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- ◇ 原発避難者で「帰還希望」が半数を割る まだ故郷には戻れない 東日本大震災から1000日を前に、東京電力福島第一原発事故で避難した住民に聞き取り調査をした。調査は4回目で、福島県を含む19都府県の185人から回答を得た。その結果、震災前に住んでいた地域への帰還希望者が初めて半数を割った。生計のめどが「立たない」との答えは4割を超えた。だが、望みをつなぐ人たちは少なくなかった。 福島県の大熊町から南相馬市の仮設住宅に避難している栃本信一さん(61)は、「できれば戻りたい」と答えた。自宅は福島第一原発から3キロ、立ち入りが制限されている「帰還困難区域」にある。 「ピーピー」。2日、一時的に立ち入りした際、身につけた線量計の警告音が静まり返った町に鳴り響いた。毎時5〜10マイクロシーベルト。自宅の片付けの合間に「もう少し下がらないと戻れないね」とつぶやいた。 業務用洗濯機の修理業を営んでいるが、かつては原発建設にも携わった。「町は原発と共存共栄だった。原発が負の遺産になった今、人生の集大成として除染に協力したい」。昨夏、除染従事者向け講習会に参加し、いずれは除染作業に加わるつもりだ。帰還の見通しは立たないが、「元の暮らしを取り戻すという夢や希望を簡単には諦められない」と話した。 愛媛県伊予市に避難した渡部寛志さん(34)は、ミカンの収穫に追われている。 「ミカンがあるから、ふるさとの福島の人とつながっていると実感できる」。 南相馬市原町区の野菜農家。原発事故後、放射能の影響が心配で家族で移住し、地元の人たちの厚意でミカン畑を借りることができた。収穫したミカンは月に1度、自ら福島へ出向き、顧客に手渡しで届けている。「元気にやっているか」。絆を確認できる大切な時間だ。 自宅は「避難指示解除準備区域」内で、早期に戻れる可能性がある。だが、調査の回答では、過去3回の「戻りたい」から、今回初めて「できれば戻りたい」と後退した。「農家なら、誰もが放射能を気にせず、百%安全な畑で作物を作りたい」。当面は愛媛県で暮らすと決めた。 南相馬市原町区萱浜(かいばま)。市内の仮設住宅で暮らす農業の田部重幸さん(80)は、津波で壊れた自宅の再建を始めた。孫の知洋さん(20)は、震災後に進んだ宮城県農業大学校を来春に卒業する。「地元に戻って農業関係の職に就きたい」。そんな知洋さんの思いを知った田部さんは、調査に「戻りたい」と答えた。「春になれば、またみんなが一緒に暮らせる」と語った。(朝日) 海援隊 『 故郷未だ忘れ難く 』 ◇ 原発避難で石破氏「この地域は住めないと言う時期が来る」 自民党の石破茂幹事長は2日、東京電力福島第一原発事故で避難した被災者の帰還について「『この地域は住めません、その代わりに手当てをします』といつか誰かが言わなきゃいけない時期は必ず来る」と述べ、除染基準の見直しなどで住民が帰還できない地域を明示すべきだとの考えを示した。政府は希望する避難者全員の帰還を原則としているが、石破氏の発言はこの原則を転換すべきだとの考えを示したものだ。 札幌市での講演で語った。福島第一原発事故の被災地の避難指示区域は、年間積算放射線量の低い順に避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の三つに分かれている。石破氏の発言は、年間50ミリシーベルト超の帰還困難区域(対象住民約2万5千人)を念頭に置いたものとみられるが、具体的な地域などには言及しなかった。 石破氏は「除染基準をどうするかについては、いつかは答えを出さないと福島の復興はいつまでたっても進まない」とも語り、国が除染による長期目標として示している年間の追加被曝線量1ミリシーベルトについても見直しが必要だとの認識を示した。具体的な数値や地域の範囲については語らなかった。【三輪さち子】 海援隊 『 思えば遠くへ来たもんだ 』 かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山おもひでの川 啄木 ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな 新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど やはらかに柳あをめる北上の 岸邊目に見ゆ泣けとごとくに ふるさとの停車場路の川ばたの 胡桃の下に小石拾へり ※ 家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず 川島芳子
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