
[1]
|
平成25年12月12日(木)昨日:電車好きの男児、線路に置き石で児相に送致。 線路上に置き石をしたとして、京都府警八幡署は10日、列車往来危険の非行事実で、同府八幡市の小学生の男児(10)を児童相談所に書類送致した。同署によると、「電車が好きだった。どうなるか見てみたかった」と話している。 同署によると男児は、8月14日午前9時半ごろ、同市橋本の京阪本線の踏切内の線路上に置き石をしたとしている。 同市内では、現場や近くの踏切で今年6月から置き石が6回確認されており、うち3回、電車が緊急停車した。男児は6件すべてへの関与を認めているという。8月12日に京阪電鉄が現場の踏切に防犯カメラを設置し同14日、男児が石を置く映像が記録されていた。(12月11日8時49分) ※ 「どうなるか見てみたかった … 」、痛いほど小学生男児の気持ちが良くわかる。私にも覚えのあることだ。小学生の頃、家の前の都電線路上に長釘を置き、都電通過後にそれを回収、磁性の生じた釘で遊んだものだった。運転手には睨まれたが、追われることはなかった。交通量も少なく、車道での悪戯遊びをよくしたものだ。お陰さまで私は大過なく幼少期を通過したが、件の小学生男児の恙なき成長を祈らずにはおれない。 12月12日は、「銀ブラ」と云うこと … についてちょっと考察してみよう。 【銀ブラ】:中型国語辞典としては、三省堂の『大辞林』と並ぶ両雄と目される岩波書店の『広辞苑』には、「銀座通りをぶらぶら散歩すること」とされている。まっ、これが一般的な語釈として通用しているものだ。 だが、もともとの「銀ブラ」とは、決してそれだけではなかったのだ。就中「ブラ」とは、ぶらぶらすることではなくて、「ブラジル珈琲を飲むこと」であった。 日本最初の喫茶店「カフェーパウリスタ」は、明治43年(1910年)12月12日に銀座に開業した。そして現在もなお営業している日本最古の、由緒ある喫茶店なのだ。 当時はコーヒーが珍しく、「銀座でブラジルコーヒーを飲む」ことが大きなステータスとなり、「銀ブラ」の愛称とともに、芥川龍之介ら多くの文豪たちからも愛された。残念ながら当時の建物は、関東大震災で倒壊してしまった。現在の店は1970年(昭和45年)に再建されたものだ。内装には創業時の店の一部が復元され、かつての面影のなか、文豪たちが好んだブラジルコーヒーを堪能できます。 [電話] 03-3572-6160 [住所] 中央区銀座8ー9 長崎センタービル1F [営業] 8:30〜22:00 (日曜・祝日12:00〜19:30) [定休] なし [交通] JR・東京メトロ新橋駅から徒歩5分 ◇ 「銀ブラ」なる新語の命名者は誰か? また何故ひろまったのか? 「銀ブラ」とは、銀座の「銀」とブラジル珈琲の「ブラ」との合成語であり、大正2年(1913年)頃に慶應の学生たちが作り流行らせた言葉とされる。 塾員の小島政二郎は小説「甘肌」の中で、「文科の同窓生、成毛五十六が銀ブラということばの命名者だ」と特定している。ブラジルでカフェーは珈琲、パウリスタは生粋のサンパウロっ子を意味する。 カフェーパウリスタの創業者は、第一回ブラジル移民船「笠戸丸」の運行を計画し、自ら団長として乗船した高知出身の水野龍(りょう)(1859〜1951年)で、今日「移民の父」と呼ばれている。 水野は慶應に在学中、日本人の海外雄飛を主張した福沢諭吉(大の珈琲党)の強い影響を受けた。水野の日本人移民事業を高く評価したブラジル政府が大量の珈琲豆の無償供与を行なったことが、わが国最初の喫茶店「パウリスタ」が誕生する契機となった。 「銀ブラ」ということばが三田山上に誕生する背景には、森鴎外、永井荷風、小山内薫、馬場胡蝶ら慶應文科の教授たちが、パウリスタ珈琲(=ブラジル)を愛飲していたことがあり、たくさんのエピソードがパウリスタに残されている。その薫陶を受けた若い塾生たちが三田の授業が終わるとパウリスタに日参し、やがてこれらの学生たちの間に「銀座でブラジル珈琲=銀ブラ」ということばが自然発生的に生まれた。 佐藤春夫は「慶應の勉強をほったらかしにして毎日パウリスタまで歩き、珈琲とドーナツで何時間もねばるのだが、毎日こんな事ばかりして末はどうなつ事やら(詩文半世紀)」と自嘲している。 「三田に麒麟児あり」と、若い頃からその秀才ぶりを騒がれた政治科学生の小泉信三は、明治45年一月十九日の日記の中でパウリスタ珈琲を批評する。「阿部(章蔵=水上瀧太郎)、久保田(万太郎)の二人と小山内さんの時間が済んだあと、はじめてカフェーパウリスタと云う家へ行って見た。濃い強い珈琲だ。何だか恐ろしいような気がする」。パウリスタブラジルにショックを受けた小泉は、翌二十日の日記にも「三辺(金蔵)君とまたパウリスタに行った」と書いている。カフェーパウリスタの何を確認するために小泉は再訪問したのであろうか。 奥野信太郎は『酒場今昔記』の中で、パウリスタ珈琲缶を青春の象徴として書いている。「パウリスタ珈琲缶を買って帰る時、それがまるで新時代そのもののような感触をあたえた。パウリスタ珈琲缶を買い求めて帰路を急ぐときの心の喜びというものは大したものである。太陽は常にわれらの上に明るく、新しい世はわれらの手で … 」と、人生を生きる喜びと自信を表明している。 堀口大学、折口信夫、西脇順三郎、宇野四郎、三宅周太郎、田辺茂一、鷲尾洋三ら慶應出身の文学者たちが記述している「銀ブラ」のコースは次の道順である。 三田山上 → 芝公園弁天池 → 増上寺 → 大門 → 源助町 → 日蔭町 → 新橋ステーション → 銀座カフェーパウリスタ 。 「銀ブラ」の本質は、一、友人や教授との会話から得る人生経験。二、徒歩七十分の健康で心地良い散歩道。三、プロムナード上の多数の文化財に触れる。四、カフェーパウリスタの新奇(ノベルティ)と非日常性、であったのだ。 若い塾生達にとってパウリスタで文豪や芸術家達の姿を発見するのは無上の感動だった。小島政二郎は「私はよく宇野浩二、芥川龍之介、谷崎潤一郎、与謝野鉄幹、吉井勇、久米正雄、正宗白鳥などの顔を見た。文豪たちの隣のテーブルに座り、会話を盗み聞き、文学修行の栄養とした」と回顧している。 慶應の学生たちを育てまた育てられ、日本文明の舞台を提供したパウリスタは現在も銀座八丁目に盛業中。老舗の店主や買物帰りのミセスたちの憩いの空間だ。銀座を愛する人、珈琲を愛する人が訪れる時、ドアのガラスに記された「珈琲樹に囲まれた星の中の女王」が百年前と変らぬ微笑で塾員たちを暖かく迎えてくれるはずである。 『三田評論』掲載(長谷川泰蔵・日東珈琲元社長、塾員) ◇ 猫を抱くのが至福 … “猫天使”餌代900万を稼ぐために盗み90回 大阪府内の民家で空き巣を繰り返したとして、府警捜査3課は11日、同府和泉市池田下町、無職の出水衛被告(48)(公判中)を窃盗容疑などで逮捕、送検したと発表した。 出水被告は飼い猫や野良猫計約120匹の世話で年間約900万円使っていたといい、「餌代を稼ぐために90回ほど盗みをやった」と供述している。 発表によると、出水被告は7月17日、同市内の民家に侵入、現金やネックレスなど(総額22万円相当)を盗んだ疑い。府警は、昨年9月から逮捕される今年9月までの32件(総額1920万円相当)を裏付け、うち4件が起訴された。 出水被告は、自宅近くに月3万円で倉庫を借りて猫約20匹を飼育。毎日、近くのスーパーで5キロ分のアジや鶏肉を買い、飼い猫だけでなく、市内の公園や駐車場などにいる約100匹の野良猫にも食べさせていた。 以前は餌代をアルバイトなどで賄っていたが、2年前に失業したという。「猫を抱くのが至福の時だった」などと話している。 ※ 世の中に猫を大事と生きむとす 憐れ男よ哀れ猫らよ 師走の街暮れむとす ◇ 石破幹事長、秘密保護法で報道機関の処罰に言及するも直ちに撤回 自民党の石破茂幹事長は11日、日本記者クラブで記者会見し、特定秘密保護法で指定された秘密情報をマスコミが報道することの是非について「国の安全が極めて危機に瀕するのであれば常識的に考えた場合、その行為は何らかの方法で抑制されることになる」と述べ、安全保障などに重大な影響を及ぼす機密情報の報道は控えるべきだとの認識を示した。 また、秘密情報の報道が処罰対象になるかどうかについては「国の独立や平和、人々の生命、身体に影響を与えないとすれば罰せられるものではない」と発言。場合によっては、処罰対象になるとの認識を示した。しかし、その後、「報道した当事者はまったく処罰の対象にならない。訂正する」と記者団に述べ、撤回した。 (12月11日19時21分配信) ※ 直言居士・石破さんは正直者だ。特定秘密保護法=治安維持法と判明した。 ◇ 今日の誕生花・マンリョウ(ヤブコウジ科) 花言葉は、「寿ぎ」。 冬枯れや馬の尿(しと)する原の中 子規 手より手に渡りて屏風運ばるる 虚子 万両や暦日めぐること速し 岸 風三楼 百両がほどをこぼして実万両 伊藤トキノ 万両の日にぬくみゐる我もまた 森 澄雄 実生なるマンリョウ赤く色づきて 年の瀬の庭にぎやかになる 鳥海昭子 ◇ 万両、千両、百両、十両、一両、火棘、南天 → 赤い実七変化 ◎ マンリョウ(万両):ヤブコウジ科 Ardisia crenata 花言葉は、「寿ぎ」「陰徳」「徳のある人」です。 万両は株の上部に葉っぱが傘状につき、その葉っぱの下の部分に隠れるような 格好で下向きに実を生らせます。千両より多くの実が成るので万両と呼ぶと。 ◎ センリョウ(千両):センリョウ科 Sarcandra glabra 花言葉は、「可憐」「恵まれた才能」「富貴」 特に千両の実についての花言葉は、「富」「財産」です 千両の実は、葉っぱより先に上向きに生ります。 ◎ ヒャクリョウ(百両):ヤブコウジ科 Ardisia crispa カラタチバナ(唐橘)の別名 ◎ ジュウリョウ(十両):ヤブコウジ科 Ardisia japonica ヤブコウジ(藪柑子)の別名 ※ ヤブコウジ科の3種は実が垂れ下がるように成ります。 ◎ イチリョウ(一両):アカネ科アリドオシ属 アリドオシ(蟻通し、在り通し)の別名 ※ 蟻通し:鋭い棘は蟻を刺し通すほど … ※ 在り通し:果実が翌年の花の時期まで残るので「在り通し」と … ◎ ピラカンサ(ピラカンサスとも呼ぶ) バラ科トキワサンザシ属 Pyracantha(ピラカンサ)は、ギリシャ語の pyro(炎)+ acantha(刺)が語源で、火のような真っ赤な実をつけ、枝にはいっぱいトゲがあることに由来します。中国名は、ずばり「火棘(かきょく)」。棘が多いことから生け垣に多用された。 一般に「ピラカンサ」と呼ばれているものには、数種類あるようだ。同属の「トキワサンザシ(常磐山査子・赤い実をつける)」「タチバナモドキ(橘擬・オレンジの実をつける)」など … 。 ◎ ナンテン(南天)漢名「南天燭」の略称 メギ科ナンテン属 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事
全1ページ
[1]



